13話

 鈴は黙りながらも心の中にゆっくりと浸透してくる仮面の言葉に、頭の中でここ最近の自分と母親の事を想い返す。

(お母さんに「最近どう? 」と聞かれたのはいつの事だっただろう。思い出すこともできないほど前だ。私の変化に気付いて話しかけてくれた事も随分前。聞かれなかったから、気付かれなかったから悩みなんて話したことなかった。それに話そうと思ってもそれが出来なかった。話していても私の話題はお母さんの話題に取って代わられる。何より私の話題は私が話しちゃいけないことだった。だって、私は母さん自慢の良い子なんだもの)

 最近では諦めてしまったかのように話さなくなった鈴だが、学校という閉鎖された世界での苦しさが始まった時、何度も母親に話そうと試みた。しかし、母親は自分の話が終わった後、必ずこう言った。

「会社の子は本当に駄目だけど鈴はそんなことないわよね」

「鈴は良い子だから手がかからなくって助かるわ。流石、私の自慢の娘」

 こんな事を先に宣言されて誰が弱音を吐けるだろう。

(私は、良い子なんかじゃない、良い子を演じているだけよ。手がかからないんじゃない、我慢しているのよ私。自慢なんかじゃない、学校では存在価値なし、死ねって言われているのよ、私)

 ふつふつと湧き上がってくる思いに鈴の心は締め付けられるように苦しくなり、胸を両手で押えながらその場にうずくまって、自然と溢れ始める涙は膝を濡らした。

「ほらね、彼女の中の鈴の存在を『鈴』はどうやって確かめるって言うの?」

 苦しさでどうにかなってしまいそうな鈴に向かって放たれる仮面の言葉に鈴は唇をかみしめる。

(そう、ね。貴女が正しいのかもしれない。見てくれている、そう私が信じ込んでいただけで、現実のお母さんは私なんて見ていない)

 涙声で言う自分の肯定の言葉に、鈴は仮面が「そうでしょ? 」と嘲笑うと思っていた。しかし、予想とは裏腹に仮面は、急に静かになって笑う事も無く、ただ心に悲しい感情を広げ、深く意味ありげな溜息をつく。

 その態度に涙を手で拭いながら鈴は首を傾げた。

 あざ笑うかのように矢継ぎ早に言葉を並べてくる仮面の考えが正しいのだと同意し、同調した。にも拘らず、それが不服だと言わんばかりの溜息と、悲しげなあたりの雰囲気。反論すれば叩きのめすかのように言葉で責め立て、同意すれば悲しげで不満げ。

 反する仮面の感情に、鈴は訳が分からないと涙を未だに流しながら仮面に向かって聞く。

(貴女、一体私にどうしてほしいの?)

 思わず鈴が呟いた言葉は仮面に届いているはずだが仮面がそれに応えることはない。

 再び無言となり玄関のドアノブを握った。僅かに扉が開き、朝の光が扉の隙間から差し込んできたとき、背後で物音がして振り返る。

 今まで見たことないほどに疲れ切った顔をした母親がそこに居て、じっとこちらを見ていた。

「おはよう」

 仮面は振り返った顔をすぐにそむけて無愛想に言い放ち、その言葉の冷たさに鈴の心には小さな針が刺されるような痛みが走る。

「おはよう、鈴。あのね……」

「行ってきます」

 何かを言い掛けた母親に大きなため息を浴びせ、言葉を遮る様に玄関ドアを開いて外に出た。

 玄関扉が閉まる直前、視界の端に映り込んだ母親は手を伸ばし掛けてひっこめ、とても悲しそうな表情を浮かべて「いってらっしゃい」と小さく呟く。

 いつも明るく豪快な母親が酷く小さく思え、息苦しい胸の痛みに何度も鈴は深呼吸をしていた。

 いつもの通学路を歩いていく。

 鈴の体が仮面という別の者が操っている等という事は誰も気付かない。というよりも鈴という人物自体を気にする者が居ない。当たり前のことだったが、誰も気付いてくれないのだと少々落胆していた。

 仮面は髪を風になびかせて颯爽と歩いていく。

 いつも下を向き、これから起こるだろう出来事に怯えながら登校している鈴とはまるで違い、胸を張り堂々としていた。

 その中で鈴は出かけるときに見た母親の姿が思い出され、仮面がそのことを全く気にしていないことに機嫌を悪くする。

(ねぇ、何もあんな態度を取らなくてもいいんじゃない?)

 鈴の言葉に仮面は「あんなって一体何の事? 」と首を傾げた。それは本当に分からないといった風ではなく、わざとらしく分かっていながらも分からない振りをしているという感じ。

(わかっているくせに嫌な感じ。お母さんに対しての態度のことを言っているのよ。あそこまでつっけんどんにしなくてもいいでしょ? お母さん、何か言いかけていたのに)

 出かけの母親の顔がやつれていて寂しそうで、何かを言いかけているのに出てきてしまった事に鈴の心の中では後悔が渦巻いていた。

 ここ数日の鈴の態度に何か思うことがあったのかもしれない。「何? どうしたの」と聞いてから玄関を出てくれれば少しは母親の様子が違ったものになったかもしれないのに、とそう思っていた鈴の心を再び読み取った仮面は呆れるようにため息を吐く。

「とことんお馬鹿さんなのね鈴って。違ったものって何が違うようになったって言うの? そこで声をかければどうなるか分からないのね、良い子の鈴は」

(どうなるかって分かっているわよ。こんな後悔をせずに済んだわ)

 応えた鈴の言葉に再び大きなため息を付いて「やっぱり馬鹿ね、鈴って」と吐き捨てるように言うと、それ以降鈴が何を言おうとも仮面は返事をしなかった。

(なんなの? 意味が分からないわ)

 いつもは下を向いて地面の変化で今どこを歩いているのか考えて学校の門を通り、教室まで一人で歩いていく。それが鈴の日常であり登校風景であったが、仮面は違った。

 いつの間に友達になったのか、鈴が内側で考え込んでいる間に仮面の周りには二人の同じ学校の制服の女子が居た。

 鈴にとって見覚えのある人ではないから、恐らくクラスメイトではない。

 しかし、そんな見たことの無い子と仮面はいつの間にか打ち解け楽しげに笑いながら話して登校しているのだ。

(何、これ……)

 驚きながら様子を眺める鈴。

 誰とも知れない人と、いいや、鈴であればどんなに知っている人であってもこんなに楽しげに話し、笑い、学校に向かうなんてことは無かっただろう。

(こんなの、私じゃない)

 思わず呟いた鈴の辺りに笑い声が響いた。

「あら、否定するの。でも残念ね、これも鈴よ。言ったでしょ、私は鈴だって」

 暗闇の世界に響き渡った仮面の声に鈴は呆然としてしまった。

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