第6話

 焦らすようなやり方にこの神様は趣味が悪いと思い始めた時、突然、一階から母親の悲鳴が聞こえる。

 母親の悲鳴など聞いた記憶は随分昔のこと。宗教に救いを求めるようになってからは一切聞いていない。俺はいったい何事かとベッドから飛び起き一階に向かう。その間、この普段でも静かな住宅街に次々と悲鳴がこだまし始めた。

「何が起こっているんだ?」

 一階の、先ほどまで両親がいたリビングを覗くとそこには母親が一人瞳を見開いて立ち尽くしている。

 視線の先は、先ほど親父がいた場所を見つめ、俺が近づいていけば母親は大きなため息を付いて小さく口元に笑みを浮かべていた。

「夢、そう、夢を見ているのよ」

 母の呟きを横に通り過ぎれば、親父がいた場所には綺麗に中身だけなくなった親父の洋服が椅子にもたれかかり、新聞やコーヒー、その他のものもそのままの状態。

「何、これ。どうなったの」

「あぁ、居たの。それがね、消えっちゃったのよ」

「消えた?」

「えぇ、消えたの。手品みたいに、あっという間に」

 常日頃、信仰心だなんだとありもしない神様を有難がっていた母親を、俺は頭がどうかしてしまったのだろうと見ていた。

 だから、いまさら母が何を口走ろうと俺が驚くことはない。母親の戯言と適当に相槌をうってあしらっておけばいいだけのこと。

 だが、今、外から聞こえてくる悲鳴の殆どが「人間が消えた」という内容のもの。その数々の悲鳴が母親の目の前で起こった出来事が、妄想や戯言ではないのだと証明していた。

「どうすればいいのかしら。お父さんがいないなんて、私どうすれば」

 母親はひたすら動揺している。

 当然だ、今まであの親父の奴隷かと思うほど、言いなりで動いてきたのだから。泣きじゃくり始める母親をそのままに俺は窓を開けて外の様子を伺う。この一瞬にどれだけの人間が消えたのか。この小さな街ですら誰もが動揺し、悲鳴を上げ一体どうなっているのだと大声を上げていた。

 どうなっているのか、そんなものの答えはただ一つ。

 自称神様が人間を間引き始めたのだ。

 地球上、全てが悲鳴でうめつくされただろう頃、神は口を開く。

「さて、これで多少は減ったか?」

「まだでしょう、それに、そのようなことの前にやらねばならぬ連中がおりましょう」

「そうじゃ、これでは余計な輩がますますいい気になってしまう」

「そうでした、私としたことが忘れておりました」

 俺の考えを肯定するかのような言葉が辺りに響き、俺は落ち着いて納得していた。

 それと同時に、選別方法の基準は一体何だったのかと考え始める。

 つきっぱなしのテレビ画面はこの重大なニュースを流してはいない。

 テレビやラジオといった人間が作り出す情報はすべて混乱の中にあり、全く役にたっていなかった。ぼんやりと呆けてしまっている母親をソファに座らせ、俺はとにかく現状、情報が欲しいと騒がしい街中へと出て行く。

 あたりの様子を伺いながらスマートフォンを開けば、同じ人物たちからの書き込みが見えた。

 普段であれば不特定多数、ありとあらゆるものが入り乱れる世界。しかし、発言数はそれなりにあるものの、その発言は限られた人間たちだけの会話となっていた。限られた人数での会話、それを俺は覗きながら状況を把握するため考える。

