第26話

 水月は突然のことに驚きながら体が硬直し、どうしたら良いのかと思っていれば耳元に少し震えた秋彦の声が響く。

「ホントに好きなんだ。それは間違いないから。返事は急がないよ、今までずいぶん待ったしさ。でも返事は欲しい。困らせているかもしれないけど、水月の考えたまま感じたままを返事にしてくれて良いから」

 秋彦はそれだけ言うとゆっくり離れて、体温が感じなくなればその場から走り去っていった。

 残された水月は秋彦の温かさがなくなったことに寂しさを感じながら、呆然と空を見つめる。

「甘酸っぱくって、おばさん死にそうだったわ」

 突然後ろから声が聞こえて我に返った水月が後ろを振り向けば、いかにも顔が緩んで確実に盗み見していたと思われる登紀子が居た。

「若いって良いわね~。あれがおばさんと旦那だったらきっと絵にならないわね」 

 馬鹿にされているように感じた水月は、機嫌悪く口をへの字に曲げて隣に座った登紀子を半分睨みつけるようにして見つめる。

「平松さん、どうしてここに居るんです」

「おばさんをおばさんと侮る無かれ。おばさんにはおばさんにしか出来ないやり方っていうのがあるのよ。そこらじゅうの人に白いワンピースの美少女を知りませんかって聞いて回ってここにたどり着きました。すごいでしょ?」

「すごいって言うか、本当にそんなことを見ず知らずの人に聞いて来たんですか?」

「私ほどの経験者になるとね、それくらい朝飯前なのよ。ところでさっきのかっこいい子は誰なの」

 得意げに言う登紀子の言葉にあまり自慢できる事柄ではないような気がすると水月は思いながら、秋彦のことを元クラスメイトで今は旅館に出入りしている酒屋さんだと説明した。

「それで、彼の愛の告白に水月ちゃんは応えてあげるの? 彼はお買い得商品だとおばさんの直感は言っているわよ」

 登紀子が言えば、水月は瞳を閉じて首を横に振り「私なんか、駄目です」といって黙り込んでしまった。

 登紀子はそんな水月の肩を抱いて自分に引き寄せ「自分で自分を駄目なんて言っちゃ、もっと駄目よ」と言ったが、水月はどこか影の落ちた暗い表情で「駄目なものは駄目ですよ」と投げやりに言い放つ。

 登紀子にはその態度が許せなかった。

 ちょっといらっしゃいといって腕を組み、絶対に水月が逃げられないようにした後、引きずって宿に戻り自分の泊まっている離れに連れ込む。

 途中、廊下を歩く夏樹に出会い「この馬鹿、ちゃんと見つけたって女将に言っておいて」と伝言だけしてすぐに立ち去った。

 離れの部屋に入った登紀子は座卓の座布団に正座させあっけにとられている水月の頬を叩いた。

 突然のことに痛さよりも驚きのほうが先に来て、呆然と目の前で仁王立ちする登紀子を眺める。

「一応人目を気にしてあげたんだから感謝してね。自分の娘だったらその場で叩いていただろうけど」

 鼻息を一つ、勢いよく噴出させながら言う登紀子に水月は頬に手を当て、驚きの表情から眉間に皺を寄せ不快感をあらわにした。

「いったい何なんですか」

「人の悪口を言うのも、噂話をするのも、それはその人の自由だし、こちらが何かを言ってもそういう人たちにはたいした打撃にはならないから放っておくけど、自分で自分のことを駄目だとか嫌いだとか、後ろ向きな発言をするやつはおばさん大嫌いなのよ。それも本当に駄目なやつが言っているなら納得してあげるけど、そうじゃないのに言うやつはもっと嫌い。自分で自分のことは一番良くわかっている、それはそうだと思うけど、自分の駄目さ加減が自分で判るかって言うとそうじゃないわ。水月ちゃん、貴女は全然駄目じゃないのよ。ちゃんと自分に向き合いなさい、どうしてそう逃げてばかりいるの」

「知らないからそういうんです。私はお母さんみたいに何でも出来るわけじゃないし、ほかの人みたいに覚えが良いわけでも、頭がいいわけでもない。自分と向き合っていないんじゃなくって、向きあって客観的に見て駄目だと思うから駄目だといっただけです。それに、平松さんは知らないだろうけど、私は高校生のくせに母親も旅館もすべてを放り出して男を追いかけていったんです。しかも追いかけていったのは自分のクラスの担任で旅館の売り上げの入った手提げ金庫まで持ち出して。でも結局捨てられて、のこのこ帰ってきたんです。その人にも言われました、馬鹿な上に面倒くさい女で駄目な奴だって。こんな私が駄目じゃないわけないじゃないですか……」

 小さな声で、最後には消え去りそうに話した水月に登紀子は「だから? 」と聞き返した。

「だからって、だって駄目じゃないですか。お金持ち出して男追いかけて、挙句の果てに捨てられて。最悪以外に無いでしょ」

「まぁ、絵に描いたようにお馬鹿さんってのはそうね。でもそれは過去のことでしょ? 今はそんなこと過去にこんなことがあった女にしかならないじゃない。これからの貴女の生き方や話しようによっては笑い話にもなるんだし大した事じゃないわ。まぁ思い込みが激しそうだから今後そういう面は要注意ってことは言えるわね」

「そんな、だって皆たぶん心の中では情けない可哀相な子って。だからやさしく接してくれて……」

「そうね、貴女が何時までもそんな態度をとっているから皆気を使っているの。皆が、じゃなくって貴女がそうさせているの。駄目だ駄目だといい続けているから。いいんじゃない、そういう若気の至り的な失敗談があっても。私にしてみればうらやましい話よ。そんな風に恋した相手に向かって突っ走れるなんて私には無かったもの。男女の恋愛に興味が無いわけじゃなかったけど、相手の胸に飛び込んでいけるほどの勇気はなかったのよね。それに、そういうことをした貴女が駄目なんだったら恋愛した事柄自体がだめだってことになるじゃない? あと、貴女を許してくれている人たちも駄目ってことになるし。それとね、人と自分を比べるのは良いことよ。でも、それをマイナスの要因に使っちゃ駄目、あの人はこんなで自分はこんな、だから自分も頑張ろうってプラスに使わなきゃ」

 はじめはわけも分からず叩かれたことに苛立ち、登紀子のことを睨みつけていた水月だったが、言葉を聞くほどにその瞳は揺らめいて、眉尻は下がっていく。

「ほら御覧なさい。本当に悪い子はね、こういうことを言われると『うるせぇババァ』って怒鳴りつけて唾でもかけそうな勢いになるんだけど、貴女はちゃんと理解できるでしょ。頭は良いし理解力もある。もう一度言うわよ、水月ちゃんは駄目なんかじゃない!」

 断言され、頭をなでられたことで水月の中にあった、何かを押さえつけ塞いでいたものは壊れ、一気に涙が噴出してきた。

 あらあらと登紀子は洗面所に入ってタオルを取り、水月に渡す。受け取った水月はそのまま体を丸めてただひたすら感情に流されるままに泣き、登紀子は黙って隣で座っていた。

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