第32話

 次の日。久しぶりに母さんの声で目を覚ました。

 部屋のドアを開いて驚いたのは、家の中がすっかり綺麗に片付いていることだった。二階の部屋や廊下はもちろん一階も。

 あたしはやろうと思ったけど、どこに何を入れていいのかも分からず、結局片付けるつもりが物を移動させているだけになってしまっていた。なのに、たった一晩で母さんは全部やってしまったのだ。

 驚きながらすごいねって言えば、コツがあるのよと笑って返す母さんはいつも通りで。それだけなのになんだかほっと安心できる。

 一階には今までのいつもが帰ってきたように朝食の香りが立ち込めて、お腹は素直に空腹だと鳴って知らせてきた。

 いつも当たり前すぎて見えていなかったけれど、家が綺麗であり朝食が美味しそうであるのは母さんが居て、母さんが見えないところで頑張ってくれているからなんだと改めて思い知った。

 朝食を食べ終わり、乗り気ではなかったけれど母さんに促されるようにして産婦人科に行った。

 どうやら前もって母さんが予約を入れていたのか、待合室で待つことなく診察室に通される。

 産婦人科にあたしみたいな年齢がいけば、きっと妙な目で見られてしまうだろうと思っていたし、あまりすすんで行きたいと思う場所じゃなかった。

「何も産婦人科は妊娠関係だけの医者じゃないんだから平気よ」

 と、母さんはいつも言うけどあたしにはとても抵抗のある場所だった。

 今回はそれプラス、妊娠していますと本当に宣言されてしまったらどうしたら良いのだろうという不安もあり、診察室に入るのも怖かったけれど母さんが「大丈夫、どっちに転んでも母さんが居るんだから任せておきなさい」といってくれたので少し不安が和らいだ。

 まずは尿検査、そのあと妙な椅子に座ることになった。

 それにしても産婦人科というのはどうしてこう恥ずかしい格好をしなければならないんだろう。そう思いながら診察台に乗る。

「それじゃ、見ますね」

 カーテンの向こうから聞こえてきたのは女の人の声で、どうやらここは女医さんのよう。

 そういえば、不安であまり気にしていなかったけれどここはいつも母さんが通っている産婦人科とは違う。

 あたしのために女医さんでなるべく自宅から遠い場所を選んでくれたのだろうか。

 足を広げて受けた診察はそんなに時間はかからず、とりあえず洋服を着て待合室で待つことになり、それもあまり待たされずにはじめは母さんだけが診察室に呼ばれた。

 一人で待つ待合室はとても不安で仕方が無かった。

 暫くしてあたしも診察室に呼ばれ、部屋に入って椅子のそばに居る母さんを見れば「大丈夫よ」と母さんは言う。

「まずは結果ね。妊娠してないわよ。今は生理不順ね。この年齢の頃には良くあることだけど、生理不順というのも病気だからそっちはきちんと治しておきましょう。ほうっておくと将来妊娠しにくくなるし、あまり良いことじゃないからね。それと、お母さんにもお話したけど、貴女の膣はちょっと傷がついているからそれも治しておきましょうね」

 なんだかよく分からないけれど、妊娠していなかったということが分かって安心し、肩をおろせば目の前の女医さんが大きなため息をつく。

「どういう過程かって言うのは置いておくにしても、妊娠してないことを喜ぶくらいならセックスなんてやるんじゃないよ。そんな親のところに生まれてくる子供のことを考えてあげなさいね。妊娠したくないって言うならちゃんと婦人科で診察を受けて処方されたピルを飲むとか方法は色々あるんだから、男にまかせっきりじゃなくって自己防衛もするようにしないとね。分かった?」

「はい、すみません」

「それじゃ、薬を出しておくからちゃんとケアしてあげて、そうね、一週間したらまた来て頂戴」

 さばさばとした言いにくいこともはっきり言う女医さんにちょっと怖さも感じたけれど、言われたことは正論だったので少しあたしは縮こまってしまった。

 妊娠をしていなかったことはとても安心し、同時に女医さんの言う通りこれからは相手任せではなく、きちんと自分が気をつけなきゃいけないと気を引き締める。

 処方箋をもっていって薬局で薬をもらった帰り道。母さんの運転であたしは助手席に座りながら「でも、あの時は力づくでどうしようもなかったんだよね」と呟けば母さんが話しかけてくる。

「今回はどうしようもなくても次回からどうでも出来るでしょ。あの先生はこれからのことを言っているのよ」

「でも。男の力に女は適わないじゃない」

「まぁね、だからこそ男はきちんとした『男』であるべきなんだけど。それが出来ないのも男なのよね。快楽の前には理性がなくなるというか。でもそんなときは股間を蹴り上げてやりなさい。痛さでそういう雰囲気も全部吹き飛ぶわよ。もしくは顔面に頭突きね」

「……なんだか母さん帰ってきてからすっごく過激だし、言いたい放題のような気がする」

「家出している間に母さんもね、色々考えたし決めたこともあるのよ。あ、そういえば、竜也君に連絡は? 明日学校終わってから家に来るように言ってくれた?」

「うん、メールしたよ。返事が無いから来るかどうかわかんないけど」

「じゃ、メールに来なかったらこっちから行くって付け足しで送っておいて。そうすれば絶対くるから」

「ホントに母さんなの? まるで別人」

「今までの母さんが母さんらしくなかっただけなのよ。さて、帰りにスーパーに寄って帰るわね。食材何にも無いんだもの」

 そういって微笑んだ母さんはどこか輝いているようで、どこか楽しそうで、それはそれでいいことなんだろうけど、竜也を家に呼んで母さんは一体どうするつもりなんだろうと、少しだけ不安になってきていた。


 家に帰ってきた登紀子はそのまま家の片付けの続きを始めたが、暫くして真由美が自分も手伝うと言い出し驚く。

 今まで一度だって手伝うなどということは言い出したことが無いのに、どういう風の吹き回しかと見つめていれば、

「だって、少しずつでも教えてくれるって言ったじゃない。それに今回母さんがちょっと居なくなっただけであたしは何も出来なくって本当に情けなかったんだもん」

 と登紀子から顔を背け赤くなりながら言う真由美に、家を出たのも無駄ではなかったと思っていた。

 それと同時に反抗期だから、そう思って何も言わずに居た登紀子だったが、怒るときは怒る、ほうっておくときはほうっておくとメリハリをつけないと駄目だと、いまさらながら子育ては難しいとも思っていた。

 そしてその日、登紀子は三人分の夕食を作ったが、結局清史が帰ってくることは無かった。

 

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