第15話

「貴女にそっくりじゃない。親子ってそんなところまで似るもんなのね」

「何の話?」

「香月さんが言っていたわよ。『あの子は最近女将修行を始めたんだけどそれは恋に破れたからなのよ。勝手に出て行って勝手に帰ってきて都合がいいと思うんだけどやっぱり娘だもの、何とかしてやりたいと思うのが親なのね』って。そっくりじゃない」

 歯を見せて小さく笑う登紀子の言葉に皐月は見る間に頬が赤くなり、瞳を見開いて口を金魚のようにパクパクさせ言葉を失う。

「母と娘、似たもの同士で今度は貴女が何とかしてあげたいと思って、自分と同じようにあの子に女将修行をさせているんだ。なるほどね」

「か、母さんったらなんてこと客に話しているのよ!」

「話のなりゆきで聞いただけよ。あの時私がここにきた理由、貴女知らないでしょ? 高校を出て働き始めた頃、一緒に死んでしまってもいいくらい好きな人がいたけど結婚なんて考えられるような立場じゃなかった。相手は妻子もち、別れて私と一緒になんて言っても別れてくれないし、かといって正妻に何かをするなんてできるわけもなくて。やけになって手当たり次第に自分を傷つけたら生理がこなくなった。当然の結果だけど、どこの誰かも知らない人の子を妊娠したかと思って自己嫌悪とこの世の中が嫌になったのとで現状から逃げてきたけど、考えれば考えるほど、自分みたいな存在は死んだほうがいいって思うようになって死のうとした。ってのがあのときの私」

 突然の告白に再び驚いて、あんぐりと口をあけたままになった皐月の表情に登紀子は大きな声を出して笑った。

「私は父を早くに亡くして、母は居たけど他人のようで家を出てからは疎遠。自分をかばってくれる場所も無いって言ったのよ。そしたら香月さんは『私が居るしここがあるでしょ』って当然のように言ってくれて、なんだろうね、その一言で一気にいろんな重いものがなくなった感じだったの。だからかな、またここに来ちゃったのは」

 登紀子はそういって皐月が持ってきた徳利を傾け、自分もお猪口に酒を注いで唇をつけてゆっくりと喉に流し込む。

 驚いて間抜けに開けていた口を閉じ、じっとりとした視線で登紀子を眺めた皐月は聞いた。

「ってことは、また何かあったの?」

「結局あの時はストレスで生理が遅れていただけで妊娠はしてなくってね。あの時好きな人とはそれっきり。でもちゃんとその後もっと愛せる人を見つけて結婚して小さいけれどマイホームも手に入れたし娘も一人」

「なんだ、幸せなんじゃない」

「そうね、外見はね。実際娘は言うこと聞かないうえに最近は生理用品の減りがおかしいからどうしたのか聞きたいのに、娘は酷く両親を鬱陶しがっていて母親としてそれを聞けないで居る。夫はおばさんと化してしまった妻に女を感じなくなって外に女を作っている。私はそんな家族のために毎日毎日家事に追われていたけれど、結局私のやっていたことは家族に何の感謝もされていないってわかって虚しさだけが広がって。自分勝手に家族に置手紙をするだけにして、詳しいことは何も言わずに家出同然の主婦の有給休暇をとって現在に至るっていうのが本当の姿よ」

 大きなあきらめたようなため息とは裏腹に唇を噛み締め、怒りにも似た瞳でお猪口の中の日本酒を見つめる登紀子に皐月は「どこもそれぞれね」ともらす。

「私にしてみれば貴女の娘さんはいいと思うわよ。どうやら自分が悪かったことを反省しているみたいだし、しっかり修行にもついてきているじゃない」

「それはそうなんだけど。あの子は私とは正反対の性格でね。感情を表に出さないから私もどう接してやればいいのかわからなくて。内側に溜め込むタイプだからまたあのときみたいに爆発するように居なくなったらどうしよう、また傷ついてボロボロになってしまったらどうしようって。心配で仕方ないのよ」

「親子だから、不便なのよね。言いたいことが言えるようで言えない。そういえば貴女ご主人は?」

「離婚したのよ。あのろくでなし、ここの金を使い込んで女遊びしていたの。だからたたき出してやったのよ。でもそれも原因かもね。あの子はお父さん大好きっこだったから父親が自分たちを裏切って結局捨てられたって思っていてショックだったのかも。父親という大好きな存在を急に無くしたせいか、あの子は年上好きで自分の高校の担任について行っちゃって」

「お父さん大好きで年上好きか、家の娘では考えられないわね。父親ぐらいの年代はおじさんって思っていて恋愛対象にはならないだろうから。それに私も離婚は考えられないかな。私の悩みを誰かに言えばきっとその人はさっさと別れてしまいなさいって言うんだろうけど、それは無理。世の中物々交換の時代じゃないから生きていくためには働かなきゃならないし、それがほいほいっと出来ればいいけどなかなかね。それに、娘のことも主人のことも愛していないわけじゃないし」

