6話
鈴は口先から出かかっていた言葉を飲み込む。
「どうぞ」とは仮面を取れという事なのか、言葉を出していいという事なのか分からず鈴は仮面と店主、両方を見る様に視線を動かした。
仮面をかぶっていない方の、にこやかに閉じられていた瞳がゆっくり開き鈴を射るように見つめてくる。その瞳があまりに強い光を放つので鈴の頭の中ではやはり怒らせてしまっているのだと忘れかけていた自責の念が再び渦巻き始めた。
しかし、店主は鈴の瞳が細かく小さく揺らめき、視線をゆっくりと自分から反らすのを見て組んでいた手を解き、片手を差し出して言った。
「さぁ、受け取りなさい」
先程より少々強めの口調で言う店主に、鈴はいつものように反射的に頷いて受け取ってしまう。
目の前の、笑みを浮かべながらもその瞳の奥には笑みの見えない店主が差し出した仮面に手を伸ばした。そして、鈴の両手が仮面にとどき、しっかりと握りしめた途端、真っ白な仮面は端から砕け小さな粒となり光り輝きながら鈴の手から消えていく。
空気中に無数の光の粒が舞う姿を眺めそれがすべて消えてしまって暫く、鈴はそのままの姿で固まってしまっていたが、次第に思考が戻ってくると瞳を徐々に見開いて差し出されている両手を見つめた。そして「あぁ! 」と大きな声を上げ店主を見つめる。
「ご、ごめんなさい!」
口から思わず出たのは謝罪の言葉。
どうぞと言われた仮面、恐らく売り物だろうものを壊してしまったと鈴は慌てたのだ。どうして崩れてしまったのかという疑問よりも、自分のせいで商品を壊してしまったという事が先に思い浮かび、鈴の身体には再び自己嫌悪という鎖が絡みつく。
反射的に瞳を閉じて下げた頭。
謝って許されることではないのだろうか、どうすればいいんだろう。まとまらない考えがひたすら頭の中を回った。
いつでもどんな時でも、例え自分が悪くなくとも鈴はまず謝ってしまう。それで事が収まる場合もある、しかし逆にそれによって自分の立ち位置を悪くしてしまうこともあった。
何時でもやってしまった後、自分の身の回りの態度がおかしくなっていってから、自分自身の行動に嫌悪感を抱くのだ。
自分で生み出した鎖に苦しく締め付けられて思わず漏らしてしまった溜息。それを聞いた店主は小さな笑い声を嬉しげに出し席を立って頭を下げたままの鈴の横に立って肩に手を置いた。
「良いのですよ。気になさらないでください」
店主が置いた手からはじんわりとした冷たさが広がり、肩の血管をとおって冷たさが頭に伝わっているのか、色々と考えていた鈴の頭の中は熱が冷めていくように静かになっていく。鈴はゆっくりと顔を上げ、自分の右隣に居る店主の方に瞳を向けた。
「でも、売り物だったのでは無いんですか?」
「えぇ、確かに商品です。しかし、あの仮面は貴女にと選んだもので謝っていただく必要はない物です」
「私に? でも、幾ら私にと言っても壊してしまったのですから弁償をしないと。今手持ちはあまりないんですけど」
鞄を漁り、落書きや切り傷などでぼろぼろになっている財布を取り出しながら言う鈴に店主は首を横に振る。
「弁償の必要もありません。何故なら壊したわけでも壊れたわけでも、消えたわけでもありませんから。仮面が貴女を選んだに過ぎない」
「仮面が私を?」
一体何を言い出したのだろうと、きょとんとしたまま首を傾げて店主の言葉を繰り返した鈴は自分の両手を眺めた。
勿論のことながら自分の手の中に渡された仮面は無い。
確かに崩れて粉々になり消えてしまったのだから無いのが正解だと思うが、店主は違うと言う。全く何を言っているのかわからない状況に鈴はただ首を傾げた。そんな鈴の様子を楽しそうに眺めて店主は続ける。
「弁償の必要はありませんが、お約束してほしい事がございます」
