第5話

「この扉の上の空間を知っているか?」

「この上? まぁ、ここに屋根のある踊場があるんだからその上に空間はあるだろうけど」

「ちょうど右横に梯子があってな、そこからこの上にいけるんだ。屋上よりも高い場所、そこから景色を見るのが好きなんだ」

 僕は彼の発言に少し驚く。

 この学校の校舎はどこでもありきたりなH型やコの字型といった形はしていない。少々変わっていて変形したY型といった感じだ。Yの字の下のほうが北側になり、屋上へと続く扉のある場所は北側校舎Yの字のちょうど三つの線が重なる位置少し下部分にある。

 そして扉は北側を向いており、扉から出てその周囲に居るだけであれば校舎の中や校庭に居る誰かに見つかるということもない。

 だから僕は極力、この扉を出てすぐの場所で座り、高い金網の向こうの景色を眺めていた。

 禁止されていることをしているという意識はあった。

 だから見つかるのが嫌で、できるだけ見つからないようにとしていたのだ。きっと見つかれば教師皆に叱られ、たった一度見つかったというだけで「駄目人間」のレッテルが貼られて四六時中監視の的になるに決まっている。

 常に普通を嫌って、優秀を目指せと言っている父親からは、四六時中「駄目息子」の愚痴が飛び出すのだ。

 そういう面倒が嫌で僕はできる限り普通であり続け、駄目だと言われることはなるべく隠れてするようになっていた。

 だが目の前の、この大柄でどこに居ても目立ちそうな彼は校舎で、誰かがふと見れば気付かれるその場所に座ってあたりを見回し、寝転がって空を見るのだと言い、それが自分の楽しみだと言ってのけた。

「そんなところに上ったら校舎の誰かに見つかるでしょ、どこから見ても丸見えの位置じゃないですか」

 思わず聞いていたその質問に彼はきょとんとして「だから? 」と逆に聞いてくる。

 その質問に僕はさらにあっけに取られた。

 屋上に来るのが禁止されているのは知っているだろう?

 見つかればどうしてここにいるのか、そして鍵はどうしたのかと聞かれるだろう?

 さらに鍵を没収されて屋上にはこられなくなるだろう?

 と説明すれば「あぁ、言われてみればそうだな」と今改めて理解したといった風に何度か頷く。

「まさか考えたこともなかった、とか?」

「あぁ、なかったな。鍵を取り上げられたらまた作りゃいいし、教師がこれだけの生徒が居る中でたった一人をずっと見張るなんて無理だろうし、隙を作ればいつでもこられる」

「自分で自分の評価を落とすつもりですか? その上履きの色、三年生なんでしょ? だったら内申書だって……」

「あぁ、俺は手に職付けて就職するからな。内申書なんていらねぇ。第一自分で自分の評価を落としているんだったら誰になんと言われても別にかまわないだろ。偉そうに俺に食いついてきたくせに小さいな」

 飄々と答えた彼は慣れた様子で建物の右側にある鉄の梯子を上り、今日も気持ち良いと大声で叫んで深呼吸している。

 僕はとてもじゃないがそんな気分にはなれず、いつも通りドアを出てすぐの場所で壁に背をつけ腰を下ろした。

「はぁ、やっぱ気持ち良いな」

 のんきな声が頭の上から聞こえてきて僕は大きなため息を吐き出す。

(まったく、本当にのんきなやつだな。これで見つかったら僕までとばっちりになるんじゃないだろうな。勘弁してくれよ)

 僕の気持ちを知ってか知らずか、大きなため息のあと上を向いた僕の視界に大きく口を開け笑顔でこちらを覗き込む彼が映り込む。

「俺は都築琢磨三年だ。お前は?」

「佐々木敦巳、二年です」

 自己紹介をしながらも都築という名前は聞いたことがある名前だと考えていた。

「佐々木敦巳かぁ、あっちゃんだな」

「あっちゃんって、女みたいな呼び方しないでほしいですね。敦巳って呼び捨てで良いですよ」

「いや、あっちゃんが一番だ」

 白い歯を見せながら言ってくる上級生の言い分に、それ以上の反抗は無意味だとあきらめて視線を前方に向ける。

 ことさら青い空には雲ひとつなく、ちょうど目線の先にあるのは古い寺の大きな銀杏木だ。

「それで、あっちゃんはどうして屋上に来たかったんだ? 俺は答えたんだから教えてくれるよな?」

 上から覗き込んでくる顔から視線をそむけ、前方のゆれる緑を視線に移していた僕に投げかけられた質問。

 僕は「別に」と答えそうになってその答えを飲み込んだ。

 明確な理由があるわけではないから別にという答えも間違っちゃ居なかったが、それを言ったところでこの能天気そうな都築はきっと「別にって何が」と聞き返してくるに違いない。

 こいつはある意味知哉に似ているんだ。

 ただ知哉と違うのはその行為が計算されたものかそうでないかの違い。

 都築は確実に後者、意識せずにただ本当に自分の知りたい内容を知りたいがために質問してくるだけだろう。

 しかしこういうのが一番厄介だ。

 計算してやっているならある程度の態度を見せれば相手は引く。計算してないやつはそれがわからないから自分が納得するまで質問攻めにするんだ。

「わずらわしいのが校舎の中に居る。相手にしたくないし会いたくない。ここなら誰も来ないし誰にも見つからない。考えることも、行動することも、態度をとることも、全部面倒になったときにここで一人で何もしないのが一番ほっとする。だからこの鍵を手に入れて屋上に出られるようになって結構ほっとできていた。せっかく手に入れた場所をすぐに返しちゃうのは嫌だったんですよ」

「へぇ、あっちゃんは変わってんな」

「都築さんに言われたくないですけどね。僕のどこが変わっているって言うんです」

「一人で居たいなら学校になんか来なきゃ良いのに。学校ってところは町よりももっと義務的に必ず大勢の人が集まる場所じゃないか」

「だから?」

「嫌だというのにわざわざ登校してくるんだから変わっている」

「学校に来て学習するのが学生の仕事でしょ。仕事ってのは嫌でもやらなきゃいけないことだし、何より僕は自分がどういう立場なのかをよく理解しているんです」

「へぇ、君はどんな立場なの?」

「扶養家族、まだ自分自身で自分を養っていけない立場ですよ」

「へぇ、律儀でまじめ、正しく聞こえてつまらないな。それ」

 淡々と、頭上から聞こえてくる声に答えただけだったが、頭上の声は少々ため息混じりにそういった。

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