「そうね、私は愛想も何もかも尽きてしまったし、この旅館があったから結論はすぐに出たけど、そういう人ばかりじゃないものね。それにしてもどうして男って言うのは一人の女で我慢ができないのかしら」

「まぁ、男も女も関係ないけどね。女でもそういう人は沢山いるから。私はある意味うらやましいわよね。私なんかとてもとてもって感じだもの」

「当然でしょ、好きで結婚したなら本来は一人で十分なはずだもの。登紀子も大変よね~、そんな旦那を抱えて」

「あ、勘違いしないでね。私は旦那の不倫のことは別に怒ってないのよ」

「嘘! どうして?」

「半分は私が悪いのかもしれないから」

「どういうこと?」

「私はセックスって言うのがあまり好きじゃなくって、夫のことは愛しているし好きだけど、私はそれにイコールでセックスは付いてこないのよ。二人で居られればいいじゃないって思うから。でも男はそうは行かないのよね。世間一般で言うセックスレス、それがあの人が不倫に走っちゃった原因だと思うの」

「はぁ、セックスねぇ。愛しているからセックスってのは若い頃だけだものね。恋愛漫画や小説、ドラマなんかの甘い感じなんて年をとればなくなっていくもの。まぁだからこそ、そういう甘さがほしくて架空の世界に求めちゃうのかも知れないけど。私は無いわね。男はもう結構こりごり」

「私も夫以外の人との恋愛やセックスは考えられないわね。夫が亡くなれば別だけど居る状態でなんて面倒だもの。ただまぁ、私がセックスをしたくなくなったのは夫が原因でもあるけれどね」

「あら、そうなの?」

「まあね。もともと好きじゃないって言う以外にも以前まだ旦那とセックスをしているとき、旦那が私とセックスしながらアダルトビデオを流し始めて視線はずっとそっちを見ているってことがあってね、それが少しトラウマになっているのよね。それに自分のことながらあぁなるほどって思っちゃったのよ。あの人は体を通して伝わってくる快楽は私で味わったとしても、視線では私の体に満足していないんだ。だったら私とあの人とのセックスは余計に意味は無いって感じちゃって。それから夫のちょっとしたスケベな行動に不快感をいだくようになって、普通のときはなんでもないのに、少しいやらしさが入ると悪寒が走って嫌な態度をとって、そうして夫とのセックスは無くなったの。不倫は夫の男としてのはけ口、そう思っているしその考えは間違ってないと思う。だからといって自分の夫がほかの女とセックスしているという事実が良いなんて少しも思ってないわよ。怒らないってだけでやっぱり愛しているし好きだもの嫌なものは嫌」

「はぁ、なんだか大変そうね。でも私も考えてみれば旅館の仕事が忙しくて夫とセックスをしたって覚えが少ないしその頃からあの人は女遊びを始めたわ。それって私も悪かったってことなのかもしれないわね」

「男と女の違いよね。女は気持ちのつながりで愛を感じて確かめることができるし、セックスという欲は欲として考えるという、別けて考えることができるけど、男は体のつながりで愛と欲を満たす。女はどちらかが欠如したとしても補完なくやっていけるけど、男はどちらかが欠如すると補完しないと完結しない」

「まぁね。女でも両方あって完結するのもいるけど、大多数がそうではないかもしれないわね。男はほとんどでしょうけど。理性で考えるか、本能で考えるかの違いよね」

「それがわかっているから私も我慢しているの。応えられていない自分が居るんですもの。そういう面は無理だけどせめてとほかの事は精一杯がんばってみているけど、そちらはまるで見てくれてないのよね。言葉にしないからだって言われればそれまでだけど」

「でも今回は自殺しないんでしょ」

「当然。私だってまだまだやりたいことも、やらなきゃいけないことも沢山あるんだもの。鬱々しているのも嫌だし、私が私であろうとし始めた原点に戻って、そしてよく考えようと思ってここにきたの」

 互いに、ただ日々を繰り返してはいるが、やはりそれなりに色々あるのだと愚痴にも似た言葉を吐き出して、最後に「やっぱり、それぞれ色々あるわね」としみじみいう皐月の言葉に少し考えていた登紀子はちょっとした提案を皐月にする。

 突然の申し出に少々驚いた皐月だったが、自分ではどうしようもないことだからと「そうね、お願いしようかしら」と登紀子の提案に乗り、離れの柱時計が一回鐘を鳴らしたのを聞いてあわてて皐月は立ち上がった。

「もうこんな時間。つい話し込んじゃって」

「私はいいけど貴女は明日も女将さんにならなきゃいけないのに気付かなくて、ごめんなさい」

「いいのよ。久しぶりに会ったらどうしても話したくなってここに来たのは私だし。せっかくの旅行だもの、草抜きなんていいからゆっくりしていってね」

 悪戯な笑みを浮かべてそういった皐月は持ってきたお酒などを再び岡持ちに入れて離れを後にする。離れの扉に鍵をかけ、電気を消して布団に入った登紀子は天井を見ながら、自分の居ないこの夜を家族はどう過ごしただろうかと少し心配しながら瞳を閉じた。

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