第20話

 この旅館にやってきてから四日がたった。

 旅館での朝も慣れてきたが、毎朝目覚ましもかけていないのに登紀子は六時に目を覚ましてしまっていた。

「あら、また起きちゃったわ。せっかく寝坊をしようと思っているのに。習慣って怖いわね」

 登紀子は二度寝というものはしない。

 やろうと思えば出来るのだが、二度寝の後起きると一日中薬でも取れない頭痛に悩まされてしまうため、二度寝はしないことにしているのだ。

 なので、起きてしまったものは仕方がないと毎日朝風呂に入っていた。

 寝坊も二度寝出来ないのも残念だが朝早く起き、家族のためにばたばたと朝の準備をすることなくのんびりお風呂に入るのもいいものだと、これはこれで満足し気持ちよさに湧き上がってきた大きな息を吐き出す。

 登紀子は昨日から午後は皐月の娘である水月に町を案内してもらっている。

 皐月とは正反対の水月。

 人見知りで恥ずかしがり屋だと皐月に聞いていた通り、昨日はどうしたらいいのか分からないといった風に一人であたふたしていた。

 それでも水月はきちんと外湯の案内からこの町のお店など案内してくれ、皐月に聞いていた以上に町のことを知っており登紀子は勉強熱心な水月に感心しっぱなしだった。

 そして、今日の午後からも水月と一緒に町に出る予定になっていた。


 水月は午前中旅館の仕事をした後、登紀子の町案内をするようにと昨日の朝突然言われ、当然私なんかがと辞退したが、

「貴女以外の人間は皆忙しくて時間が取れないの。分かるでしょ? それにこれは皆で決めたことよ。つまりこれもお仕事のうち、しっかりやんなさい」

 とあっさり皐月に返されて、古くからこの宿に居る仲居頭の柏木さんも貫禄ある態度で水月の肩を叩き「しっかりね」といってきた。

 柏木は先代の女将の代から働いている仲居で、水月にとっては女将業で忙しい母親の変わりに自分に接してくれた第二の母のような存在だった。

 母親二人から言われてしまっては従わないわけには行かない。

 旅館の仕事でも精一杯なのに、お客様を案内するなんていう仕事が自分に出来るのだろうかとため息をつきながら午前の仕事を終え、約束通りの時間に離れの部屋を訪ねた。

 登紀子が自分の母親の知り合いらしいということは登紀子がやってきた日、部屋に案内する廊下でのやり取りで分かっていたがそれ以上は分からない。

 しかし、自分の母親と変わらない年齢に見えるのに話しやすく、なんだかあったかい気持ちになれる感じがして、引っ込み思案で人見知りなのにいつの間にかすらすらと案内できている自分が居ることに少し驚いていた。

 案内の一日目、無難にこのあたりの観光をしようと外湯や土産物屋が立ち並ぶ駅前商店街を案内し、登紀子はさまざまなものを購入し、嬉しげに次から次へと店を渡り歩く。

「娘と買い物しているみたいで楽しいわ。うちも娘が居るんだけど私みたいなださいおばさんと歩きたくないとか言って一緒に買い物してくれないのよね」

「私も母……、じゃなかった、女将とはあまり歩きたくないから。気持ちは分かるかも」

「あら、皐月さんは自慢できる位に綺麗じゃない」

「比べられちゃうし、私と一緒に歩くと女将さんの迷惑にもなるから」

 伏せ目がちに言う水月に登紀子は「そう、女将とその娘も大変ね」と流したが、例の事件はこの町中が知っていることだと皐月に聞いていたので、なるほどと心の中では納得していた。

 町の中心部から少し離れた場所にあるため、老舗などの店があったりするわけではないが登紀子はとにかくいろんな場所に行くのが楽しいとはしゃいでおり、水月も楽しむ登紀子の姿に何とか役目を果たせたとほっとする。しかし、安心したのもつかの間、

「今日は楽しかったわ。それじゃまた明日」

 と旅館に帰ってきた登紀子が言い、水月は思わず「えっ! 」と声を上げて驚く。

「あら、聞いてないの? 皐月さんったら面倒で言ってないわね。仕方が無いわねぇ本当に。私はこのあたりに知り合いもいないし、よく分からないから暫く貴女に色々連れて行ってもらおうと思ってお願いしてあるのよ。貴女を暫くお借りしますって」

「そ、そんな。私じゃなくても、ほかの人に……」

「私は貴女がいいのよ。この旅館の中で貴女が一番私の娘に近い年齢だから」

「娘さん、ですか?」

「さっきも言ったでしょ? 私ね、娘に嫌われちゃっているのよ。さらに情けないことに私は娘と会話するのが苦手なの。だから貴女には悪いけど練習させてもらおうと思って。だからおばさんに協力すると思って付き合ってくれないかしら。別に出かけなくても今の子が好きなものとか興味のあることとか教えてくれるだけでもいいの」

 お願いと言いながらも、その口調は引き受けてくれるわよね? と無言で言っているようでそのように強く出られると水月は反射的に「はい」と了承してしまう。

 良かったと喜んで握手をしてくる登紀子に水月はどうして断らなかったのだろうと自分自身の態度に後悔していた。

 一方、登紀子も実は良かったとほっとしていた。

 普段であればこんなに自分都合で強引にことを進めたりはしないため、どうやったものかと迷っていたのだが、皐月に言われたままに誘ってみたのだ。

 さすがは水月の母皐月、水月の性格をよく熟知している。

「引いちゃ駄目よ。あの子にほっとする隙を与えずに『お願い』するの。あの子はお願いされたら断れないからね。あの子の良いところであり悪いところよ」

 皐月に言われたとおりにお願いをし、水月はまんまと作戦にはまってしまったわけだが、登紀子のお願いに嘘は無い。

 実際自分の娘とは話をしたいが全く出来ず、どうしたもんだろうかと困っていたところだ。それと同時に水月は自分の娘真由美とはまったく違いどうやら控えるということが身についているような子。せっかくだからその性格ももっと明るく可愛らしい笑顔に変えてみたいとも思う。

「ちょっとマイ・フェア・レディのヒギンズ教授な感じかしら」

 朝の日課のようになった風呂に入りながら小さく明るく登紀子は微笑み再び満足げに大きな息をついた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る