第31話

 息を吸い込んだのは決意の表れ。

 聞きたくても聞けずにいたことを今聞くしかないと思ったからで、うつむき加減に下を見つめる娘の顔を上げさせてしっかり瞳を見つめて聞く。

「真由美、お母さんね、貴女に聞かなきゃいけないと思いながらもずっと聞けてないことがあるの」

「……何?」

「真由美、あなた最近生理はきているの? 来てないんじゃないの?」

 真由美は瞳を見開いて驚きながら「どうして」と呟くように聞き返していた。

「これでも貴女の母親よ。あなたの浅知恵の小細工が分からないでどうするの。それじゃ、やっぱり生理はきてないのね。順序良く話してくれる?」

 はじめはどうしようかと躊躇した真由美だったが、登紀子と同じく、今話さなければもう話す機会は無いかもしれないと、竜也との付き合いのことのすべてを嘘をつくことなく登紀子に話した。

 途中、どんな怒鳴り声がするかと思っていたが、登紀子からは「うん、それで? 」と静かな相槌が聞こえるだけ。

 それに促されるように話しおわった真由美は最後に「本当にごめんなさい」と謝る。

「そうね、黙っていたことはちょっと悲しいけど、お母さんもちゃんと聞かなかったしそれはお相子ね。それに小さな子供じゃないから恋人同士になったらセックスだってするわよ。雄雌がある以上そういう行為になるのは普通のことよ。だからそれについてどうこう言うつもりは無いわ。でもこういうことになったらすぐにお母さんに相談しなさい。子供が一人で考えていてもいい答えなんて出ないでしょ。こういうときこそ大人を頼らないと」

「うん、ごめんなさい」

「怒りたい気持ちが無いとはいえないけど、十分反省していると思うから許してあげる。怖かったでしょ。でも大丈夫よ、真由美にはお母さんがいるんだから」

 真由美の肩を抱きながら登紀子は優しい口調でそういい、真由美は登紀子の肩に頭を預けて頷いた。

「そうね、とりあえず本当に妊娠しているかどうかをちゃんと確かめないと駄目ね」

「もう全然生理が来てないんだもん。妊娠しているでしょ」

「そうとも限らないのよ。お母さんも昔生理がきちんと来なかった時期があってね。半年に1回なんて言うめちゃくちゃな状態だった時があるわ。生理不順って言う可能性もあるのよ、もちろん妊娠の可能性もあるけど。生理不順だったとしてもちゃんとお医者さんで治してもらわなきゃいけないし、明日、お母さんと産婦人科に行きましょう。この話は結果が出てからまたどうするか決めないとね。それからその竜也君だったかしら、その子に明後日でも学校と部活動が終わってからでいいから家にくるように言ってもらえる?」

「話すの?」

「色々ね、彼にも聞いておきたいことがあるしお母さんだって言いたいことがあるから。大丈夫よ、殴ったりとかしないし、真由美が会いたくないならあなたは部屋にいれば良いわ。呼んでくれるだけで良いのよ」

 真由美には登紀子が竜也を呼び出してどうするつもりなのか全く想像がつかなかった。

 ドラマとかならば家の娘をと怒鳴りつけて殴るような場面が思い浮かぶが、今の登紀子の表情は怒りというよりも仕方が無いという感じでどこか微笑んでいるようにも見える。

「色々って何を話すの?」

「知りたかったら一緒に居ればいいわ。それに妊娠している、していないにかかわらずちゃんと彼には結果を教えてあげないと。そうでしょ?」

「そりゃそうだけど」

 暫く連絡を取らずに無視をし続けたと説明をされていた登紀子だったので、おそらく真由美はどんな顔をして何を話したらいいのか分からないのだろうと思っていた。

 それに加え母親が呼び出してくれなんて頼むから何かあると思っているのかもしれない。

 登紀子は少し不安そうな表情を浮かべる真由美に「大丈夫」と一言言って立ち上がり、台所に向かった。

「それにしても散らかしたわね」

「一応片付けようとはしたんだけど、片付けているはずなのに散らかっちゃって」

「真由美にはこれから少しだけでも家事を手伝ってもらって覚えてもらわないと駄目ね。ところでお腹は空いてない?」

「うん、大丈夫。母さんから電話があったあとカップ麺食べたから」

「そう、じゃぁ、今日はもう寝なさい。母さんは少し片づけしてから寝るわ。心配しなくてもどこにももう行かないから安心して自分の部屋で寝ていいわよ」

 笑顔で言う登紀子にこくりと頷いた真由美が、リビングから自分の部屋に戻ろうとしたとき「全く、あの人は仕方ないわね」と呟く母親の言葉を聞いて足を止め、振り返って掃除を始めた登紀子に訊ねる。

