第39話

 初めての食事だが真理の作った料理は少々味付けがいまいちで、思わず食卓にあるしょうゆやソースをかけて食べてしまう。

「口に合わなかったかしら?」

 俺の様子に真理が言い「そうだな、あまり旨いとはいえないな」と言った。

 それが悪かったのか真理の眉間に皺が寄り、不機嫌を全身で表しながら口をへの字に曲げてしまう。

 どうしたんだと聞いても別にと返すだけ。

 俺には何がいけなかったのかが分からなかった。

 料理の出来については登紀子に対しても言うことで、旨くないといえば登紀子はいつも「あら、じゃぁもっと美味しくなるように研究しなきゃ」とからからと笑い声を立てて言う。だから何が悪いんだと不機嫌な真理に対して俺は逆に苛立っていた。

 真理は食事が終わっても不機嫌でつっけんどんに俺を扱う。

 体を寄せれば逃げるし仕事をしたいと別の部屋にこもってしまった。

 俺の中に生まれた苛立ちは真理の態度でますます膨れ上がり、部屋から真理が出てきたときに真理を羽交い絞めにしてベッドに押し倒す。

「ちょっと、止めて!」

 暴れる真理の言葉など聞く気は無く、止めてといいながらも真理は俺を求めているはずだと、抵抗がなくなるまで愛撫を続けてセックスをした。

 案の定、快楽が体の中に生まれれば真理は喘ぎ声を発し始め、俺は昨夜と同じく何度も何度も真理の体を抱いて次の日を迎えた。

 そんな生活を続けた夕方。

 会社から帰ってすぐに数度のセックスをし、腹が減ってきたのでぐったりと裸のままの体をベッドに横たえている真理をゆすって起こした。そして食事を要求すると真理は俺を酷く睨みつけてだるそうに体を起こし、近くに落ちていたバスタオルを体に巻きつけ言う。

「また、飯って命令するの? ねぇ、いい加減に家に帰ってくれないかしら」

「何だ。藪から棒に」

「私だって自分の時間をとりたいのよ。なのに、やれ食事だセックスだって。私は貴方の奥さんでもなければ、お手伝いさんでもセックスペットでもないのよ。貴方がこんな人だなんて思わなかったわ。脱いだものは脱ぎっぱなし、家事を手伝ってくれるわけでもなくただ命令するだけ。やってもらっているくせに文句を言い放題。挙句の果ては自分がやりたいからって理由だけでセックス三昧、私の体のことなんてこれっぽちも考えてない。職場とは違っていろんな面でだらしないくせに偉そうで。私はね、バリバリ仕事をしてたくましくて頼りがいがある『平松清史』が好きだったの。こんな何処でもいるやりたいだけの中年親父はごめんよ」

 真理は自分の洋服に着替えながらそう言い、着替え終わると何時の間につめたのか今まで俺がこの家においていた洋服や日用品が入った大きめのバッグと、細かい身近の小物を目の前でビニールの買い物袋に詰め込んで裏口に置く。

「昨日の夜とさっきセックスをしてあげたのはお餞別代りです。この数日で馬鹿みたいに十分やったから残りの人生もうセックスしなくても良いんじゃないですか。あれで満足できていないわけないですよね? はぁ、本当に奥さんと別れてなんて言わなくて良かったわ、自滅するところだった。ここ数日、私を何だと思っているんだって何度怒鳴ろうと思ったか。いい加減にしてほしいわ。出て行ってください」

「……別れるっていうのか」

「えぇ、お願いですから別れてください。貴方の面倒を見るのはもう沢山。あぁ、そうそう。心配しなくていいですよ。会社に言ったり慰謝料をくれなんて言ったりしませんから。暫くは一緒の会社に居ることになるでしょうけど、なるべく早く派遣先を変えてもらいます」

「君が俺の傍からいなくなるなんて考えたくないんだ」

「私がというより私の体がでしょ? 最後の最後まで未練がましいですね、本当にどうしてこんな人を好きだったのかしら。若い女の体が欲しいだけならそういうお店に行くようにすることですね。被害者は私一人で十分。なんだかんだ言っても貴方は結局奥さんがいいんですもの」

「登紀子がいいだって?」

 真理から発せられた言葉に思わず声が裏返った。

 登紀子と真理を比べれば明らかに真理が良いに決まっている。

 いったい何を言い出したのかと怪訝な瞳を向ければ、真理はやれやれといわんばかりに俺の着替えを投げつけてため息を吐き出した。

「気付いてないなんて本当に最低。いい機会ですから良く考えてみたらどうですか? この数日間、私と一緒に居た貴方は毎日毎日私と誰かを比べていたでしょ。そして結局どちらがいいと選んだか。自覚も無くて浮気をするようなこんな男と奥さんもよく一緒にいるわ、尊敬しちゃう。最後にはっきり言わせてもらいますけど、私はセックスペットになって貴方のような人に命令されてまで一緒にいる気は全くありません。私に未練、というより私の体でしょうけど、そういうのですがり付いてくるような情けない姿を見せないで、私のことなんて私同様綺麗さっぱり忘れてください。会社も変わりますしここも早々に引っ越します」

「真理、君は何か誤解しているんだ。君が居てくれるから俺は」

「何度言わせるつもりですか? 私が本気で怒らないうちにさっさと出て行ってください!」

 今までの可愛らしく弱弱しく見えた真理はここには居らず、まるで仁王のような形相で俺を追い出そうとしている。

 睨みつける視線は本当に怒っているのだと感じ取れ、俺はその迫力に押されるまま投げつけられた服を着て裏口から外へ出た。

 俺が出ると同時に俺の私物が入った鞄とビニール袋が投げ出され、閉じられた扉からは鍵とチェーンがかけられる音がする。


 一体俺が何をしたって言うんだ。


 セックスが悪かったはずは無い、あんなに喘いでいたじゃないか。

 食事を催促したのが悪かっただと? 女が食事を用意するのは当然だろう。

 そんな気持ちのまま呆然としていれば裏口の横にある台所の窓が少し開き鋭い目つきの真理が言う。

「奥様の愚痴を言うのもいいですけど、貴方は人のことを言える立場ですか? もう少しご自分を省みてちゃんとしないと、私どころか奥様にまで逃げられますよ。でもそうね、貴方と付き合ったこといい経験になりました、それは感謝します、くれぐれも奥様によろしくお伝えください。さようなら」

 俺はただ呆然とその言葉を聞き、めちゃくちゃに詰め込まれている自分の荷物を抱え、この場所にずっと立ち尽くしているわけにも行かないと駅に向かって歩き出した。


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