「お、俺は酒を飲みに来たわけじゃ」

「おや、お客様にはなられないということでしょうか? それならば私も私なりの態度をとらせていただきます」

「私なりの態度だって?」

 ひょうひょうと言ってのけるマスターの様子に、もうどうしようもないと諦めた男がため息交じりに聞き返せば、マスターは聞き返してくること自体がおかしい問わんばかりの態度をとる。

「当然でしょう。貴方がお客様で無いのであれば、今すぐにでもここを出て行っていただきます。客でもない人を店に置いておく店の者がどこに居るでしょう?」

「脅す気か?」

「いいえ、脅しなど。貴方じゃあるまいし」

 幾ら刃物をちらつかせても、怯えるそぶりも見せず言うマスターに、男は刃物をマスターに向けたまま黙り込んだ。

「お客様になられないのであれば、それでも結構。せっかく貴方にぴったりのカクテルを用意して差し上げたのに残念です。どうぞ今すぐに出口へどうぞ」

 そう言ってマスターが目の前の酒をカウンターの方へ引き戻そうと手を伸ばせば、男はその手を制止する。

 私なりの、と言うマスターの態度に焦ったのもあるが、何より男は喉が渇いていた。

 涼しげで透明な氷とグラスに徐々に付き始めた小さな水玉が男を誘った。マスターの手を跳ね除け、グラスを取り、視線はマスターを見据えたまま口をつける。

 口中に少しの苦味が広がったが、無数にはじける小さな泡とすっきりとした酸味が苦味さえも爽快なものに変えた。

 一気に飲み干して、再び要求を突きつけてやろうと思っていた男だが、喉を通り抜けるさわやかさに思わず味わって飲んでしまう。

 飲み終えた男の口からは、ほぅと何かに癒されたような安堵のため息が漏れ「いかがでしたか」と聞いてくるマスターに「あぁ」とだけ応え、自然とゆっくりカウンター席に腰掛けていた。

「さて、次は何をお出ししましょうか?」

「……さっきのをもう一杯もらおうかな?」

「駄目ですね」

 無理やりと言ってもいい方法で飲ませておいて、求めれば今度は駄目だという。

 あまりの事に男は開いた口がふさがらず、呆けてマスターを見ていればマスターは片方の口角を瞳の方へと引き上げ怪しい笑顔で言う。

「先ほども言いましたでしょう。貴方にぴったりのカクテルだと。今の貴方にスプモーニは合いません」

「スプモーニ?」

「カンパリをベースにグレープフルーツジュースとトニックウォーターを使用します」

 カクテルの材料を聞いて男は自分が飲み干したグラスをまじまじと眺めなるほどと小さく頷いた。

「あぁ、だから少しさわやかだったのか。俺の喉が渇いていると、どうしてわかったんだ?」

「あれだけ息を切らしていられれば当然でしょう。でも、貴方にぴったりの意味はそこではありません。スプモーニとはイタリア語で泡立てるという意味があります。ぴったりでしょう? アワてふためく貴方には」

 にやついて肩を小刻みに揺らして笑うマスターに対して、怯えや呆れは何処かへ行き、男には腹立たしさが生まれていた。

「つまらない駄洒落を言いたかったのかよ。しかも、俺にぴったりだって? あんたに俺の何が分かるっていうんだ」

「……失礼ですが、何も分かりませんよ。当然でしょう」

 相も変わらず堪え笑いをして返してくるマスターに、男の眉間には皺が一本、また一本と増えていく。

「以前お会いしていたのなら分かりましょうが、貴方と私は初対面。しかも、貴方は詳しい事情を話すでもなく、刃物を突きつけて私を脅した。分かりようがありませんでしょう?」

 笑顔のマスターの鋭い視線に、何もいえなくなった男は差し出されたお絞りで自分の手を拭いた。

 暖かいお絞りに赤い色が移りこみ、その時初めて男は自分の手が血で汚れていたと気付く。

 血の色に先ほどまでは怯えていたが、今はどちらかといえば冷静に眺めている自分がいて、男はそちらの方に少々戸惑った。

 本当に自分は一人でも二人でも関係無く躊躇わなくなってしまうのか、それとも、ただ気持ちが落ち着いただけなのか、それが分からず戸惑っていたのだ。

 じっと、お絞りを見つめる男は大きなため息をついた。

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