第21話

 登紀子とはまったく種類の違う息を吐いて掃除をしているのは水月。

 なんとかこなした昨日とは違い今日は登紀子の思惑を知った上で付き合わねばならない。

 気が重い中で午前中の自分の仕事だけはきちんとこなさねばと、ため息混じりに頑張っていれば「いつも以上に暗い顔だな」という声が聞こえてきた。

 声のした方を見れば、去年雇われたこの旅館では年齢も経験ももっとも若い仲居である日暮夏樹がこちらに歩いてくる。

 仲居である夏樹だったか水月よりも年上なせいか女将修行中の水月であろうと遠慮は無い。

「あたしよりずっと若いくせになに暗い顔で疲れたようなため息ついてんのよ」

 水月は母親の次に夏樹が苦手だった。

 自分とはまったく正反対の考え方で気に入らなければ気に入らないとはっきり言ってくる。それが怖くもあったし、うらやましくもあった。

「今日またお客様の付き添いをしなきゃいけないんです」

「なんだ、そんなことで暗くなっていたの? アンタは真面目すぎるんだよ。いいじゃん、息抜きできるって思えば」

「そんな風にはとても思えませんよ。この辺りのことは昨日案内し尽くしちゃったし、どうしようって」

「ホント真面目ちゃんだなぁ。どうしたらなんて簡単だろ? 自分も楽しい、相手も楽しい場所につれてってやればいいだけ。分からなきゃ相手に聞きなよ。どこ行きたいですか、何したいですかってさ」

「夏樹さんは人見知りしないし、誰とでもすぐに打ち解けられるから簡単に言っているけど、私には難しいんです」

 眉間に皺を寄せ、機嫌を損ねたように言い放つ水月に夏樹は冷たくさめた視線を送る。

「簡単に、ねぇ。まぁ、なんにしてもせっかくなのに楽しまないのはもったいないと思うけど」

「せっかくって。別に私が望んだことじゃないですし、お客様の案内で自分が楽しむなんて無理でしょ」

「だからさ、そういう風に考えるのが駄目だってのよ。アンタがそんなんじゃお客さんだって楽しめないっしょ。望んだことじゃないって言うけど、望まれたことではあるんだから良いじゃない」

 夏樹の言い分に水月は小さなため息を吐き出して、ほうっておいてくれといわんばかりの空気をあらわした。

「夏樹さんとは違って私はそんな風に考えられない駄目なやつなんです。夏樹さんに簡単なことも私には難しいんですから本当にそんな簡単に言わないでください」

「さっきから簡単簡単って。そういうの結構傷つくんだよ、アンタはホント、自分は可哀相だと思いたくて仕方ないんだな。周りが全然見えてない」

「そんなこと! 可哀相だなんて思っていません」

 夏樹の少し苛立つような物言いは水月の胸に何かちくりと来るものがあり、夏樹を睨みつけるように言葉を否定する。

「誰だって何もかもを簡単にやっているわけじゃないし、自分の勝手な想像で相手をどうだと決め付けるの良くないんじゃないか」

「そ、それは。でも、それなら夏樹さんだって私のことはそんなに知らないじゃないですか」

 珍しく自分に噛み付いてくる水月の言葉に、意外だと少々驚きながらも夏樹は口の端を少し上げて微笑み、水月の頭を軽く数回手のひらで叩く。

 まるで小さな子をあやすような手のひらの動きに水月は訝しげな瞳を夏樹に向けた。

「残念でした。不本意だけどあたしはアンタの事を良く知ってんだ。アンタは周りが全然見えてないから知らないだろうけど、たぶんこの旅館の従業員の誰にも適わないほどアンタの事を知っているやつが居てね。そいつが聞きもしないのにベラベラ、ベラベラ喋るんだ」

 夏樹は呆れたように眉を下げながらも口から小さく息を吐き出して思い出し笑いをする。

 いったい何を言い出したのかと水月が首を傾げていれば、夏樹は笑うのを止めて一つ咳払いをし今まで見たことが無い少しやさしい微笑を向けた。

「真面目も良いけど、もう少し肩の力を抜きな」

「だから、そんな簡単に」

「出来るはずだよ。アンタは努力しているもん。でもね、自分だけが可哀相だなんて自分で思っているならあたしはアンタを軽蔑するからね、よく覚えときな」

 笑みを浮かべながらも少し顔に影を落とし、今まで聞いたことの無い低い声で言った夏樹の最後の言葉に水月はびくりと体を揺らしきゅっと唇を噛み締めた。


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