7話
ふっくらとした艶めかしい唇の端を上げて女店主がテーブルの上においた大きな水晶の玉を見つめて微笑んでいる。
その微笑みは企むようであり、楽しむようであり、獲物を捕らえた腹を空かせた狼の様であり。
「ふぅん、何だか今日は偉くご機嫌じゃないか。石屋のお婆」
扉や窓の開く音すらなく現れたのは金色のさらりとした長髪を持った真っ白な肌の青年。「お婆」と呼ばれた女店主は先ほどまでの楽しげな表情を一気に曇らせ眉間にしわを寄せて青年を睨み付けた。
「その呼び方は止めてくれと何度も言っているだろう、鏡屋」
女店主の睨みなど屁とも思っていないと言わんばかりに片方の唇の端を引き上げ女店主の肩を抱き、顎に手をそえる。
「どう呼ぼうと俺の勝手だろ。第一、若作りして『お姉さん』何て呼ばれて嬉しいのかい? お婆」
「ふん、若作りじゃないよ、勉強不足の坊や。私は年齢を止めているだけさ。此処の住人は誰一人として本当の自分の姿なんて模っちゃいない。故に外見で人を貶めるようなことを言っても無駄なこと」
「なら、お婆でもいいじゃねぇか」
「年齢的なことを言っているんじゃない。幾ら姿かたちが変わっても性別は別だろう。私は女だからね、それなりに紳士に対応してほしいもんだね。坊やはいつだって一言多過ぎるんだよ、余計なものをつけて呼ばず石屋って呼んだらどうなんだい」
「面倒だな、女って」
「良く言うよ、坊やの一番の好物じゃないか」
女店主は呆れた様に微笑んで、顎をとらえた手を自分の方に引き寄せる青年の顔にふっと息を吹きかけ手を払う。
払われた力は思いのほか強く、前のめりになっていた体のバランスを少々崩して後ずさった青年は、やれやれといったふうに肩をすぼめてテーブルを挟んだ女店主の目の前にある椅子に腰を下ろした。
「誰がそこに座って良いと言った?」
「誰も言ってないよ。俺が座りたいから座った。石屋も仮面屋も飾るばっかで実用的な椅子やテーブルってこれだけだろ? 二つある椅子の一つに石屋が腰かけていてそれで座ろうと思ったらこれしかないじゃないか。それともあのショーケースに座ってもいいのかい?」
青年はぐるりと首を回してとわざとらしく部屋中を眺めてあからさまに馬鹿にしたように笑った。
「呼びもしないのに突然現れたんだ、床に座れば良い。いや、床こそが坊やにふさわしい座席だよ」
「ひでぇ店主さんだ」
「嫌だったら出てお行き」
「酷いといっただけで嫌だとは言ってねぇよ。俺は石屋のこと結構好きだぜ」
「嬉しくもない事柄だねぇ、出来れば毛嫌いしてほしいよ」
どんな言葉を投げつけてもするりするりとかわし、その言葉すら楽しむような様子の青年に苛立ち睨み付けるが鏡屋の口元に浮かぶのは笑み。もう一言文句を言ってやろうと女店主が口を開きかけた時、手元の水晶がきらりと光り女店主の視線は水晶へと戻った。
女店主の反応がなくなった事で青年はからかい甲斐が無くなり、席を立って女店主の左肩から水晶を覗き込む。
そこには自分とは違い冴えない風貌の若い男が一人、ベッドに腰を下ろして自分の腕を眺めていた。
「ふぅん、今度はその男が獲物かい?」
「いやらしい言い方をするんじゃないよ。大切なお客様だ」
「気取るなよ、獲物は獲物だろ。まぁ、この十字街にやってくる奴等は確かに誰かしらの店の『お客様』だけどね。で、今回のこのお客様はじっとしたままだな。一体何してやがる?」
「まだ居るのかい? お前には関係ない、鏡屋は鏡屋の仕事をしてれば良いんだよ」
手を払いさっさとこの店から出て行けと態度で示す女店主に、青年は呆れた様に鼻息を吐き出す。
「よく言うよ。散々他の店の邪魔ばかりしておいて。さっきだって仮面屋にちょっかいを出しに行っていたのは何処の誰だか」
青年の言葉に女は眉間に深い皺を刻んで溜息混じりに呟いた。
「覗き見かい? だから鏡屋は嫌いなんだよ」
その女店主の言葉に青年は楽しげに声を出して笑いながら答える。
「嫌なら鏡のあるところには行かない事だな。で? 質問には答えてくれるのか?」
「ふん、どうせ説明しないと出て行かないんだろう。全く面倒で仕方ないよ。あの男は私のお客で、黒紙を引き当てたんだよ」
「へぇ! 黒紙とは欲張りなお客だね」
「まぁね。しかし、だからこそ私の店に来たともいえるね」