鈴は何もかもが突然の店主の行動に終始翻弄されているような気がしながらも「はい」と素直に返事をした。
「一週間後、必ず再びここにお立ち寄りください」
「一週間後、ですか?」
「はい、必ず。この十字街にお立ち寄り頂き、この仮面屋にお越しください。絶対に」
そんな事よりも仮面は一体どうなったのか、貴方の言っている意味が分からないと聞こうとした鈴だったが店主の鋭い視線が突き刺さり、思わず体を縮め、首を縦に振って了承の態度を取ってしまう。
「約束ですよ」
鈴の耳元まで迫ってきた店主の口は囁くように告げて、じんわりと鈴の肩に自らの指を喰い込ませた。骨を折ってしまうような力の入り具合に鈴は顔をしかめて店主の手を払い、急いで立ち上がると店主から距離を取る。
「もし一週間後、用事があって来られない場合はどうしたら良いんですか?」
未だ痺れる様な痛みが残る肩に手を置いて、店主を見つめた鈴がそう聞けば、店主は声を殺すように小さく笑った。
「用事ですか、いいえ、その時の貴女にはここに来る以外の用事は無いですからご心配なさらなくても大丈夫ですよ」
「そんなの、分からないじゃないですか」
「例えば、貴女のおっしゃるように一週間後に来ることが出来なかった場合、その後貴女はもう二度とこの店に訪れることはできません。この店に決められた営業時間はございませんが、お約束の日の午前十二時を過ぎ次の日になりました時、二度とこの店に立ち入る事は出来なくなります」
「二度と、ですか?」
店主の言葉に鈴の頭の中には疑問が浮かんでいた。
商品が無くなってしまったのにも関わらず弁償はしなくていい、その代り一週間後にこの場所に必ず来なければならない。
既にその時点でよく分からないことを言い出しているのに、約束の日に来なければ二度とここには来られないと言う。二度と会えないのであれば、商品をすでになくしてしまっている店主が困るだけではないだろうか。
それに、どうして一週間後という期限があり、それを念押しするのだろう。いくつかの疑問を頭に浮かべて視線を向ければ店主の瞳は閉じられて、にこやかな表情をしている。
「いいですね、二度と立ち入れませんから、くれぐれもお気をつけくださいませ。とはいえ、貴女はきっとやって来てくれると信じていますが」
表情とは裏腹に強い口調でもう一度吐き出される店主の不気味な言い回しは鈴をとても不安にさせた。自分が頭に思い浮かべた疑問を聞いてみたいような気もしたが、この店主は聞いたところで恐らく答えることは無いだろうと言葉を飲み込む。
店主からの約束のその意味理由は分からない、しかし、考えてみればとても簡単な事で、とにかく何時でも良いから一週間後、もう一度ここに来れば良いのだ。
鈴は考えれば考えるほど意味が分からなくなってくる事柄に、なるべくあれこれ考えずただ結論だけで良いと自分に言い聞かせる。そして自分の思うように動ける今、とにかくこの訳の分からない店から出ようと店主の瞳に真っ直ぐ瞳を向けて「わかりました。では必ず一週間後にお尋ねします」と言った。
店主の方に体を向けたまま後ずさり、踵にこつんと扉が当たって鈴は後ろ手に探ってドアノブを握る。店主はその様子を咎める事無く見送り、ゆっくりと扉が動けば結婚式の祝福のベルのような鐘の音が鈴の耳に響いた。そして、扉から出て行こうと背中を向けた鈴に向かって静かな店主の声が聞こえる。
「ご来店ありがとうございます。必ず、またのお越しを」
妙に涼しげで爽やかな、鈴の気持ちとは全く正反対の声色に眉をひそめて少し横目に店主の方を見て見れば、その顔はとても楽しげで怪しくにやついていた。
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