12話。
「病院ではお静かに願います」
眉間に皺を寄せ、迷惑そうにみる看護師がそう言い、
「ごめんなさい、すみません。もう、座って!」
横から看護師に誤る声が聞こえて、洋服の裾をひっぱられ促されるようにし腰を下ろせば、周りの人に頭を下げる京子が居る。
秀雄はいつの間にか病院に戻っていた。
しかも入り口に居たはずなのに待合室に居る。
一体どうなってるんだと秀雄が少し考え込んでいると、京子が横から内緒話をするように小さな声で話しかけえてきた。
「大丈夫なん? いきなり立ち上がるし、叫ぶし。嵐先輩があんなことになって混乱するんは分かるけど」
秀雄は大丈夫かと聞かれて大丈夫と言い切れる自信は無かった。
大丈夫ではないことは自分が良く分かっている。
あの女店主に言われたことが頭の中で渦を巻いて存在し今にも倒れそうだった。
そんな秀雄の耳には何かをねだるように石達が鳴き声をあげ、その音がまるで女店主の笑い声に思えて秀雄は耳をふさぐ。
うつむき、完全に耳をふさいでいるはずなのに石の鳴き声はそんなことは関係なく耳の中で響き渡っているようだった。
そんな秀雄の様子は京子の目には嵐を案じているように見え思わず肩を抱いて声をかける。
「大丈夫やって、きっと助かる」
(助かるわけが無い)
「田所先輩のせいやないやないですか」
(俺のせいやないのか? いや、俺のせいや)
「皆がどう思ったって、私はそう信じていますよ。いくら近くにおったからって、田所先輩がそんなことするわけないもん」
京子の言葉に秀雄は顔を上げ思わず大きく目を見開いて京子を見、震える声で京子に尋ねた。
「皆が、どう思ったってって、皆はどう思ってるいうんや」
「そ、それは……」
京子は視線をそらし、答えることを渋る。その様子に秀雄の心臓は徐々に鼓動を早めた。
「京子。皆は、どう思っているんか教えてくれ」
病院の待合室という場所なので大声はかろうじて出さなかった秀雄だったが、京子の肩を両手で掴み乱暴に自分の方へ向けて詰問する。
食い込む秀雄の指の力の痛さに京子は顔をゆがめながらも、視線をあわせることなく地面に落としたまま小さく呟いた。
「皆は、田所先輩がやったって」
「な、なんやて?」
「あの時、嵐先輩の近くにおったんは田所先輩やったって誰かが言って、そしたら田所先輩はずっと嵐先輩を嫌っていたって話になって。それで皆が」
「俺が、俺が嵐を突き飛ばしたと?」
「私は信じてへんよ。でも、その話が出てから田所先輩が嵐先輩の足を引っ掛けているのを見ただとか、嵐先輩の背中を押しただとか言う人も出てきて。多分、学校の中では警察がなんか調べているみたいやし、誰かが言い出したからそれで、皆面白がってやっているんやと思う」
「俺は何もしてへん……」
「わかってるよ、私はそんなデマ信じてへんから。嵐先輩はいつだって田所先輩を褒めてたし、大事な友達言うてはったもん」
大事な友達、そう伝えてくる京子の言葉が頭の中心を突き刺すようで、秀雄は京子の背けている顔を自分のほうに向ける。
おびえるように体を揺らしてこちらを向いた京子の瞳の奥にも疑いの色が見え隠れし、秀雄は口の端を少しあげて空気を漏らすように微笑み席を立った。
足取り怪しくどこかにいこうとする秀雄の手を京子がつかんだが、秀雄はじっとりとした視線でそれを見つめ振り払うようにその手を離す。
「なんや」
「田所先輩、何処行くん?」
「トイレに行こうと思っただけや。別に逃げへんで」
「逃げるやなんて、そんなこと」
「思ってないっていうんか? 俺に嘘は通用せぇへん、京子は俺を心配する振りをして監視してるんやろ? それとも、次は自分かもしれないと怯えてるんか」
「そんな、酷い」
ゆっくりと歩いていく秀雄の背中のほうから京子のすすり泣くような声が聞こえた。
しかし、秀雄の耳には京子の鳴き声も病院の騒音も入ってくること無く、廊下を歩く自分の靴音だけが鮮明に響く。
反響する足音はまるで追いかけられているようで、背中からやってくる黒く大きな影に背筋を凍らせてながらトイレに入った。
別に用を足したいわけではない。
京子から逃げたかったわけでもない。
騒がしい石達の鳴き声に促されて人気の無いところに来たように秀雄は思った。
病院のトイレはよく清掃が行き届いていて真っ白、ゴミ一つ無く輝いて見える。洗面台の方へ向かって水道の蛇口を捻り、流れ出る水を両手に溜めて顔を洗う。滴り落ちる水を眺め、ゆっくりと視線を上げれば鏡に一体それが誰なのかと思うほどに沈みこんで影のできた自分の顔が映りこんでいた。
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