6話

「おい、おぉい! 生きとるか?」

 秀雄は乱暴に体をゆすられて眼を開ける。

 そこは自分の住む寮の入り口で、自分をゆすっていたのは警官だった。

「あんた、こんな所で何してんねんな。気分でも悪なったんか? 家はどこや?」

「い、家? 家はこの寮で」

「学生さんかいな。酔っ払ったんかなんか知らんけど、こんな所で寝とったら財布すられてまうで。所持品はちゃんとあるか?」

 警官に言われ自分の所持品を確かめた秀雄は全てある大丈夫だと警官に言い、警官はそれを聞いて「ほなら、ええけど」と少々あきれながらも再度気をつけるようにと注意をして去って行った。 

 警官を見送った秀雄は大きく息を吸い込んで吐き出し首を回して辺りを見る。

 どうやら寮の玄関近くの壁にもたれかかるようにして居た様子。

 この近くに交番や警察署は無いので、恐らく不審者と思った誰かが通報したのだろう。

「通報したんが寮の人間やったら失礼な話や。少ない寮生の顔ぐらい覚えておけよ。それにしてもこんなところで気を失ってしもうてるなんて、あれは夢やったんか?」

 あたりはすっかり日も暮れて、電柱にある蛍光灯の光が自分を照らしている。

 あの夕焼けの明るい街並みは何処にもない。

 夢だったと言う方が現実的だと結論付けて歩き出せば秀雄の右腕から鈴の音のような澄みきった音がした。

 見れば手首にブレスレットのように虹色の糸で結ばれた石が五つ、無数のいろんな色の光を放ちながらそこに存在している。

「やっぱり夢やなかったんや」

 右手首は光りの粒を放出しながら輝いていて、誰かに見られてはまずいだろうと秀雄は洋服でそれを隠しながら寮の自分の部屋に向かった。

 寮と言っても昔ながらの物ではなく、管理人がいる普通のマンションの様なもの。格安で充実したワンルームでバストイレは各部屋に備え付けてある。だが、寮であるがゆえに門限もあるし自由度は低めの為、人気はなく利用しているものは数名。秀雄も価格が安いという理由で多少の不自由は我慢して住んでいた。

 さまざまな学部や学年が利用しており、交流を深める者が多かったが秀雄がその中に入っていくことは無い。

 友人は数人、大勢で何かするのは嫌いであり、群れることは恥だとも思っている。たった数人の友人ともあまり深い付き合いをしようとはしない。秀雄にとってそれは邪魔なことであり、不必要なことであった。

 日中、締め切られたままの部屋は何処か空気が悪く、いつも真っ先に窓を開け放し換気扇のスイッチを押す。

 その間にドアに設けられている郵便受けをチェックして、備え付けの小さな冷蔵庫から水のペットボトルを取り出しベッドに腰掛けた。

 その頃には蒸された空気は外へと逃げ出し、部屋の中に夜の冷えた外気が入り込む。ペットボトルを咥え喉へ直接水を流し込みながら、右腕をゆっくりと上げて輝く石を眺めた。

 光の粒は虹色の糸から放たれているようで、空中に向かって放たれ弾けると糸の色が薄くなっているように見える。

「糸の色が無くなるっていうんこういうことやったんか。だとしても、これだけじゃ期限が分からへん」

 光が弾け飛び糸から色が無くなった時、願いをかなえてもらえる期限は無くなる。秀雄はあの不思議な空間での出来事を思い出すように瞳を閉じた。


 女は言うた。

「貴方が心の底から、本心から願った事柄を偽りなく言葉のままにこの石は叶えてくれるわ」

 それが願いの叶え方やったとして、本心からっていうんは一体どうすればええんや? とにかく願えってことなんか?

 第一、必ずなんて本当にあるんかいな。世の中に絶対はあらへん、今まで俺の「絶対」は他の連中にとって「絶対」やなかった。

 俺はもともとこういう他力本願なものが好きやない。

 占いにしろお守りにしろ、要は自身のまたは他者の気持ち次第の話や、俺は信じてへん。今もこうして現実に石があって、自分自身で経験してきた事やけど頭のどこかでは疑っとる。

「本当かどうか、確かめてみたらわかる話や」

 あの出来事が事実であったとしても、あの女の言うことが正しいとは限らへん。

 第一、あの女は肝心なこととなると話をはぐらかして、ちゃんと言わへんかった。はぐらかすと言うことは事実ではないことが含まれている可能性もあるわけや。

 「願いは五つ叶う」そうあの女は言うた。

 つまり五つもあるちゅうことや。

 どうせ期限内に使い切らんとあかん五つや、一つぐらい試してみても問題はあらへん。

 確実に結果の出ることで試し、それが叶えば後の四つで俺が本当に叶えて欲しいこと願えばええ。簡単すぎるのはあかん。実験やけど「必ず叶う」ちゅうことを確かめんと。せっかくなら本当に叶えたいことを願わんと勿体無い。

