3話

 暫くの沈黙が続く。

 此処は一体何処でしょう? そう聞きたいが、それはなんだか間抜けな質問に思えてしまい言い出せず。

 また店舗の扉を開けてしまったからには何かしら、購入するなり商品を見るなりした方がいいのだろうかとも考えてしまい、鈴はどうしてものだろうと黙り身動きできなかった。

 店主は店主で、商品を勧めるわけでもなく、何も言わずその場に立っている。

 沈黙に耐え切れなくなった鈴が「あの、すみません」と意を決して口を開いたと同時、言葉をかぶせるように店主が「なんでしょう? 」と返事をした。

 その間髪を入れない返事に鈴は驚き、肩をびくりと震わせて下を向いて首を横に振る。

 鈴の態度に店主は引き上げていた口元をさらに引き上げた。

「すみませんと呼びかけましたよね?」

「いえ、何でも」

「『何でも』、何でしょう?」

 何でもない、そう言う言葉の意味で使った「何」という単語を、まるで何かがあるかのように言いかえしてきた店主の瞳はまるで全てを見透かしているようだった。

 その様子に、鈴は湧き上がってくるなんとも言えない不安を覚え、思わず踵を返す。

「おや、もうお帰りですか? 瀬戸鈴さん」

 名乗ってもいないのに自分の名前を呼ばれ、鈴は踵を返した足は止まり瞳を見開いて青ざめていく顔を店主に見せた。

「……どうして、私の名前を」

 ゆっくりと、背中を向けていた体を返しながら聞いてきた鈴に店主は「あぁ」と何か一人で納得したような声を上げる。

「すみません。驚かせてしまいましたか? 貴女がいらっしゃることは数日前から知っておりましたので思わず」

 椅子を引き、さぁどうぞと促す様でありながら命令する様な態度を見せる店主に鈴はただ怖さだけがあり、足が動かなくなってしまっていた。

 「数日前」その言葉に鈴は、目の前に居る不気味な男は自分を見張っていたのだろうか? ストーカーなのだろうか? と様々な考えが頭に浮かんで不安が胸に広がる。

「あの、ごめんなさい。やっぱり私、帰ります」

「帰るのですか? 何故?」

 瞳を力いっぱい閉じて何とか絞り出した鈴の言葉に店主は鈴を見つめたまま質問を投げかけた。

 その質問は鈴の頭の中に響き渡り、無難な、相手を不快にさせないような応えを探している鈴の考えとは別の言葉が口から飛び出しそうになる。

(何故って、当然じゃない)

 思わず喉奥から口に向かって飛び出そうとする、その言葉を吐き出さないようにドアノブから手を離し慌てて両手で口を塞いだ。

 一体自分は何を言おうとしているのか。

 口を塞ぎながら店主を見れば、まるで鈴の全てを見透かしているような微笑みを浮かべていた。店主の存在に苛立ちにも似たざわついた気持ちが鈴の中に現れる。

 自分が何を言い出すか分からず、そして何より何とも言えない雰囲気のこの場所から逃げ出したいと、鈴は動かない足に必死で動けと命令したが足は動かない。小さく震える鈴の足元を眺めた店主は途切れる様な堪え笑いをして鈴を眺める。

「当然、そう、当然ね……」

 声には出していないはずの自分の言葉を繰り返す店主を、瞳を丸くして見つめている鈴の様子に視線を横に流して店主はさらに続ける。

「そう怖がらなくてもいいですよ。何も獲って喰おうという訳ではありません、私は人肉など食べませんしね。それより、せっかくこの店に訪れたのですから少々話などいかがです?」

 声色優しく誘っている。が、細く開いた瞳の奥に見える光はとても優しいなどという言葉は当てはまらず、鈴には自分を支配しようとしているように見えた。逆らっても決して自由になることは無い様に思える。鈴はその言葉と瞳の力に逆らうことが出来ないまま強制的にゆっくりと、自らの意思とは関係なく足を店主の方へと差し出した。それはまるでこの店に訪れた時のように自分の体を操られている感覚。逆らえないまま歩を進めていく鈴は恐ろしさよりも苛立ちが湧き上がり、自分の体を苦々しく思いながら店主に向かって眉間に皺を寄せつつ言う。

「帰っちゃいけないんですか?」

 鈴の言葉に少し驚いたように細い瞳をほんの少し見開いて店主は首を横に振った。

「いいえ、帰るのはご自由です。それは貴女が決めた事。私がとやかくいうことはありませんでしょう?」

「それなら、帰らせてもらえませんか」

 鈴は帰ってもいいと言う店主の言葉とは裏腹な、今もって自分を引っ張っていく店主の操りに不快感を示しながら言えば、店主はくすりと息を吐き出し笑って首を傾げる。

「これはこれは。まるで私が貴女に何かをしているようにおっしゃるのですね」

「やっているじゃないですか、私は帰りたいのに……」

「いいえ、私は何もしておりませんよ。どうやら貴女は今私が何かをしていると思ってらっしゃるようですが、それは誤解というもの。帰りたいのに帰れないわけではなく、帰りたくないと貴女自身が思っているから帰れないのです」

 店主の言葉に鈴は眉間の皺をさらに深く刻んだ。帰って良いって言われたのだから帰れば良い、鈴はそう思っていたし、実際帰りたいと思っていた。帰りたくないなど微塵も思っていない。なのに店主は、自分は何もしておらず鈴が誤解していると言う。

「私は。私は帰りたいと思っています。帰りたくないなんて思ってない」

「左様で? とてもそうは見えませんが。あぁ、怯えていて心理が見えていないのですね。大丈夫ですよ、先ほども言いました通り貴女を喰うわけじゃありません、ここは単なる店です。そして貴女の意思と意志が最も優先される場所。貴女の世界の中で唯一と言っていいほど、貴女の意見、思考が全てを決める場所。故に貴女以外の者の意見、店主である私の意思、思考は却下されますからご安心ください」

 ゆっくりと腰がおられ、左手が誘う様に空中を緩やかに舞う。鈴はその指先の動きに合わせる様に歩き、椅子に腰を下ろした。店主は鈴が席に着いたのを見届けると音をたてる事無く後ろに数歩下がり、呆然と席に着いたまま目の前のテーブルを眺める鈴の背中をじっとりと眺める。その瞳は睨み付ける様なものではなく、どちらかと言えば観察するような瞳で鈴の行動を見守った。

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