「あぁ、それは間違いないね。なんていってもこの店は十字街でも一等欲張りな連中が集まる場所だもの」
青年は口の隙間から空気を漏れ出させるように笑いながら、再び水晶に映る男に視線を落として首を少しかしげた。
「黒紙を引き当てたのに玉が四つじゃないか。なんともこの男、早速使ったのか」
「まったく、相変わらず目ざといね。だから鏡は嫌いなんだよ」
青年の言葉に溜息をついて女店主が水晶に手をかざせば、水晶の中の映像はゆっくりとブレスレットへと近寄っていく。
「自分の思い通りになる素晴らしいアイテムを手に入れた自信過剰なお馬鹿さんはまず何をすると思う?」
「自信過剰な、つまりこの坊やはそういう坊やということか」
「あぁ、そうさ。自分が劣っていることを認めないんじゃない、自分が劣っているなど微塵も思わない連中が便利なアイテムを手にすればまずは疑う」
「そうか? 使うということを避けるんじゃないのか」
「使うことをしない奴はここで契約なんてしないよ」
「なるほど、そりゃそうだな」
「契約をしてアイテムを手に入れた連中は疑い、そして試すのさ。それが、欲に満ち自分が誰よりも優れていると思っていればいるほどね。だから、この子も試して見たくなった。『試験』と言う名を借りた疑いの儀式。これだけあるんだからその一つを試しに使ってもあと四つもあるじゃないか。試してみて叶えば今までの出来事は本当だ、四つは本当に自分の望むことに使える……、なんて浅はかなのだろうね」
「頭が悪いんだな」
「あぁ、良くは無いね。だが、自身は凄く頭が良いと勘違いしている。自分で自分の力量が測りきれていない。だから、この方法が一番の、最善の方法だとそう思ってしまって自分に酔いしれていく」
「願いはたった五つしか叶わないと言うのに、五つもあると思っているなんて、可愛らしいねぇ」
「目の前の事実をどう捉え、どう理解して自分の中に取り込んでいくのか。この子は知らない。ひとつの選択がその後の全てを変えていく事になるかもしれないと言う事を」
女店主はそう言いながら、口の端をあげて嬉しそうに微笑み水晶に映る男にキスを送った。
妖しげで楽しげなその女店主の様子を見て、大きな溜息をついた青年が思ったことを素直に呟く。
「相変わらずと言うか、なんというか」
「何だい? 歯切れの悪い言い方は嫌いだよ」
「元々嫌いなんだろ? 鏡はさ」
「あぁ、嫌いだね。悪趣味ったらありゃしない、覗きの常習など私には考えられない世界だよ」
「ひでぇ言い様だな、自分だって今覗き見しているじゃないか。それに悪趣味はお互い様」
「私はね、自分の石達が居る場所しか見ることは出来ない。お前みたいに誰彼かまわず見ているわけじゃ無いよ。それに聞き捨てなら無いね、私の何処が悪趣味だって言うんだい」
「だってそうじゃないか。全てを分っていながら余り説明せずにあの男に石を与えたんだろ。いつものように」
「あぁ、そうさ。それの何処が悪趣味って言うんだ。それが私の商売のスタイル、それをとやかく言われる筋合いはないね」
「ほら、悪趣味だ。商売と称してここでそうしてほくそ笑んでるんだから」
「私なんかお前に比べれば可愛いもんだよ。人の了解も無く覗くは勝手に入ってくるは、最低の極みじゃないか」
「石屋と違って俺のは防ごうと思えは防ぐことが出来る。俺と関わりたくないなら鏡をなくせば済むだ」
からからと乾いた大きく笑って言う青年に女店主はきつい視線を送れば、そろそろ引き際とばかりに青年はその体を光らせ始めた。
「まぁ、そんなカッカしないでさ、悪趣味同士仲良くやろうぜ」
鏡が光を反射させるようにひときわ鋭く輝いて、青年の姿はその場から消え去る。
青年の姿と気配が完全に消えると、女は身だしなみの為にと棚の上に置いてある、店の小さな鏡の前に行き、鏡を棚に伏せて呟いた。
「仲良くだって? どの口が言うのかね、あいつは。二度と来るんじゃないよ、若造が」
苦々しく舌打ちをし、女店主は体を反転させて席に着く。
数度の深呼吸をした後、水晶を眺め眉間の皺をゆっくりと解いて再び口の端に微笑を浮かべた。
水晶にはベッドの上で寝転がりながら大きく笑い、魅入られたように石を眺める秀雄の姿があった。
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