4話
沈黙が続く。
店主はそれから何も喋らずじっと鈴の背中を見つめ、鈴はその視線を感じながらも頭の中の混乱が収まらず瞳だけを動かして店内を見回していた。
薄暗い店内を照らし出しているのは壁に取り付けられた四つのランプと目の前のテーブルに置かれたランプだけ。
不規則に揺れ動く光にそれが電球ではなく蝋燭なのだと理解した。
(あぁ、だからこんなに薄暗いんだ)
暫くすれば暗闇に慣れてきたのか、そのわずかな光でもこの部屋の様子が分かるようになる。分かる様になって改めて見ればその異様さにさらに鈴の頭は混乱した。
テーブルは自分の目の前にある一つきり、奥にはカウンターらしきものがあるが飾り一つ置かれておらず、使っている気配はまるでない。
なによりも不気味なのは店の壁に所狭しと飾られている仮面。
怒っている物もあれば笑っている物、そして泣いている物。
どこかの民族が祭りに使うような、もしくは芝居に使うようなただの仮面ならば例え驚きはしても異様だとは思わなかっただろう。しかし、この店の仮面は色彩豊かなそれではなく、単一色でどこまでも人間臭い。
仮面の人物がこの世界のどこかに存在し、その表情をした瞬間の顔の皮を切り取って来たかのような、小さな皺の一本まで再現された不気味な仮面。
(なんなの? 気味が悪い)
びっしりと飾られた店の仮面に見つめられる鈴。
まるで品定めでもされているような気分で鈴は息が詰まるようだった。なによりも一番自分を品定めしているような生きた視線を浴びせながらも喋りかけてこない店主の態度に溜まらず口を開く。
「あの、どうして喋らないんですか?」
鈴が席に着くまでは聞いてもいないことまで饒舌に語っていた店主。
しかし、鈴が椅子に腰を下ろしてからは一言も発していない。
ずっとこのままというわけにもいかないと、鈴は自分から話題をと思ったがなんと話しかければいいか分からず、とりあえず黙ったまま自分の背中に視線を浴びせてくるだけの店主に自分は不快であると言う事を伝える意味でもそう聞いてみた。
店主は鈴が訪れるのを知っていたと言うが鈴自身は初対面であり、そんな人に対して「気持ちが悪い」という類の言葉をかけることは出来ず、自らの気持ちを直接ではなく相手に悟ってもらおうという言葉を選んだ。
そんな鈴の気持ちを知ってか知らずか、店主は歯の間から息を漏らすように笑い、足音をたてながらゆっくりと鈴の目の前に移動する。
「私が言葉を発しないのは、貴女が喋らないからです」
その言い方は「貴女が悪いのです」と暗に言われているようで鈴の顔は歪んだ。
「私は、貴方が喋らないから喋ってなかっただけですけど」
負けじと鈴も言い返せば、店主は一瞬目を見開き驚いた様な表情を見せたが、すぐに先ほどと同じ無表情な様子に戻り笑みを浮かべる。
「なるほど、貴女も私と同じ理由で喋らなかったと?」
「別にそう言うわけじゃないですけど、貴方だって別に私が喋らなくても喋りたければ喋ればいいじゃないですか」
少し不貞腐れた様に言った自分の言葉に、店主が小馬鹿にしたような物言いで聞き返してくるので思わず少し声の調子を強めて鈴が言った。すると、店主は首を横に振ってこたえる。
「貴女が喋らなければ喋りません。当然店ですので『いらっしゃいませ』と『ありがとうございました』は言いますが、それ以外の言葉を私が自らの判断で貴女に語りかけることはありません。私が語る時、すなわちそれは貴女の言葉、気持ちに対してのみ。これが私と貴女の関係です」
鈴にはこの店主の言っている言葉の意味が全く分からず首をかしげた。
関係。
店主は確かにそう言った。
今先ほど会い、強制的に物事が進んでいると思っている鈴と、何も事を起こそうとしない店主の間に何の関係が生まれたというのだろうか。自分の置かれている状況も分かっていない鈴にその答えが導き出せるはずはなかった。
テーブルを挟んで目の前にやって来た店主は椅子を引き、腰を下ろして足を組んだ。その態度はとても客に対する物ではなかったが、鈴の頭の中はそんな事よりも疑問の方が大きく、店主がさらに説明してくれるのかと唇が動くのを待つ。
しかし、一向にその唇が動くことは無く、やはり自分から喋らねば言葉を発することは無いのかと仕方なく鈴は店主に向かってため息交じりに声を出した。
「聞いても良いですか?」
鈴の言葉に店主は仮面をかぶっていない方の口角を上げて、視線を鈴の瞳に向かって突き刺しながらこくりと頷き「どうぞ」と促す。
「ここは一体何ですか?」
「何と言われると店と答えたいですが、貴女は既にここは店と知っていますからね、その何というのは何を扱っている店かという事を聞いているのでしょう? ここは仮面屋です」
一言、仮面屋だと言えば済むことをあまりに回りくどく言う姿に鈴は機嫌を悪く顔を曇らせた。
言葉の端々に鈴の聞き方が悪いのだと言わんばかりの態度が見えたからだ。大きく鼻から息を吸い込んでゆっくり吐き出し、胸のあたりに上ってきた嫌な気配を沈める。
「仮面っていうことはもしかして壁の仮面は売り物? 仮面ってお面の事ですよね、ずいぶん私が知っているのと違うような」
「そうですか? そんなにかわりませんよ、面とは仮面の事ですし。ただ、当店で扱っております品は芝居や遊びなどで顔に単に装着するだけの品と同じではありません」
「お面なのに顔につけないってことですか?」
「さぁ、どうでしょうね。別につけてもいいですが、つけるためでもないと言っておきましょうか」
自分の質問に答えてくれてはいるものの店主の答えは鈴が聞きたい答えとは違い、面倒な言い回しをして自分を煙に巻いているように感じ口をつぐんだ。
自分が喋らなければ店主も喋らない、わかっていたが喋りたいと思わず、できればさっさと帰りたいと思っていた。しかし、未だ鈴の体はこの場所を離れることが出来ない。
(本当に何度見ても気味が悪い。こんなお面が売れるのかしら?)
しかめっ面のまま顔を動かして今一度あたりの仮面を見つめる鈴に店主から声がかけられる。
「仮面に、興味がお有りですか?」
自分が喋らないと何も言わないと言っていたにも関わらず、話しかけてきたことに驚き、どう答えたものかとあわてた鈴。しかし、仮面について全く興味が無いわけではなかった。ただ、それを素直にそうですと鈴は言葉に出すことが出来ない性質で瞳を泳がせて口籠る。
「説明して差し上げてもよろしいですが、説明を聞くか聞かないか、それは貴女の判断です。先ほども言いましたがそれがここでの貴女と私の関係。さぁ、いかがなさいます?」
そんな鈴の様子を分かってか、店主はそう提案し、無表情のはずの真っ白な面が怪しげに微笑んでいるように見える。まるで鈴が「はい」というと思っているかのような態度に返事をするかどうか鈴は迷った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。