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「落胆してくれるならまだいいじゃないですか、期待ばかりを背負わされるよりずっと。それに、貴方の苦痛などご両親の苦痛に比べれば軽いものだと思いますが」
マスターの言葉は思っても見ない言葉で男は眉間のしわを緩め、驚きの表情でマスターを見つめる。
「どうしてそんなことが分かる?」
「貴方は物事が失敗したことがおありで?」
「そんな事、しょっちゅうだが、それが何の関係がある?」
「ではうまくいかなくて落胆した時の苦痛を知ってらっしゃるわけだ。その上で、再び期待を作るという苦労も知ってらっしゃる。貴方のご両親は落胆しても、まだ貴方に頑張れと励ましの言葉をくれる。その意味が分かりますか?」
「……勝手に期待しているんだろうさ」
「はぁ、貴方は相当自分が可愛くてらっしゃるようだ。己が可愛いゆえに己を甘やかし、他者が悪いと決め付ける。嫌であるならば何故そうご両親に言わなかったのです? 家族だから分かるとでも? 貴方自身が分かってないのに家族が分かるわけもない。その上で周囲のせいにするのならそれは貴方が身勝手すぎる」
あきれ果てたように大きなため息をついていった、マスターの言葉に男はにらむことで返事をする。
射る様に見つめるその瞳の奥に、激情が恐ろしく安易に見えて再びマスターはため息をついた。
深く大きな、これ見よがしなため息に男の感情はますますささくれ立っていく。
「決め付けているわけじゃない。俺の場合は本当に周りが悪いんだ。頑張れば何でも出来るって勘違いしている。努力をすれば報われると。そんなわけ無いのに」
「いいえ、努力というのは報われてこその努力なのです。報われなかったのであればそれは貴方が努力をしてなかったということ」
「それは報われたことがあるから言えるんだ。努力をしてない? どうしてそんなことがいえる。俺はずっと努力してきた、頑張ってきたさ。ただ、結果が出なかった、それだけ。なのに周りは結果が出なければ努力をしてないという。そうさ、分かっている、結果が全てなんだ」
「おや、分かってらっしゃるのに分かってないのですね。そう、結果が物を言います。しかし、努力をして得られる結果というのは貴方の思っている結果ではない」
「じゃぁ、何だって言うんだ」
怪訝がる男の眉間の皺をみたマスターはカウンターの向こうで動き出し、男の目の前に銅製のカップに入ったカクテルを差し出した。
銅製のカップに入っていて、そのカクテルの色は定かではないが透明に近い液体に見え、その上には緑鮮やかなライムが浮かべられている。
「飲みやすいお酒ですが、かなり強いですからお気をつけください」
「あんたは話の腰を折るのが好きだな」
「いいえ、これは話の続きです。このお酒はご存知ですか?」
「いや、あまりカクテルなんかは飲まないから」
「モスコミュールといいます。意味はモスクワのラバ」
「ふぅん、変な名前だな」
男はそう言いながらカップを手に取り口に運ぶ。
甘くも辛くもない、驚くほど口当たり良くモスコミュールはすんなりと喉奥へ流れ込み、ほんの少しだけのつもりだった男の喉仏は何度も上下した。そんな男を横目で見ながらマスターの話は続く。
「このモスコミュール、諸説ありますが、そのうちの一つに、とあるバーテンダーの偶然の産物で出来あがったカクテルだというものがあります。別のカクテルを作る為に仕入れたジンジャービアだったのですが、思っていたようにカクテルは売れず、ジンジャービアは在庫となり、バーテンダーは困ってしまいます。そこで、バーテンダーは知恵を絞り、モスコミュールを生み出します。貴方は知りませんでしたが、モスコミュールといえば今では手軽に楽しめるカクテルの代表です。そう。思っていたカクテルが売れずジンジャービアが在庫になってしまったという予期せぬ出来事が生んだカクテル」
「……それが、今までの話と何の関わりがあるって言うんだ」
「このバーテンダーが貴方なら、きっと在庫のジンジャービアをもてあまして、ただ、うろたえただけでしょうね。モスコミュールが生まれたのは確かに偶然もあるでしょう、しかし、その後、何とかしようと努力したバーテンダーの気持ちがあったからだとは思いませんか?」
男は何も言い返すことが出来なかった。
マスターの言う通り恐らく自分なら売れるだろうと算段したものが駄目になった時点で慌ててしまい、何とかしようと思ってはいても別のカクテルを生み出すということは出来なかったと容易に考えることが出来たからだ。
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