 相当数の人間がいなくなってしまっていることは書き込みに訪れる人数が少ないことでもわかった。

 さらに、書き込まれている内容は消えた人間たちに関するもの。おそらく、この発言を見続けていれば神々の選定基準が見えてくるはずだ。

「どうしよう、配達に来た途端にここに居た人、皆居なくなっちゃった」

「マジで? 俺の所は上司とか先輩とか」

「うちは生意気な後輩やら教授とかだけど、ほとんどって、配達場所どこよ」

「警察署、出前に来たのよ」

「警察かよ!」

「学校の先生とか、友達も居なくなった。なにこれ、どうなってんの」

 少なくなった住人たちによってささやかれる現状。俺はいつも通りそれを眺めて唇に指を当てて考えこむ。

「ってか、警察居なくなったら困るんじゃね?」

「そうだよ、刑務所の連中とか出てきそう」

「それが、さっき電話があって、誰もいないから出たんだけど刑務所の人で、拘留されていた人たちも消えたって」

「はぁ? なにそれ」

 口々に言いたいことを数秒も置かずに話し込む連中。

 いつもならそういった連中を小馬鹿にする様に上から目線でものをいう他者が姿を見せない。

 この状況に焦っている、ということはあり得るが顔を出さないという選択肢は連中にはないだろう。一言も発することがないというのはすでにそいつらもこの世界に存在しなくなっているという証拠だ。

 騒ぎ立てる人間の様子を観察しているのは俺だけではない。当然、出来事を起こした「神様」達も面白そうにその様子を眺め、時折笑い声を立てている。

「そろそろ種明かしをしてやってはいかがですかな?」

「種明かし? この連中にする必要などあるまい」

「説明した所で分かる様な者が残っているかしらね」

「さよう、分かるものはとうに分かっておりましょう」

「そうね。それに今も振り落とし中でしょ。教えちゃったら面白く無いわ」

 母親が日々、神様はきっと見ていてくださるだの何だのと勝手なことを言っていた。

 その言葉通り、今神様は俺達をよく見ていた。まるでテレビ番組を楽しむかのように、俺達の一挙手一投足を観察し、的はずれなことをすれば笑って楽しむ。人間が創造主というからだろうか、この神様は人間臭く、そして鬱陶しい。

 だが、連中の言う通り、種明かしなんてものをしてもらわなくても理解した奴は理解したはずだ。

 書き込まれる内容、身の回りの出来事、それらを合わせれば自ずと答えは出てくる。一番分かり易い書き込みは警察と刑務所だ。

 そう、自称神様達は世界からまず「善」をDELETEした。

 それは人の心の中にある正しい善であれ、自分勝手な自分に都合のいい善であれ、または世間的に善であるされる職業、正しい行動をした善人を消し去る。

 だから俺の親父もはじめの消去に含まれた。

 親父は自分のすべてが正義という輩。

 人の為という名目で他者には良い人に思われる行動を自然と取っていた。他者に善と映り、自らも善だと思っている。それが親父の消えた理由だ。親父が俺を見下し、嫌っていたのは俺が親父から見て善ではなかったからだろう。こんなにも善人の自分の息子が善人でないことは親父にとって許しがたいことであり、実際許されていなかった。

 警察官達が消えたのも同じ理由だといえる。

 警察は正義と思っているのが大多数だろうし、正義と思われているということは、警察組織というものが善であるという認識をされている可能性が高い。だが、俺自身は警察を善の職業とは思っていない。それでも消えてしまったということは、善の認識はおそらく個人単位ではなく一般的にそう思われているという前提があるように思える。そして、その前提は神様達の中にも有り、一般的な意見=神の意志という事になりそうだ。

 そして、この端末の向こう側にいたはずの人間は、自らが生み出した自分だけの正義を振りかざし、その枠から外れたものを執拗に糾弾する善を振りかざしていた連中だ。

 「善」を消したとの根拠はもうひとつ。

 俺の母親が消えなかったことだ。母親は自らの中に自分の善は持ち合わせていない。常に他者にすべてを委ね、人の秤によって自分の行動を決めていた。自らの意思はそこにあまりない。神の名を口にしてはすべてを神に委ね、そして親父に委ねる。自らの行動を自らで制御しているわけではないから善悪という認識は存在しない。

 さらに神は、善の後に悪を消した。

 これは、「先にやらねばならぬこと」を忘れていた為、善悪のDELETEが前後してしまったのだろうと思う。実際、そういう会話を神がしていたからな。

 悪というくくりは善よりもはっきりとしたものがあるように思う。罪を犯した者、悪心を持って行動したもの、その大きさに問わず、「罪を犯した悪」という存在を抹消した。

 つまり、今ここに残っている連中は神様たちの意識の中では「善でも悪でもない何もない連中」とういうことになる。当然、俺もその中の一人だ。

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