 暫く考えた俺は願いを決め、どういう風にしたらええんかわからへんまま、自分の右手首にある五つの石を左手で手首ごと包むように握り締め、己の頭の中で強く願った。

「あの馬鹿な教授に俺を認めさせろ。俺のレポートを、俺の能力を! 才能を認めさせろ!」


 秀雄は瞳を閉じ、瞼に遮られた薄明かりの中で自分のレポートを頭ごなしに否定した教授の顔を思い浮かべた。自らの才能に嫉妬し否定されたと思っている秀雄はとても強く、それこそ心から「平伏せ! 」と言わんばかりの強い思念で願う。

 一際強く自分の右手首を左手で握りしめた瞬間、五つの石のうちの一つが透明度の高い濃い紫色へと変化し、自分の左手をすり抜け、花火が弾けるように砕け散った。

 空中に飛散した石のかけらは時間が止まったかのようにその場に留まる。

 そして、どうなるのだと見守る秀雄の頭上で強烈な光を放ってさらに細かく砕け散り、石は空気の中に溶け込んで消えていった。

 手元に残った石は四つ。

 石が一つ外れて砕けたが虹色の糸が切れていることはなく、どちらかと言えば石が糸を通過したと言った感じ。先ほどと違う所と言えば、失われかけていた虹色の色合いが濃くなっていた事ぐらいだった。

(なるほど、願いを叶えると石が無くなって、糸の色が戻ってくる。つまり、糸の色が薄くなったときに願えば期限が延びるというわけや)

 石の様子を見、分析していた秀雄は突然鳴り響いた自分の携帯電話の着信音に驚き体を揺らした。

 頭は動いているがまだ夢の中に居る様な妙な感覚のまま急いで電話を取れば、液晶部分に先ほど自分が平伏せとばかりに願った教授の名前が表示されている。

 今願いそしてその願いに関係する人物が電話をかけてきた。実験結果が出たのだと一つ深い呼吸をしてから受話ボタンを押す。

「もしもし、田所です」

「あぁ、良かった。田所君悪いな、夜に電話かけてしもうて。今大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。何か用でしょうか?」

 声はいつも通りを装った秀雄だったが心臓は緊張し早鐘を打ち始めた。

「それがな、君のレポートをもう一度見せてもらったんやけど」

 間もなく実験結果が出る。

 今秀雄の頭の中はレポートがとか、教授がという事よりも本当に石が願いを叶えたのか、それだけとなっていた。

 願いがかなったとしたら、あの不思議な場所での出来事も、あの女店主も、全てが本当であると実感できる。

 そう考えていると、あの女店主の艶やかで柔らかいふっくらとした濡れた唇が秀雄の頭に想い浮かんだ。そしてその唇は自分の耳たぶにそっと触れて、

「ね? 言ったでしょう?」

 と、少し伏せた瞳で唇の端を少しだけ上げ、自分の体に腕を絡めてくるような気がした。

「……というわけなんや。おい、田所君、聞いてんのか?」

 ぼんやりと女店主の事を思っていた秀雄は教授の大きめに呼びかけてくる声で現実に引き戻される。

 内容は秀雄のレポートは大変すばらしいと言う事、そして明日にでもレポートの評価を改め、さらにその事柄について少し語り合わないかという事だった。

 電話越しの教授の声に思わず「ざまぁみろ! 」と言ってしまいそうなのを何とかこらえ、明日の午後には伺いますと返事をして電話を切る。

 秀雄は小さな笑みを口の端に浮かべながら自分の腕でしゃりんしゃりんと音を立てて存在を示す残りの四つの石を眺めた。

 こんな素晴らしい事があっていいのだろうか? いや、これは現実であり自分は素晴らしい幸運を手に入れた選ばれた人間なのだ。秀雄の気持ちは徐々に高揚していく。これほどに気持ちのいい事は生まれて初めてかもしれないと小さく息を漏らしながら笑った。

「石が砕けて教授から電話があった。レポートの内容について、あんなにも否定していた教授のほうから俺に是非来てくれと言ってきたんや」

 徐々に腹の奥底から湧き上がってくる笑いに耐え切れず、にやついた口元は大きく開いて笑う。ひとしきり笑った秀雄は改めて自分の右手首で輝き続ける四つの石を見た。

「四つもあるんや、次は何を叶えてもらおうか。まぁ、どうやら今ので期限も伸びたみたいやし、ゆっくり考えよう」

 再び上がってくる笑いをこらえながら秀雄はシャワーを浴びに風呂場に向かった。

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