第7話

 スマートフォンの画面には、「これから先、一体どうなるのだろうか」と不安や心配の声ばかりになってくる。

 俺はスマートフォンの電源を切り、静けさを取り戻していく町の中を歩いて行く。

 普段であれば人であふれている大通りも人間の持ち物は多数落ちているが、肝心の中身は全くない状態。

 善悪という極めて単純な選別であったが、この大きな街の人々で残っているものはほんの僅かとなってしまっているようだった。

 つい数時間前まで俺は人の居ないところを探すように町を歩き回っていたが、今はそんな苦労をすること無く歩いていれる。知り合いに会うのも鬱陶しいと思う町中だが、おそらく今は知り合いに会うことすら難しいはずだ。

 当然、こんな風に人がいなくなれば、魔が差す連中も出てくるだろう。だが、神々が決めた人間の選定方法はあの一瞬だけではなく未だ生きていた。

 つまり、すでに世界は善悪が排除される世界になっている為、魔が差した瞬間にはこの世界の新しい理によってそいつは消されてしまう。

 種明かしをされていない連中の中に、俺と同じように考えたものが居たのか、すでにその新しい理は人々に浸透した。

 望みが叶えられるという願望と欲望は、あっという間に恐怖へと変化。

 自らを神と名乗る存在が次に何をするのか、残った連中は怯えながら様子を伺うことになる。中には絶望し、自ら消える道を選ぶものもいた。態々、苦しみもがくことになる自殺をせずとも、善と悪どちらかを振り回すことで消えることが出来るのは便利なシステムだ。死体も出ないから腐ることもなく、残った人間に迷惑がかかることはない。

 街の様子をひと通り見て回ったが、やはり知り合いには一切会わず、ただ、怯える空気を感じ取っただけ。

 これ以上歩いた所で新しい情報は得られそうにないと俺は自宅に帰ってきた。まっすぐ自分の部屋に向かおうと思ったが、とりあえず母親の様子だけでも見ておこうとリビングに足を運ぶ。しかし、ひと通り見てみたが姿がない。あんな状態で自分で判断して外出するとは考えにくい。

「まさか、消えた?」

 委ねる心はあっても善悪がそこに存在しないはずの母親が消えたことに理解が出来ず眉間に皺がよった。

 暫く家の中を探し、俺はある場所で母親の衣服を見つける。町中でもそうだったが、人が消えるとき、何故かそこにはその者がその時身につけていた、すべてのものが取り残される形で置き去りになっていた。

 母親の脱皮の跡は親父が決して触るなと言い続けていた金庫の傍にあり、俺はため息を付く。

どんな人間であろうとも、縛られていたものがなくなれば魔が差すものだ。母親にとって縛っていたのは親父であり、拘束がなくなった今、これからどうすればいいのかという動揺とともに、手を付けたくなってしまったのだろう。自分のものであるかのように、当然だと手を出していれば消えることもなかったはずだ。それは自分のものであり自分のものを使うのは善でも悪でもない。しかし、親父の命令が未だ心の何処かに有った母親はこの行為を、盗むと判断してしまった。その為に新システムによって悪とみなされ消えたのだろう。

「まぁ、仕方ないか」

 両親が消えてしまっても俺の心情は非常に普通であった。

 死体がないから実感がわかないというのはあるだろうが、おそらく俺は元々両親のことをそれほど好いてもなければ嫌っても居なかったということだろう。

 まだ自分が小さいころは全てにおいて俺という人間を無視して、己の思うとおりに動かそうとする親父が苦手だった。子供にだって自我はあるしプライドもある。そんな親父に嫌気が差して反抗したのは中学生の頃。それ以降、俺は親父に縛られること無く、親父自身にあまり興味を持たなくなった。故に、この状況になってもあの親父の所有物を欲しいとも思っていない。

 母親に対しても同じ。親父に逆らうことのない母親は俺をただ見守るだけ。だから母親が宗教にのめり込もうと、親父になじられて小さくなっていようと母親が俺に無関心であるように、俺も母親に無関心であり続けた。

 内容が違えど、ともに善悪の中で抜け殻となった二人。ため息は出るが、それを悲しむという気持ちには全くならない。

「我ながらなんとも冷たい息子だな」

 と自身を嘲笑したとき、間抜けな腹の虫が鳴り響いた。

 どのような状況になろうとも生きている限り腹はすく。

 二人の抜け殻をそのままに、とりあえず台所へ行き、冷蔵庫の中や戸棚をチェックした。これから先、俺がどれだけこうして生きているかは分からないが、腹は確実に減るのだから食料の有無はちゃんと確かめておかないといけない。日頃から、何があるかわからないと用心深かった親父のおかげか、レトルトやインスタント食品がかなり見つかった。

 今日はこれを食べるとしても、明日はスーパーに行ったほうがいいだろう。長期保管できるものはなるべく手元においておいた方がいい。お湯を注いだカップラーメンを手に、俺は自室に向かう。

 第一手から随分時間がたった。しかし、神という輩の次の一手はまだ無い。

 ラーメンを食べ終わり、ベッドに横になりながらスマートフォンを開いて見れば囁く者達の人数が明らかに減っている。

「書き込みを辞めただけか、それとも消えたか」

 一体どちらなのか、それを今ここで探ることは出来ない。

 しかし、この状況で書き込みをしようという気になる連中が今存在しているとは思えなかった。残っているのはどちらでもない、俺と変わらない人間だ。正義を振りかざすわけでも、人をおちょくることに楽しみを覚える連中でもないだろう。状況を把握した今、彼らにとってこの場所は不要なものに違いない。

 おそらく、神はいかなる善もいかなる悪も、それを一瞬でも持った人間を消し去っている。その効果は絶大で、魔が差した連中もそれを止めようとした連中も次々に消えていく。

 それは真の平和とも言えるだろう。

 どんな善行をしようと悪行の限りを尽くそうと、善悪を持った時点でその人物は消えてなくなるのだから争い事自体起こりようがない。故に、どんなに暴動が起こりそうな事態であっても決してそのようなことは起こらないのだ。

 今あるのは世界中どこでもただの静けさだけだろう。普通の人間であれば自分から消えてしまいたいとは思わない。

 何かを訴えるために消えることを死と捉えて行ったとしても、それが目撃され世界に発信されることがなければただ、一人が他のそれらと同じように消えただけ。今の世界で自爆テロのような行為は決して意味を成さない。そして、人が居なければ人の社会は何一つ回って行かず、全滅状態だろう。生産、物流、政治、全てが機能していないに違いない。もちろん、情報発信という面でも。テレビ、ラジオ、インターネット、携帯電話、情報を発信してくれるはずの機器は全て自称神様によってジャックされているのだから。

 だが、今消えずに残っている人類は、俺と同じく意味の無くなった情報発信機器を手放すようなことはしていないだろう。なぜなら、たった一つ、一番知りたい情報が流れてくるかもしれないからだ。それは身勝手な「神の啓示」。善悪の次に行われる選別方法の発表を待っている。現在行われている選別方法で「一名様」を決めるのには無理がある。だとすれば、次の一手があるはずなのだ。

 別に俺は「特権」に興味はない。俺がスマートフォンを手放さずにいる理由は一つ。次に神様とやらが一体何をするのだろうという好奇心。俺は今まで生きてきた中で一番楽しい時を過ごしていると思っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る