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「貴方、綺麗ね。羨ましいわ」
女は思ったままの言葉を何も考えずに吐き出し、物思いにふけるようにバランタインのグラスを回す。
「綺麗だと、言われて悪い気はしませんが、私は男ですので」
マスターの言葉に女は一瞬瞳を見開き、すぐに元の表情に戻って声を出さず肩を小さく揺らし笑った。
「そうね、貴方は男ね」
しばらく小さく笑っていた女だったが、大きく息を吸い込んでそれを吐き出しながら瞳を伏せ、手元の残り少なくなったバランタインを見つめて言葉を吐き出す。
「私ね、ずっと突っ走ってきたの。男だらけの職場で、男になんて負けないって……」
女がぽつりぽつりと話し始めた内容が一体何のことなのか分かっていたわけではないが、マスターは静かにその言葉に頷いて返事をした。
だが、女は返事をされてもされなくても関係ないと言う様に自分の言葉を紡ぎ続ける。
「酷かったのよ。女のクセに、女だからって言われるのは日常茶飯事で。何度も泣いたわ。でもね、悲しかったんじゃない、悔しかったの」
瞳を潤ませ、悲しいのではないと言いながらも悲しげな様子の女に、マスターは「それは何故です? 」と質問すれば女は視線をマスターに向けて唇を尖らせた。
「だってそうでしょ? 私の能力を見もしないで、ただ女だというだけでそういうんですもの。それが悔しくないと思う? そんなわけない、悔しいわ。女だから、そんな性別だけでものを言われるなんて!」
「でも、貴女は女、女性でしょう?」
そう言ったマスターは女に少し冷ややかな視線を送っており、その態度に女は唇を歪ませ、不機嫌だと言わんばかりの態度でマスターを見る。
女は、自分の言い分に当然「そうですね」「それは酷い」という同情の声が返って来ると思っていた。
自分が客である、と言うこともあったが、なにより自分の言い分は正しいと思っていたから、それに対して同情、もしくは同意の声が得られないことに気分を害する。
さらにそれが、女が最も嫌っている「女」と言う言葉だったことに胸の中でじんわりとした苛立ちも生まれた。
睨むような女に対してマスターは薄く瞼を開き、赤に近い茶色の瞳を女の方へ流して薄笑う。
それは女に生まれた苛立ちを成長させるには十分すぎる態度だった。
「……貴方も馬鹿にするのね」
女の言葉にマスターは首を傾げて考え込むような態度をとる。
「馬鹿にする? 何処がでしょうか?」
「私も女だと言って、意味ありげに笑ったじゃない。その態度、馬鹿にしてないとは言わせないわ」
眉間に皺を寄せ、マスターを睨み付ける女は、ヒステリックに甲高く怒鳴るのではなく、とても静かに低く、声の調子を強める。
女の静かな怒りの言葉にマスターは微笑を絶やすことなく女から視線を外した。
「では、貴女は男の方でしょうか?」
唐突な質問に睨み付けていた女の瞳はきょとんと見開かれ、思わず素っ頓狂な声を出して返事をしてしまう。
マスターは女の鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見つめつつ更に言った。
「ですから、私の目の前にいる貴女は男性ですか? 私は美しい女性だとお見受けいたしました。しかし、貴女は女性と言われてお怒りになられた。私の予想は大外れで、実はお綺麗な男性だったのですか?」
「そ、そうじゃないけど」
女はマスターの言葉に自分の言葉が出てこなくなってしまった。頬はふんわりと桃色に染まり、睨みつけるように見ていたマスターから視線をそらす。
根本的な観点や論点がずれている。
私はそういう意味で言ったわけではない。
そう言えばいいのに、言葉がうまく口の中から飛び出してきてくれない。
女が言われ慣れていない「美しい」「綺麗」という言葉が自分の耳の奥で響いて思考がそればかりになってしまっていたからだ。
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