17話
まだ体と心が一致しないような何かがずれてしまっているような感覚の中、秀雄の耳には兎に角うるさい叫び声が響いてくる。
(誰やねん、うるさいな)
「秀! 秀!」
(秀? あぁ、俺の事か)
自分を、かすれ声で喉がもう限界だといわんばかりの叫びで呼ぶ声に意識が移っていくと、どこかずれているような感覚が収まって、それと同時に体の痛みが戻り秀雄は思わずうめいてしまう。
「秀! 気が付いたんやな!」
体全体というよりも自分が寝ているその場所自体が揺さぶられているようで、重みがのしかかる腕のほうを見てみればそこには涙を流して秀雄を見つめる嵐がいた。
一体何を泣いているんだろうとぼんやり考えた秀雄は、体の痛みでそういえば自分は事故にあっていたんだと思い出す。
「秀、ごめん。僕を庇ったばっかりに秀がこんな大怪我を」
美形の嵐などそこにはおらず、顔をゆがめて涙と鼻水にまみれた顔で謝り続ける嵐の言葉に秀雄はゆっくりと思考をめぐらした。
嵐の泣き声の合間に出てくる謝罪の内容をつなぎ合わせ、秀雄は自分が事故にあったのは嵐を庇ったためだと理解する。
(俺の為に泣いてるんか?)
嵐の様子に少し自分の考えを改めようとした秀雄の目に、一瞬嵐の口元が笑ったように見えた。見間違いだろうとも思ったが、嵐は小さく「君は僕のものになるんだよ」と呟く。一体何を言い出したのだと秀雄は薄ら笑いを浮かべる嵐の口元を凝視した。
「秀、君の事は僕が一生面倒をみるよ」
うつむき、悲しげなそぶりを見せる嵐の口元は相変わらず笑みをたたえていて、秀雄は背筋に何かが走り抜けたのを感じる。
嵐が秀雄の手をとり、そのまま胸にうつぶせ泣き崩れた。その瞬間、秀雄の目に嵐の左手首に光り輝くオーロラ色の糸が消えていくのを見る。
(どういうことや、嵐の腕にも俺と同じ糸があった。嵐もあの石屋に行ったいうことか)
周囲の視線はかわいそうにと嵐と秀雄を見守った。
当然だろう、その糸や石の存在が見えているのはおそらく石屋に出会うことが出来た人間だけ。そしてその糸の意味を知るのも。
秀雄は恐ろしさの中で冷静に考える。
(あの女の言った二つの要因の一つは事故があったいう事実、もう一つは嵐のことやったんか。俺が嵐の生を願ったとき、嵐は一体何を願った? 糸が消えたということはもっていた石全ての願いは叶えられた、それもつい先ほど最後の願いが成就したはずや。俺にも影響がある最後の願い、それはなんや。……僕のものと言うたな、俺を手に入れるのが嵐の願いか?)、
訴えるように見つめる秀雄の瞳に嵐は何かを感じたのか、耳元で「京子なんかには渡さない」と囁いた。
その言葉に、秀雄はなるほどと納得し、そして小さく息を吐く。
(京子には渡さない、それが嵐の目的であり願いか。なんでそんなことを願ったのかは分からへんけど、嵐はまだきっと分かってへん、石は己の気持ちをそのままでニュアンスなしで受け取るんや。お前の願いの通り京子と俺がどうにかなることはないやろうけど俺はお前のものにはならへん)
優越感の中にいる嵐を眺めながら、その姿が先ほどまでの己かと秀雄は一筋の涙を流しながら口の端を持ち上げ微笑む。
哀れであると滑稽であると笑いながら涙した。
そして、結局石屋に出会ってしまった嵐も自分と同じであったのだと妙な気持ちが胸の中にある。
秀雄は嵐に向かって「お前は俺と一緒でアホでかわいそうやな」と言おうとした。しかし、口から出てきたのは獣の低い唸り声のような到底言葉とはいえないものだった。
何度言葉を出そうとしても出てくるのは唸り声のみ。
(なんでや。なんで俺は喋られへんねや? さっきは看護師と喋ってたやないか)
思い通りにならない体に声、嵐の微笑みはさらに確実なものとなってその顔に表れ、秀雄は眉間に皺を寄せる。
秀雄の元に医者が近づき、そっと喋り始めた。
「あの大事故から、君は奇跡的に一命を取り留めた。生きているのが不思議なほどや。でもな、残念やけど声だけはもう戻らへん」
医者は秀雄を痛々しい可哀相な人を見るような視線で見つめる。
(声が、でない?)
