2話

 大きなため息をついて、足取り重くすっかり陽も落ちた道を一人の女子学生が下を向いて歩いていく。

 重い荷物を引きずっているような音を辺りに響かせながら行く女子学生は、明かりが点滅する電柱の下にやってくるとポケットから出したハンカチで汚れた鞄を拭き、中から鏡を一枚取り出した。

 乱れた髪を整え、更に鞄から小さなタオルを出して汚れをさらに拭き取る。

 その姿は哀れとしか言いようがなかった。

 鏡を見ながらため息をついた女子学生はぽつりと一言「今日は一段と汚れている」と呟いて辺りを見回し公園の方へと足を向ける。

 学校からのいつもの帰宅路。

 この女子学生にとって、この電灯の下でこうして自身の身なりを整えるのは日課のようなものだった。

 顔を上げて、少し先を見れば自分の帰るべきアパートが見える。

 当然の事ながら汚れた哀れな格好で自宅に戻れば何事があったのかと騒ぎになるだろう。

 少女にとってそれは望ましくない事柄。

 勿論、自宅に帰ってからだけではなく、帰りの道中においても誰かの目に哀れな姿を見せるのも好ましくない。

 故にこれといったクラブ活動をしているわけでもないのに少女はあたりが暗くなってから帰宅。そうして、より暗い場所を選んで帰宅する道中、最後に身だしなみを確認するには人通りの少ない路地のこの電灯の下が一番適していた。

 しかし、今日はあまりにも酷い汚れに持っていたいつも通りでは無理だったため、仕方なく公園にある水を使おうと自宅の方向から西へ足を一歩二歩。

 歩き始めて切れかかった外灯が照らす範囲を抜け出した瞬間、自身の足元を眺めていた少女は目に移りこんだ光景に首を傾げた。

 外灯が照らす範囲から出たはずの自分の足元が明るく赤い光に照らされている。

 首を傾げたままゆっくり上げた視界に現れたのは全く知らない街並み。

 いつもの道を歩いていたはず。そう、「いつも通り」のはずだったが、まるで知らない世界がそこにあった。

「いったい、何がどうなっているの?」

 目に入ってくる光景を眺め、その情報をやっと頭に送るだけで頭は回らない。自分が一体どうなってこんなところに居るのか、なぜこんなところで立ち尽くしているのか、それを考える事も、自身が納得する理由を見つける事もできずにいた。

 夕日の中にある古い街並み。ここは鈴が小学生の頃から住んでいた所だが、今まで一度も見たことのない場所だった。

 木造とレンガ造りが入り交じるノスタルジックな気分を沸き上がらせる建物と電信柱の立つ道は整った石畳の綺麗な十字路。

 呆然と立ち尽くしていた鈴の足が勝手に動き始める。まるで上空から垂らされた糸に操られる操り人形のように前進し、とある店舗の前で方向を変え扉の前に佇んだ。

 古い木製の扉には綺麗なステンドグラスがはめ込まれ、ドアノブには営業中の看板が掛けられている。

 一体自分がどこに居て、何故勝手にこのドアの前までやって来たのかは全く理解できなかったが、何故か鈴はこの扉を開けて中に入らねばならないような気がしていた。気持ちが脳に伝達されてしまったのか、再び勝手に手がドアノブに向かってのばされた。

 何故体が勝手に動き、どうしてドアを開けようとしているのか。その理由は分からずとも開けなければならないことは分かっており、ドアノブに手をかけてゆっくり奥に押し開く。

 「かろん、かろん」と少し低めのベルが鳴り響き、鈴はびくりと体を揺らした。

 扉の向こうは、外の明るさとは対照的に薄暗く感じる。

 単に明るい所から暗い所に入ったからではなく、その店舗の中には照明が殆ど設置されていないからだった。

 そして、その空間に足を踏み入れた途端、鈴の胸のあたりに何故か不愉快な気持ちが広がる。

「いらっしゃいませ」

 不意に声を掛けられて鈴は瞳を見開いて驚き、声が聞こえてきた方を見つめた。

 視線の先に居たのは顔の左半分に真っ白で無表情な仮面をつけ、右半分は素顔なのか仮面なのか分らない不気味な笑顔を現した細身の男。

 暗闇から浮き出てくるように現れた男に驚き狼狽えながら鈴はほんの僅かにあとずさった。

 自分から一定の距離を保って立ち止まった男に何を言えばいいのか分からない鈴。どうしようかと悩んでいた時、男の「いらっしゃいませ」という言葉が気にかかり首を傾げながら聞く。

「あの、ここはお店ですか?」

「えぇ、営業中の看板がありましたでしょう。私はここの店主でございます」

 そう言えばそんな看板があったと鈴は思い出し、見たはずなのに言われるまでどうして忘れてしまっていたのだろうと首をかしげた。

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