「ねぇ、母さん」

「ん? 何?」

「母さんは父さんが不倫しているの知っているんでしょ?」

「あら、真由美も知っていたの?」

 登紀子は少し驚いたように聞き返し、真由美はパーカーのポケットから皺になった父親が無造作に捨てていった登紀子の手紙を出してこれを見たからといった。

 真由美に近づいて手紙を手にした登紀子は「ゴミはゴミ箱へでしょうに」と呟きながらやれやれといった風のため息を吐き出す。

「真由美には知られないようにしようと思っていたのに本当に仕方の無い人ね」

「母さん、何時から知っていたの?」

「何時からって、何時だったかしら。でも一年以上のお付き合いではあるはずよ」

 別に怒鳴るわけでも機嫌を悪く話すわけでもなく、淡々と会話する登紀子よりも真由美のほうが眉間に皺を寄せて口をへの字に曲げ機嫌悪く「最低」と呟いた。

「母さんは父さんに不倫なんかされて、しかも一年以上も裏切られていて腹が立たないの?」

 機嫌悪く少々怒った口調で真由美に聞かれた登紀子は、片付けの手を止めて少し考えながら「そうねぇ」と話し始める。

「全く腹が立たないというと嘘になるわね。嫌なものは嫌だし、いい年したおっさんが何色気づいてんだ、いい加減にしろって気持ちはあるわね」

「だったらどうして一年も放って置いたの? あたしだったら証拠集めて突きつけて怒鳴りつけてやるのに」

「そうね、そうしていたらこんなことにならなかったかもしれないわね。ただ、そうなった原因はお母さんにあるとも思っているから怒るのは筋違いかなって思っちゃってね。それに浮気をしているけれど家計を握っていたのはお母さんだし、一生懸命働いて稼いだ自分のお金の小遣い分ぐらいは好きにさせてあげてもいいかとも思ったし」

「原因って母さんも浮気したの?」

「違う違う。お母さんが出来るわけないでしょ。こんなおデブ、相手にしてくれる人なんていないわよ。それに、お母さんはそういう面倒なことはしたくないしね。そうじゃなくって、お父さんのはけ口を用意してあげられてないからそうなっても仕方ないって思っているだけ」

「どういうこと?」

 聞いてきた真由美に説明しようかどうしようかと登紀子は迷う。

 男女のセックスについて子供と話すことなんて普通はないし、何よりそんな話題を親子でして良いのかと疑問に思い、今まではなるべくしないように回避してきたような気がする。

 テレビでセックスシーンなんかが流れれば自然な形を装ってその場から離れたり、チャンネルを変えたりしたこともある。

 どこか恥ずかしくてそういう話題を出来ずにいたのだ。

 でも考えてみればそんな態度をとっていたために今回のことが起こったと言えなくは無い。

 学校では性教育というものはしないだろうし、ましてや同じ年頃の子達が集まって、自分勝手に正しいのかも分からず正しいとして話をしてしまっているのは間違いだ。

 登紀子は親子だからこそ話さなきゃいけないことだったのかもしれないと思い、少し深呼吸をした後、真由美の肩を抱いて真由美の部屋に行きながら自分の中にある性と言うものの考え方や清史の中にある性欲について、そして清史を受け入れることが出来ない自分について話し始める。

「分かる気がするな」

 話しが終わり、自分のベッドに座った真由美は呟き、部屋を出て行こうとした登紀子は振り返った。

 首を傾げる登紀子に少し恥ずかしそうに自分もセックスというものに興味があまり無いこと、でもそれは好きと言う気持ちとはまた別のものだと思っていることを言う。

 登紀子はその言葉に小さく微笑みながら近づいてきて真由美の隣に腰を下ろした。

「あら、やっぱり親子は似るものなのね。だったらなおさら、お母さんみたいになっちゃ駄目よ。ちゃんと好きな人は話し合ってお互いにとって良いセックスをなさい」

「セックスが無くても愛はあるんでしょ? だったらそっちが良いな」

「それは貴女と私だけの理屈。男には通用しない、っていうより理解できないわよ。それに、なんとかこうして気持ちを保っていても、やっぱり浮気されて不倫されているって良いものじゃないわよ。泣いて喚いて泥棒猫って相手にいえるほど感情的になれたらどんなに楽か分からないけど、お母さんにそれは出来ないしね。苦労しているからこそ言うの。いくら親子でもお母さんみたいになっちゃ絶対に駄目よ」

「……父さんと離婚するの?」

「さぁ、それはお父さん次第でしょ。真由美は明日があるんだから早く寝なさい。明日は学校に風邪で休むって電話しておくから一緒に産婦人科に行きましょうね。それと明後日のこと、ちゃんと竜也君に連絡をとってね」

「うん、わかった。おやすみなさい」

「おやすみ」

 登紀子の少し寂しそうで少し自嘲するような笑みに真由美は、母親のことを苦労なんかしていない暇な一日をのんびり過ごしているだけ、と思っていた自分はなんて駄目なんだろうと責め、父さんはいったい何を考えているんだろうと父親に対して怒りを感じていた。

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