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「スプモーニがよろしければスプモーニにいたしますが」
「駄洒落で馬鹿にされた酒なんていらねぇよ。……そういえば、腹が減ったな」
このマスターの自分勝手ぶりにはついていけないと、少々不貞腐れながら男は酒のすすめを断ったが、昨晩から何も食べていない為に腹が異様に空いてきていた。
どうせ自分のいう事など聞いてはくれないだろうと思っていたが、思わず腹が減ったと言えば、マスターは笑顔で何か作りましょうかと言ってくる。
だが、ここはどう見てもBARであり、小腹を満たすぐらいならいいだろうが、つまみを出されたところで腹が膨れるとは思えない。
「ここはBARだから食事なんてできないだろう。いいよ、別に」
「いいえ、メニューはございませんが、ご注文いただければ何でもお作り致しますよ。何がよろしいですか?」
マスターに聞かれ、男は少し考えた後、マスターを見て手振りを交えて注文をする。
事細かな注文に少々驚いたマスターだったが、「かしこまりました」と軽く頭を下げて調理場へと向かった。
きっかけは小さなこと。
本当に誰もが「どうして? 」と不思議がるような些細なことだ。
その日の俺は特別苛ついていた訳でもない。ただ少し虫の居所が悪かった。
好きになれない年配の上司に付き合えと、まっすぐ帰宅をしようとしていた俺は呼び止められてしまい、少々胸の奥にもやもやを抱えていた。
酒が入ると決まって説教を垂れる上司。新入社員にはかなり煙たがられている存在。
俺は運が悪かったんだ。
店に入って数分、案の定、説教が始まる。
今時の……、から始まって、君は……、と俺個人に攻撃は移った。
自分はいつだって、ただ偉そうにデスクに座って、部下が持ってくる報告書や企画書に目を通すだけの仕事しかしていないくせに。
そして、ほんのりと顔を赤くして、にやついた嫌な笑いを口元に浮かべて上司は言ってはいけない一言を吐き出す。
「君は本当に頑張っているのか?」
俺は自分でも気付かないうちに相手を睨み付けていた。
「何だ、その目は。お前の為を思って言ってやっているというのに。全く、最近の連中は努力もしない、頑張りもしない奴ばかりだ……」
もうそれ以上、何も聞こえなかった。
何を見ていたのかも覚えていない。
ただ、気づいた時、悲鳴の中で俺はナイフを握っていた。
自分の足元で人が一人蹲っている。周りの皆が騒いで我先にと店の出口に殺到していた。
「おい! そいつを押さえつけろ!」
誰かが怒鳴った。
「人殺し!」
誰かが叫んだ。
そして、俺は逃げ出した。
ナイフを振り回し、無理やり道を作って外へ。
動悸が、震えがとまらない。
怖い、恐ろしい、自分が自分で無い様で、路地から路地へ、光のある場所をさけ、暗闇からより暗闇へ。たどり着いたのがこの店だった。
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