男が出て行き、マスターは店内のレコードプレイヤーの前に立った。

 棚から一枚のレコードを取り出して入れ替え、そっと、針を。

「そうとう神経が参っていたんでしょうね、針が空動く音すら煩いとは。しかし、これからはこんな処では無い、もっと煩くなることでしょう」

 ゆっくりと流れ出した軽快なトランペットの音に耳を傾け、カウンターに置かれたままの皿とグラス、そして赤い染みの付いたタオルを片付ける。

 米粒一つ無い皿は料理の名残のケチャップだけが筋となって残っていた。

「母の味がオムライスとは、なんともお子様な方で。嫌いといいながらも細かい注文で、本当は好いているのだと言っているようなものでしたね。あの方にとってはこれからが試練、乗り越えていけるでしょうか?」

 洗い場でスポンジに洗剤を付けて皿を洗いながらマスターは一人ぽつりと呟いた。


 努力していると思い込んで、他者の評価に怯えながらも苛立ちの中にいた彼。

 常に自らのプライドを自らのゆがんだ考えで守り通してきた男。


 ……しかし、それは自己愛の中で溺れているに過ぎなくて。

 結果という言葉に縛られ、努力という幻想の中にいた。

 ……決して求めるものは得られない幻影の中で。

 そして、ついに現実が彼を追い詰める。狂気は凶器に、己自身を追い詰めた。

 ……男。


 結果を出さなければ、強制ではないその観念に囚われて。

 彼が自分自身でとどめてきた大きな思いは行き場を失い噴出した。

「我慢をしなければならない時もある。しかし、そればかりだと自身を壊すことになりかねない。彼はある意味では壊れてしまったが、それは本当に壊れる前に心が導き出した救いなのかもしれない。努力の本当の意味を彼はいつ、気づくことが出来るでしょうか」

 綺麗に片付けられたカウンターから店内に戻ったマスターは、小さな螺子を持って大きな振り子時計の前へ。

 蓋を開け、螺子穴に差し込んだそれを回せば重みのある軋みがあたりに響く。

「本当に報われない努力を知らないのは彼の方。どんなにもがこうと救われない道の先にあるものは……」

 軋みが止めば再び大きく揺れる振り子の音が。こちこちと進む秒針の音にマスターは眉を顰めた。

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