第2話

 知哉から逃れるための言い訳でやってきたトイレ。

 当然のことながら体の中にたまったものは何も無いわけで、便器の前に立ち、ファスナーを下ろしてそれらしい格好はしてみるものの出てきたのはほんのわずかなもの。考えてみれば廊下に出た時点で知哉が見張っているということでもないのだから馬鹿正直にトイレにくることも無かったのだ。

「相変わらずお前は律儀だな」

 ファスナーを閉めながら再び大きなため息をついた僕の肩越しから聞こえてきたのは知哉に続いて僕が苦手とする国語の山上先生だった。

 山上先生は山上久志といって、僕の母方のいとこでもある。

 昔は久兄といって尻尾を振っていた僕だったが、いつのころからか社交性豊かなその人物を煙たく思い、遠ざかるようになっていた。まさか、高校で教師となった久兄に再会するなど誰が思っただろう。

 母方のというだけあって、妙にポジティブでありたとえそれがマイナスの要素であったとしてもプラスに転じさせてしまう図太い神経の持ち主だった。

 母さんの子供であるのに僕にはそのような機能は備わっておらず、さらにそういった人物を引き寄せる要素があるのに苦手で仕方がない。

 厄介なのは、僕の周りに集まる優秀でありポジティブであり、僕の持っていないものを持っている連中が僕の心中をまるで超能力でもあるかのように読み取ってしまうことだ。

「相変わらずって言われて良い気持ちになるやつなんて居ないと思うけど」

 手を洗いながら僕を見つめる久兄を鏡越しににらみつけて言えば、久兄は唇の端が少し持ち上がって嫌な笑みを浮かべた。

「弥生叔母さんは喜んでくれるよ」

「母さんは別格だろ。あれは相変わらずって言う言葉を変わりなく若々しいって自分勝手に脳内変換しているから喜んでいるだけ。普通の人は喜ばないよ」

「そういうところも相変わらずだな」

 久兄は昔から人が嫌がることをわざとやって見せる節がある。

 僕は昔から「変わらない」と言われる事を最も嫌っていた。なぜそんなにただ言われたことを気にするのかと母さんはとにかく不思議がる。

 あの人はたとえ嫌なことを言われたとしてもすぐにプラス思考に変換するか、忘れてしまうからいちいち人の言ったことを気にしたりはしない、うらやましい性格の持ち主なのだ。そしてその羨ましい人達は皆同じことを言う。

「だって言われたことをいつまでも考えていたって仕方ないじゃない。私が言ったんじゃないんだから。それにそれで嫌な思いをしたならその人とはもう話さなければ良いのよ」

 【嫌なら見なきゃいい】極論ではあるが、正解でもある。そりゃまぁね、見なきゃいいんだろうけど、見たくないと願っても見なきゃいけないときだってあるし、見てしまうときもある。何よりやっぱり気になるものは気になるんだ。何より、テレビやネットならいざ知らず、事その人物が自分の近くにいて話しかけてくるのに、話さなくてすむなんてできるわけがないじゃないか。

 再び僕がため息を付けば、久兄も再び嫌な笑顔をむけてくる。

「良い悪いは別にして、お前は本当に自分しか見てないからな、ま、そこも相変わらずなんだけど」

「山上先生も人の嫌がることを喜んでやるところは相変わらずですね」

「まぁね、それが俺の取り柄でしょ」

 さすがは母の一族。

 嫌味を言ったのに笑顔で返してくる。

 僕は眉間に皺を寄せながら久兄から逃げるようにトイレを後にし、廊下から近くの教室の中にある時計を見た。まだ昼休みは始まったばかり。時間に余裕が有るのを確認した僕は屋上への階段を上った。

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