第36話

「おかえりなさい。竜也君が来ているわよ」

 真由美の声に登紀子が先ほどとは違った明るい声で答え竜也に微笑を向ける。

「私からの話は終わり。私が言いたかったこと、分かったでしょ?」

「はい。僕が真由ちゃんを傷つけていたんだということ良く分かりました」

「そう、じゃぁ、それを真由美にしっかり自分自身で伝えてね」

 登紀子の言葉に大きく深く頷いた竜也を見て、登紀子は玄関のほうをむいて真由美を呼んだ。

 しかしそれに返事は無く、買い物袋の音だけが階段のほうからしてくる。

 真由美は、竜也がまだ家にやってきていないと思っていたのに、とっくに来ていたことに驚きリビングに向かいかけていた足を止めていた。

 妊娠はしていなかった。

 不安はなくなったのだし、竜也のことが大嫌いになったわけではない。

 けれどその原因となったセックスを思い出すと足がすくんでしまって、どうしてもリビングのほうへ歩いていくことが出来なかったのだ。

 登紀子はこちらに来る気配が無いことを察し、竜也にここで待っているように言って、リビングから階段のほうへ向かう。

 案の定、階段の一番下の部分の壁に買い物袋が置かれて、音を立てないようにゆっくりと階段を上がっていく気配があった。

「仕方ないわね」

 小さなため息と一緒に呟いた登紀子は階段をすばやく上り、半分ほど上ったところで真由美を捕まえる。

「気持ちは分からなくは無いけど会わないつもりなの?」

「……会いたくない」

「本当に? まぁ、嫌いになったというならお母さんも無理にとは言わないけど」

「嫌いじゃない、と思う。でも好きなのかどうかもわかんない。ただ、また同じことをされるのは嫌だって思っちゃって、会いたくないって」

「そう、それじゃ、なおさらこっちにいらっしゃい。今会って話さないと真由美が後悔することになるから」

 登紀子は嫌がる真由美の腕を引っ張ってリビングに連れて行き、ソファーのところで座って待っている竜也の近くに座らせる。

「これから二人がどうするか、それは二人で話し合って決めなさい。なんだか分からないうちに自然消滅しようなんて都合よく思うのも良いけど、それってすごく無責任だと私は思うわ。それに今話さないと次話す機会なんて絶対にこないわよ。だってそうでしょ、今でこれだけ気まずいのにさらに時間が経てばもっと気まずくなるもの」

 登紀子の声を聞きながら二人はうつむいて互いに互いの様子を伺うようにしていた。

 登紀子はそんな二人の様子を気にすることなく話を続ける。

「真由美が居ない間に竜也君とは話をしたから今度は真由美に少しだけ話すわね。話が終わったら母さんは出かけるから二人で話し合いなさい」

「あ、あたしにもなにかあるの?」

「当然でしょ。セックスって言うのは二人でやることなのよ、竜也君一人が悪いわけないじゃない。そりゃ悪さで言えば真由美の言うことを聞かなかったという点で竜也君のほうが七割は悪いと思うけど後の三割は真由美だと思っているわよ」

 登紀子の言葉に真由美はただきょとんとして首を傾げていた。

 どんなに痛くても辛くても竜也の行為をじっと終わるまで我慢していたし、今回のことだってやめてというのを無理やりしたのは竜也で、何処に自分が悪い場所があるのだろうと思っていたからだ。

「あら、その顔。自分は悪くないと思っているのね。大間違いよ真由美、あなたも悪いの。真由美は竜也君とセックスをするときにちゃんと自分の気持ちや感じたことを言葉にして、こうして欲しいとかこうしてくれるのが気持ちいいし好きだとか言っているかしら?」

「な、何をいいだすのよ。いきなり」

 突然のことに真由美は顔を真っ赤にしながら竜也を見て、恥ずかしいからやめてと登紀子に言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る