第22話

 体を引きずるようにして結局どうしようかということを決められないまま水月は離れにやってくる。

 チャイムを鳴らし中から登紀子の明るい返事が聞こえてくれば胸はどきりと緊張した。

「いらっしゃい」

「お邪魔します」

 笑顔で迎えた登紀子はどこかに出かけるという風な格好ではなく、水月が首を傾げていれば登紀子は手を引いて水月を部屋の中に連れ込む。

 出かけないのだろうかと思ってみていると、水月は登紀子に引っ張られるようにして部屋の三面鏡の前に座らされた。

 さらに、邪魔にならないようにと一つにひっつめていた髪ゴムを取られてしまう。

 黒く長いさらりとしたストレートの髪の毛が風になびくように下へ向かって落ち、いったい何なのかと鏡越しに登紀子を見た。

 水月の視線に気付きながらも登紀子は何も言わず笑顔で髪の毛に櫛を通す。

「綺麗な髪の毛ね。肌もつるつるだわ。毛染めもお化粧もしてないのね」

「女将がそういうのは一人前になってからだというので」

「ちゃんと守っているのが偉いわ。家の娘だったら言ってもきっと『だって皆がやっているんだもん』とか言って全然聞いてくれないだろうから。じゃぁ、お洒落とかに興味は無い?」

 登紀子に聞かれ、どう答えようかと迷っていた水月だったが、駄目といわれているからやらないだけで綺麗な服や格好に興味が無いわけではなく、黙って首を横に振った。

 それを見た登紀子は良かったと喜んで水月の肩に手を置き、鏡越しに笑顔を向ける。

「今日はねヒギンズ教授気分で貴女を綺麗にしてみようと思うの」

「ヒギンズ教授?」

「あら、知らない? 昔あった映画でね、一人の女性を磨き上げる教授よ。流行のメイクは無理だけど綺麗にはできるわ。おばさんだって何十年と女をやってきているんですもの。嫌だったら言ってちょうだいね」

 水月はこんなことをしてもらうのは初めて。

 子供の頃ですら母親は忙しく、髪の毛を結わいてもらったことすらなかった。

 学校の友達同士で遊び半分ということや、あまりにも身なりを気にしない水月を見るに見かねて女性従業員の誰かがやってくれるということはあったが、こんな風に年上の人が積極的に自分に対して何かをしてやろうとしてくれることなど初めての経験。

 なんだかむずむずするような恥ずかしさを感じながら成されるがまま、柱時計の振り子の音が響く部屋に座っていた。

 数十分過ぎ、正座になれている水月でも少し足がしびれてきたように感じ始めた頃、登紀子が「こんな感じかしらね」といって三面鏡の前にあった体をどけて、鏡に水月をうつして見せる。

 両サイドのこめかみ部分の髪の毛を編みこんで、下ろした状態の後ろ髪の下にもぐりこませて耳を出し、前髪は柔らかいカールを描いてふんわりと。

 うっすらとした、化粧をしているのかいないのか分からない程度であるのにまるで自分ではない人が鏡に映っている。

 動き、瞬きをすれば鏡のその人も同じ動きをするのでそれは自分なのだろうと分かってはいるが頭は混乱したまま。

「やっぱり化粧のりが良いとほんの少しのお化粧でも映えるわね。娘にもしてあげたいのに『母さんがやると時代遅れになるからいらない』って嫌がっちゃって」

「全然、そんなこと無いです」

「そう、良かったわ。それじゃ、私も着替えるから貴女もこれに着替えて出かけましょうか」

 そういって登紀子が差し出したのは、昨日案内した際にどうしてもといわれて寄った洋服店で散々迷いながら登紀子が買っていた白いワンピース。

「こ、これは娘さんへのプレゼントじゃないんですか?」

「あら、違うわよ。それはもともと貴女にあげるつもりだった洋服よ。うちの娘はそんなふわふわした可愛らしい服着てくれないわ。あの子はね、どっちかっていうと私にそっくりで機能性を重視する子なのよ。さ、着替えて着替えて」

 せかすように言われ、貰えないだとか着られないという前にさっさと登紀子は手際よく水月が着ていた服を脱がせて、自分が着替える脱衣所のほうへ持っていってしまった。

 下着姿となった水月は真っ赤になりながらもこのままで居るわけにはいかないと仕方なく自分の目の前においてある洋服に袖を通す。

 着せ替え人形のような遊びで部屋の中だけだと思い込んでいた水月は、この姿で外に出るのかとため息をついて鏡に自分の姿を映した。

 鏡には今までの自分とは違った人が白くふわりとしたひざ上のワンピースを着てたたずんでいる。

「あら、やっぱり似合うわね。私ってセンスがあるのよねぇ」

 脱衣所から出てきた登紀子は自画自賛しながら水月に微笑みかけ、先ほどまで水月が着ていた洋服を綺麗にたたんだ状態で近くに置いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る