「秀はもう喋られへんのか?」
再び悲しげな表情を作り出した嵐が、秀雄の代わりというよりも秀雄に思い知らせるように医師に尋ねた。
「手は尽くしたんやけど、声だけはもう」
「そんな! どうにもならんいうんですか!」
何度も何度も医者にすがる嵐。
周りには秀雄のことを思う友人に見えるのだろう。
しかし、秀雄の目にそれは秀雄に、もうお前は駄目なんだと思い知らせる行為に見えた。秀雄は手を伸ばし、出ない声を一生懸命にだしてそれを静止する。
(もうええ、やめてくれ嵐。お前は俺と同じ人間やった。そんなに俺に思い知らせなくても俺はわかってる。思い知らせて絶望させようと思っても無駄や。俺がこの状態にあるのはあの女が言ってた特別なおまけなんや)
嵐を静止し、静かになった部屋で秀雄は体をベッドに預けて瞳を閉じた。
大きく息を吸えば胸がきしむように痛む。痛みは電気のように全身を駆け巡って、自分の体の状態を嫌というほど分からせた。
(はじめは恐らく、俺が願った通り嵐は死ぬ予定やった。でも、俺が最後の石に願った事により、嵐の立場は俺に降りかかってきた。そして、そのままであれば俺は死ぬ予定やった。女の言うおまけとは「命を救ってやる事」、そして見返りとは「俺の声」、そんな所やろうな)
女は俺の心を五つも取り上げた上に、声まで持って行ってしまったのだと秀雄は小さく息を吐く。
(他の何を取っても良かったはずや。なのに、女は俺の言葉を持って行った。最後まで嫌味な女やったな)
秀雄の顔には自然と笑みがこぼれる。
別に生きていた事が嬉しいからじゃない、こんな状況になるなら死んだほうがましだと秀雄は思っていた。微笑みは女の手の平で良いように転がされた秀雄自身への嘲笑。生があり声が出ないことは女からの挑戦状に思えて仕方がなかった。
「秀? なんで笑ってんねん?」
秀雄の様子に首をかしげる嵐の姿を少し瞼を開けて見るとさらに笑いがこみ上げる。
ずっと、優秀であり人に慕われ自分とは正反対の位置にいると思っていた嵐は結局自分と同じ場所に立っていた。
(あの石屋は自我欲の深い人間の前に現れる。嵐、お前もそうやったんやな)
秀雄は、石屋に出会う前も石を手にしてからも、こういう状況にならねば自分はきっと自分と他人をちゃんとその瞳で見極めることは出来なかっただろうと自身を嘲笑する。
嵐はひたすら笑みを浮かべる秀雄にとても優しいまなざしを向けた。
「僕は、秀の傍でずっと秀を支えていくよ。それが僕の償い」
(償い、か。違うな、それは嵐の願望であり、お前の美学なんやろ)
そんなものに付き合う気はないと秀雄は言おうとしたが、声の出ない今となってはすべてがうめき声になるだけだった。
嵐はうめき声を上げる秀雄に向かって「ごめん」「許して」と繰り返す。
それを止めてほしいと思っても今の秀雄には「やめろ」の一言が出てこない。謝罪の言葉は逆に秀雄を苦しめる。なぜなら秀雄のうめき声は周りの人間にはそれを責めるように聞こえ、辺りから「あんなに謝ってるのにねぇ」と囁く声が聞こえてくるからだ。
(あぁ、あの人たちも今までの俺と同じ。そう見えるからそうだ決め付けてしまう、真実はどうなのか確かめもせずに。俺が失ったのは声だけや無い、あの女は俺の心の石を持っていった。一体何を失ったんやろう? そしてこれから俺はどうなるんやろう)
秀雄は麻酔が切れて痛み出す体を感じながら、汚れも影も無い真っ白な天井を見つめた。
まるでその白さは秀雄を脅迫するようにも見える。
浮き上がるほどに白く肌理の細かい天井は秀雄にあの女の白い肌を思い出させ、「決定権は貴方にあるのよ」と見下ろされているようだった。
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