7話

「どうして一度しか見ないの?」

 なるべく青年の瞳を見ないように奈津紀は伏せ目がちに眉間に皺を刻んで答える。

「自分の顔の事は自分が良く知っているもの。身だしなみを整えるために朝一度見れば、あとは必要無いでしょ」

「そう。必要ないって言い切っちゃったか」

 青年は口の端に笑みを浮かべて奈津紀の顔から手を離し、何かをたくらんでいるような瞳を奈津紀に向け右手の指をはじいた。

 はじかれた指の音は静かな店内に響き渡り、店のいたるところに吸い込まれるようにして消えていく。

 一体何が始まるのだろうと奈津紀が辺りを眺めていれば、何の前触れもなく、二人を取り囲むように無数の大きく長い鏡が現れ奈津紀を映し出した。

 大きな姿見の中には反射することで現れた無数の奈津紀の姿がある。

 様々な角度からの合わせ鏡の世界。

 奈津紀はそんな無数の自分の姿を見つめ「嫌だ」と呟いた。

 小さく呟いたはずのその言葉は囲まれた空間の鏡に跳ね返されるように反響し、青年は微笑を絶やさず返し聞く。

「何が嫌なの?」

「見たくない、見たく無いわ。自分の姿なんて」

 自分の姿は誰に言われなくても自分が良く知っていた。

 しかも奈津紀はこれまでの人生で他人に指摘され続けている。本当ならば、朝起きた時の鏡も見たくはなかったが、身だしなみすら出来ないのかと思われるのだけは嫌だと見ていた。

(私みたいなのが何度も鏡を見たところで変わるはずもない)

 地黒でどんなに日焼けに注意していても、辺りにいる女性のように透き通る白い肌にはならない。

 美白を謳っている化粧品も試したがもって生まれた肌の色を変えられる商品ではない。

 化粧のやり方がわからないからと教えてもらうつもりで行ったデパートの化粧品売り場でも、にこやかに笑う店員の彼女達はそれは綺麗だったが、店員は奈津紀に見えないようにした上で優越感ともいえる微笑を浮かべた。

(分かっているわよ、私が化粧したところで綺麗になれないことぐらい。面と向かって笑われるよりも、陰で笑われる方が数倍傷つくわ)

 綺麗になどなれない。

 素が悪ければどんなに何をしようともどうにもならない。そんな事、他人に指摘されずとも奈津紀は自分自身で百も承知していた。

(でも、私は綺麗になりたかった)

 光が無数に反射する中で、奈津紀はいつの間にかぼんやり俯いて考え込んでいて、諦めのような息を一つ吐いてふと、そういえば青年が何も言わないと不思議に思って顔を上げた。

 顔をあげれば鏡の中の奈津紀も顔を上げる。

 鏡なのだから自分の行動と同じことをするのは当然のこと。しかし奈津紀はそのとき無数に映る鏡の中の様子に違和感を覚えて首をかしげた。

 自分の姿が映っていることが嫌ですぐに俯いてしまったため気付かなかったが、無限とも思える数の自分がそこに居るのに、傍にいるはずの青年の姿がない。

 奈津紀は体を回転させて自分を取り囲んでいる全ての鏡を眺める。

 同じように鏡の中の私がさまざま方向を見渡すが、やはりどの鏡にも青年は映っていない。

(どういうことなのかしら。確かに彼はここにいるのに)

 横目で青年を見つめれば、青年は無表情のまま奈津紀を見下ろす。

「どうかしたの?」

「……なんでもないです。ただ、まるでここはミラーハウスみたいで、どれが私でどれが私ではないのか。わからなくなると思って」

 青年が映っていないことを言おうとした奈津紀。

 だが、あまりに無表情に見下ろしてくる青年が少し恐ろしく感じて言葉を飲み込みかけ、でも何かを言わなければと思った奈津紀は、一枚の鏡に近づいて自分自身に手を伸ばしてそういった。

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