3
「聞いてもいいか」
今までは喋る方だったマスターに向かって疑問を投げかけようとしている男に、一瞬口の端に妙な笑みを浮かべたマスターだったが、すぐにいつもの張り付いたような営業スマイルに戻り「なんでしょう? 」と首を傾げる。
「どうして、あんたは怯えない? 見知らぬ尋常じゃない男が刃物を突きつけているのに、どうしてそう淡々としていられるんだ」
「さぁ、それは困った質問ですね。しいて言うなら、私の資質、でしょうか?」
「あいまいな答えだな」
眉間に皺を寄せたまま、明確ではない答えに納得がいかないと言う風にこれ見よがしの溜息をついた男に、マスターはやれやれと言った感じで同じようにこれ見よがしな溜息を返した。
「例えどんなに質問されても、これしか答えのようがないのですから、仕方がないでしょう。納得されていないのであれば、今度は私が貴方に」
優しげな微笑みは明らかに何かのたくらみがあるような気配がして、男は「俺にだって? 」と片方の瞼を半分閉じ、訝しげにマスターの次の言葉を待つ。
「では質問です。貴方は何故、己のしでかした事に今更ながらそうして沈んだ表情を浮かべるのです?」
マスターの質問は答えようと思えばすんなりと答えが出てくるようなものであったが、男はそれを口の先まで出しかかって唇を閉じて飲み込んだ。
このマスターの事、自分の思い浮かんだ単純な答えを言った所で一笑されるだけだろうと、男は空になったグラスを眺めながら頭を回転させる。
マスターは何故、このような質問を自分に投げかけてきたのか。
男は考え込んで黙り込んでしまったが、答えは一向に出てこない。
視線と共に唇が動く気配もない様子にマスターは小さく口の中で笑い声を立てた。
「あいまいでも答えた私の方がまだましだと思いませんか?」
「俺にだって、答えられるだけの理由はある。だが、それをあんたに言ったところでどうにもならないだろうと思っているだけだ」
意外にももっと口籠るかと思った男は口の端を下げ、不機嫌を前面に押し出して文句に近い言い様で返してきたことに少々マスターは驚いたが、嬉しさもあり思わず笑みがこぼれる。
「それは勝手な言い分で」
「勝手? はっ、それはあんただろ」
相も変わらず機嫌を直す気配を見せずに言い捨てる男にマスターは瞳を閉じて首を横に振った。
「いいえ、私は至極自分に正直で、己の勤めをきちんと果たそうとしているだけです」
「よく言うよ、何処でどうしようと自分の勝手といったのはあんたじゃないか」
「私にはこのBARを運営していかなければならない勤めがあります。それを果たすには貴方の勝手な言い分は、聞いていられないという意味だったのですが。まぁ、なんともひん曲がってらっしゃることで」
マスターが脅しにも似た方法で自分を無理やり客にしておきながら、出てくるのは到底客に対するとは思えない言葉や態度。男はぐっと抑え込むようにしていた腹立たしさが「ひん曲がっている」の一言でむっくりと表に出てきた。
「さっきから、黙って聞いてれば」
好き勝手言ってくれると続けようとしたが、すぐさまマスターは男の言葉を遮り重ねるように言葉を吐き出す。
「黙って? ちっとも黙ってなど居ないじゃないですか。あぁ、なるほど」
ため息をついたマスターは少し考えるそぶりを見せてから一人頷くと男に向かって、口角を上げて意味深げに微笑む。
ただでさえ言葉を遮られたというのに今度は人を見てにやつくあまりにもな態度に男はマスターを睨み付けた。
そんな睨みなど怖くないと言わんばかりにマスターは笑みを浮かべて続ける。
「黙っていないながらも黙って聞いていると。その矛盾は貴方自身を表しているのですね。なんとも素晴らしい」
「矛盾だって?」
「さて。何かおつくりしましょうか?」
男の疑問符を無視し、微笑みを向けたマスターはカウンターに置かれたグラスを引き上げる。
言葉を出せば遮られ、勝手に物事を進めていくマスターに男は眉間に皺を寄せたまま鼻から大きな息を掃出し、胸の中の苛立ちを何とか外へ追い出そうとしていた。
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