25話

 そうして眺めていると、ひび割れ同士が繋がった場所からはらはらと床に向かって何かが剥がれ落ちていく。

 崩れていくその向こう側に見えてきたのは左半分には真っ白な仮面が、その半分ににやつく白に近い肌色の顔が見えてきた。

(仮面? あの老人の顔は仮面だったのかしら、本当の顔の様に思えたけど)

 床に全ての欠片が落ち終わると、真っ白な無表情の仮面と、にやつく顔をこちらに向けて右手を自分の左胸に当て、ゆっくりと腰を折ってお辞儀をした男が静かに語る。

「ご来店ありがとうございます」

「ご来店? ここはお店なんですか?」

「えぇ、仮面屋。人の中に有る複数の仮面の中から埋もれてしまったその人一番大切な仮面を呼び起こしそれを表へ引き出す仮面屋でございます」

 店主の静かな声は鈴の耳を通り、脳へと浸透していく間に、何かの戒めを解き放った。

 とてもゆっくりと、鈴の頭の中に呼び起こされ記憶が「以前の自分」を思い出させていく。

 それは一週間ほど前のこと、自分は確かにこの場所にやってきていたのだという記憶。

 店の雰囲気はすっかり変わってしまっているように見えるけれど、何気に入って出る事も出来ず、店主の言うままに頷いていた仮面屋。

 そして更に鈴はあの時、自分の中に溶け込んで消えてしまった仮面のことを思い出していた。

(あれが、私にとって一番大切な仮面だったのだろうか)

 店主が呼び起こして引き出したそれは自分にとって彼女だったのだろうかと疑問を頭にめぐらせながら、目の前に現れた見覚えのある仮面屋に鈴はしっかりとした口調で言う。

「私は貴方を知っています」

「はい、思い出されたのですね?」

「えぇ、どうして忘れていたのかしら?」

「貴女の仮面がそう望んだからです」

 仮面が望んだ、その一言に鈴は眉間に皺を寄せる。

 思い出すか出さないか分からない中で、この仮面屋のことを忘れるように仮面が望んだと言うなら、仮面は自分の存在を消したかったのだろうかと考えたからだ。

「私の仮面。それは彼女ですか?」

「その答えは貴女自身が出したではありませんか」

 店主の無表情な白い仮面が優しく笑って言うのを見て鈴もつられて微笑んでしまう。

 店主の言う通り、鈴は鈴の答えを出した。店主の言い方では、それは正解だった様子。仮面は彼女であり、私もその仮面の中の一つ。

 彼女が自分の存在を消そうとするはずが無い。

 鈴は彼女が仮面であるという事実をもってそれに確信を得た。「鈴」の中の無数に存在する「鈴自身」が作り出してきた仮面の一部である彼女。恐らく、あれは彼女にとっての賭けだったのだ。

「彼女は貴女にしまい込まれてしまった、今の貴女に一番大切な仮面。私の商品はお気に召していただけたでしょうか?」

「えぇ、十分すぎるほどに。私は私の為に彼女をしまいこんでいたと思っていたけれど、それは違った。私に本当に必要なのは私であり、彼女だったんですね」

「そう、それに、貴女はもっと感情を表さなければならない。楽しい時は笑い、悲しい時は泣く、それが人に与えられた特権であり、許された『人』である証」

 静かな店主の声は鈴の中にまるで砂が水を吸い込むようにしみこんで、鈴はただ頷いていた。

「『人間の社会』つまり自分以外の存在がうごめく世界。その世界ではありのままで居る事はとても難しい」

 自分以外、「鈴」以外の「人」が「鈴」の周りに居る世界。

 それは「鈴」以外の「人」の中に「鈴」が居なければならない世界。

 自分勝手に自分だけでいる世界とは違ってくるのは当たり前。「人」にあわせ、「人」を見なければいけない。だから、ありのままで居る事はできず、自分の中にさまざまな自分を作り出す。

 店主の言葉は更に続く。

「難しいけれども、その中で自分の中の自分を押し込めてしまう必要は無い」

 店主の言葉の意味を初めにこの店に尋ねたときに言われていたとしたら自分は果たして理解できただろうか? そんな他愛の無い疑問がふと鈴の頭をよぎった。恐らく自分はきっと理解もしなければ、それ自体を飲み込むことも出来なかったかもしれないだろう。

(あぁ、そうか)

 仮面が鈴に仮面屋を忘れさせた理由、それはそういうことだったのだ。

 鈴は自分自身をきちんと認識する事ができていない。そんな状態では例え仮面である彼女に何を言われても、取り合うことは無かっただろう。もしかすると仮面である「自分自身」を気付く事も出来なかったに違いない。

(私の『仮面』は別に私を消したかったわけじゃない。私に思い出して欲しかっただけであり、もしそれで私が消えることがあっても一緒に消えるつもりだったんだ)

「貴女は貴女」

「私は私」

「他の何者でもない」

「そう、私は『鈴』」

 鈴は自分自身を自分の両腕で抱きしめた。温かい自分自身を抱きしめ、その肩に乗せられる自らの温かな手の感触を感じる。

「そして、貴方は私以外のもの。でも、私を形作る上で欠かせない外の存在なんですね」

「人は一人で生きていく事ができる。でも、一人では生きていけない。己を認め、己の存在を確認してくれる外の存在が必要になってくる」

「でも、その外の存在に怯える事も、へつらう事もしなくて良いし、しても良い。それを決めるのは私自身」

「ありのままでいる事は難しい事だけれど、自分を見失ってはいけない」

「私自身の中の『私』をもつ事。それが私の行動を決め、私以外の者のかかわりを決めていく」

 今までの鈴では到底出なかっただろう答え。

 今までであれば周りが勝手に自分を作り上げてしまい、そんな周りがあるかぎり自分は自分ではいられないと思っただろう。しかし、今は周りの人間が自分を形作り、その中で鈴と言う人物が自分自身のあり方を自分で決めていくのだと思えていた。

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