第14話

 深夜、日付が変わろうかというころ。

 大体いつもは皆が寝静まった後の片付けをして布団に入ろうかという時間、登紀子が片付けをしなくてもいいんだという開放感の中で、コマーシャルばかりのテレビ番組に少しあくびをしていれば小さくドアを叩く音がして離れの玄関へと向かう。

 扉を開けると昼間のびしっと着崩れることなく、落ち着いた柄の品のある着物を着た女将姿とは違い、スウェット姿のかなりラフな格好をした皐月が岡持片手に立っていた。

「あら、いいの? お客様にそんな格好をしても」

「今は女将としてきたんじゃないもの。皐月としてきたんだからこれでいいの」

 ふふんと鼻で笑った皐月は勝手知ったるといわんばかりに離れに入って来て、登紀子も小さく笑って扉を閉め皐月の後を追う。

 皐月は座卓のある部屋に入って、岡持から日本酒とつまみを取り出し、押入れから出した座布団に体を崩すように腰を下ろすと大きなため息をついた。

「お疲れさま。大変ね、女将業も」

「まぁね、でもいいのよ忙しいほうが。忙しいってことはお客様が居るって事だもの。それより聞いたわよ、草取りしていたんですって?」

「あら、やっぱり言っちゃったのね。暇でついやっちゃったのよ、怒らないであげてね」

「怒りゃしないわよ。怒るどころか貴女らしいって笑っちゃったくらいだもの。ほら、あの時だって母さんがゆっくり考えなさいって言ったのに貴女結局この宿中の掃除をしていたじゃない」

「あら、懐かしい。そういえば女将さん、じゃなかった先代の女将は?」

「五年前にぽっくりね。一時期お客様が減ってね、大変だったんだけどようやく客足が安定してきたって思ったときに安心したのかしらね。時間通りに起きてくる人が起きてこないから、部屋に行ったらきちんと布団をかぶって綺麗な寝姿で逝っていたわ」

「そう、会えなくて残念だわ。でも最後まで女将さんらしいわね」

 少ししんみりした空気が流れたが、すぐに皐月が湿っぽいのはやめようと言い出し、昔話に花を咲かせ始める。

 まだ登紀子が結婚もしておらず、独身で二十の頃。

 今思えばたいした悩みでもなかったのだが、その頃は生きるか死ぬかというほどに悩んでやってきたこの宿。

 結局死ぬことを選び自殺をしようとしていたところを皐月と、皐月の母、当時の女将であった香月に止められた。

 女将は諭すように、そして心の底から心配して声をかけていたが、その話を聞いた女将見習いだった皐月は登紀子に、

「あんたがここで死ぬってことはこの宿の評判が落ちるってことなのよ! それをわかっていてやってんでしょうね! 馬鹿じゃないの? 客商売している方の身になんなさいよね。あんたが何しようが、そっちの都合で死んだら関係ないかも知れないけど、こっちは死活問題なのよ!」

 と怒鳴りつけたのだ。

 もちろん皐月は客に対してなんていう態度をとるのかと香月に叱られるわけだが、登紀子は皐月のその怒鳴り声で自分の狭い世界から少し抜け出した。

 そして、本当に馬鹿なことをしたと後悔してせめてもの恩返しにと数日かけてこの宿をぴかぴかに掃除をし、下働きのように雑用も嫌といわずにすすんでやって、頭を下げて帰っていった。

 その間、客としてではなくまるで家族のように接してくれた香月と遠慮の無い皐月にどれだけ救われたかわからない。

「懐かしいわね、古い親戚の家を訪ねた気分だわ。私の両親は早くに離婚、私がついていった父はすぐに亡くなって。父方の親族が誰も見てくれないからってお世話になった母の家では肩身が狭くてね。高校を卒業して家を出て働き出したら母方とは疎遠になってしまったし、血のつながらない弟とは母の葬式以来会ってない。本当の意味での家族なんてものが無かったから先代の女将が母親、貴女を姉のように感じていたわ」

「そんなこと言って、あれからぜんぜん顔も見せないし手紙もくれなかったじゃない」

「忘れていたわけじゃないのよ、ただ、私も自分のことで精一杯だったから」

「……まぁ、そうね。私も人のことは言えないし。でも今回は骨休めにここを思い出して来たのよね?」

「えぇ、そうよ。私も結婚してね、主婦していたんだけど今回はその主婦業の有給休暇をもらってきちゃったの。色々疲れちゃって」

「主婦業の有給休暇、ね。良いわねそれ。今度旅行会社の人が来たら相談してみようかしら。そういうツアー組めない? って」

「相変わらずちゃっかりしているわね。頭の中は旅館のことでいっぱいね」

「そりゃそうでしょ。これで生活しているし、従業員の生活をみているんだもの。それと今は娘のことで精一杯よ」

 大きなため息をついて言う皐月に登紀子は「あら、私いいタイミングでここに来たってことかしら? 」と微笑んでみせ、皐月は「まぁ、そうね」と少し苦い笑いを返す。

「あの子、つい最近帰ってきたんだけど、一年間消息不明だったのよ。理由、何だと思う?」

 登紀子が暫く考えて首を横に振ると、皐月はお猪口に注いだ日本酒を一気に胃袋に流し込んでもう一度大きな息を吐いた。

「男よ。好きな人が県外に出るからって付いて行っちゃってね。結局捨てられてぼろぼろになって帰ってきたのよ」

「あら、すごいわね」

「でしょ。もうわが娘ながら馬鹿なんだから」

「違うわよ。そうじゃなくってDNAって凄いって話」

 口元に笑みを浮かべて妙な感心をする登紀子の様子に、皐月は眉間に皺を寄せいったい何の話だと首を傾げる。

 すると登紀子は片方の口の端をくいっと引き上げ皐月にむかって人差し指を伸ばして指先を向けた。

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