第11話

 降り立ったその場所では、大きく響く発車のベルの音に駅員の声、入り乱れる人々の足音と会話が耳に入ってくる。

 こんな雑踏と雑音の中に出てくるなど何年ぶりだろうと、登紀子の胸は期待と不安でどきどきと高鳴っていた。


 旅行バッグを持ち、道ですれ違った近所の人に「暫く私だけ留守にしますんで」と笑顔で挨拶して登紀子は駅へ向かう。

 商店街で買い物したりする際に駅前にはやってくるが、実際電車に乗ってどこかに行くなど一ヶ月に一回あるかないかだった。

 行き先はすでに決めてあり、家を出るときに宿にも予約の電話をしてある。

 どこにいても連絡がついてしまう携帯電話を持って出ることはやめた。

 清史や真由美のことが気にならないわけではなかったが、すぐに連絡がついてしまっては今回出てきた意味が無い。

 切符を買って、まずは新幹線に乗るために私鉄で最寄り駅まで行く、その後新幹線に乗って登紀子はこの駅に降り立った。

 都会ほどではないけれどやはり家でずっと一人でいるのとは全く違い、人の波に乗りながら歩いていくのは疲れてしまう。

 しかしそれも今の登紀子には楽しい出来事の一つであった。

 新幹線から降りて在来線のホームに行けば、そこにはSLが堂々とした姿で存在し、これに乗って目的地までゆくことになる。

 SLに乗り込むのは登紀子の今までの人生では二度目。SLに乗って指定された座席に腰を下ろした登紀子は、ほぅと少々深い息を吐き出し窓から外を眺めた。

「やっぱりずいぶん変わってしまっているわね。思い出の中とはまるで違うわ」

 新幹線も在来線のホームも新しく建て直されている。

 登紀子の言う思い出とは何十年も前の話であるから変わっているのが当然なのだが、少し寂しいような気持ちで頬杖をつき外を見つめた。

「女将さん、元気かしらね?」

 思い出に思いをはせながら、発車前の外の景色を眺める。

 すると、親子連れが目の前に座り、はしゃぐ子供に母親は申し訳なさそうに謝ってくるが「子供ですもの」と登紀子は笑顔で返した。

 暫くして、大きな汽笛の音とともに汽車は動き始め、はしゃぐ子供と同じように窓に顔を向けて登紀子は「おぉ! 」と声を漏らす。

 独特のゆれと音。

 SLが懐かしいと思える年代ではないが、どこかノスタルジックでワクワクしてなんともいえない気分になる。

 都会的な町並みから山と渓谷、そして田園風景は両親が他界してからは行かなくなってしまった自分の実家を思い出させ、田舎ならばどこでもある風景もこの車窓から見るとどこか違って見えた。

 とげとげしく、そして重々しかった自分の心の中がじんわりと解けていくように優しい気持ちになりながら、子供が歌う線路は続くよどこまでもに体を揺らす。

 うるさくしないの、と叱る母親に楽しいんだもの少しくらいいいでしょといい、子供には少しだけ小さな声で歌おうか、と提案した。

(そういえば、私も真由美がこれくらいのときは叱っていたわね。回りの反応がとにかく怖くて。おとなしくしなさいばかり言っていたような気がするわ)

 自分の思い出に浸りながらも、楽しい子供との時間を過ごしているとあっという間に目的地に到着し、駅のホームで子供と別れて改札を出る。

 小京都といわれるだけあって、この町並みは少しの変化があるくらいで思い出の中とそう変わりは無い。

 あちらこちらを見て回りながら思い出と変わらない宿に到着する。

 大きく古めかしい、苔むしたような門を入れば飛び石が並び、導かれるままに歩いていくと、大きなガラス戸の宿の入り口にたどり着く。

 少し色見を抑えた、たずまい美しい藤色の着物を着た女性が腰を折って出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ」

「あら、お若い方なのね。私と同い年ぐらいの方が出迎えてくれるかと思ったんだけど」

 登紀子の言葉に少し考えたその女性はぱっと顔を明るくして微笑む。

「それはきっと女将ですね。私は数ヶ月前からここで働き始めた女将見習いで」

「あら、じゃぁ貴女ここにお嫁にいらしたの?」

「いえ、ここの娘なんです」

 照れながら言う女性の後ろから、少し貫禄のある声が聞こえてくる。

「不肖の、でしょう。早くお客様をご案内なさい」

 少し鋭い視線を照れていた女性に向けてやってきた、貫禄のある雰囲気の女性が頭を下げた。

「ご挨拶が遅れ申し訳ございません。このたびは当旅館、寳月亭をご利用いただきましてありがとうございます。ご予約の平松登紀子様ですね」

「えぇ。ずいぶん昔に利用させてもらったのだけど、変わってなくて何だかほっとしました」

「私と同じでずいぶんおんぼろになってしまいましたけれど」

 上品に笑みを浮かべるその横顔は登紀子の記憶の中にある女性と同じで、「もしかして皐月さんかしら」と訊ねればその女性は驚いたように瞳を丸くする。

「えぇ、そうですが」

「やっぱり。思い出よりはふけてしまっているけどそれはお互いさまだものね。懐かしいわ」

「申し訳ございません。私は思い当たらなくて」

「そりゃ当然よ。ここにきたのはもう二十年以上前だし、貴女にとってお客様は私一人じゃないもの」

「以前にもご利用を?」

「えぇ、大変な騒ぎを起こした張本人。貴女にすっごく怒られたわ。『馬鹿じゃないの? 客商売している方の身になんなさいよね』ってね」

 皐月は登紀子が借りた、離れの一軒家の宿泊場所に案内しながら記憶をたどるように思い返していた。

 先代の女将、自分の母親から厳しく客に対する態度について教育されていることを考えれば、そんな態度を客に対してとるなど考えられないが、女将修行を始めたばかりのころであれば話しは別。

 思い返して行き当たったのはずいぶん昔になるが、女の客が一人でやってきて自殺しようとしたのを止めに入ったという出来事だった。

「まさか、あの自殺しようとしたお客さん、もしかして登紀子?」

「あら、正解。やっぱりそれなりの騒ぎを起こしたから記憶に残りやすかったのかしらね」

「あらら、本当に? そりゃ私の人生の中であんな場面はそうそうありませんからね。営業妨害だって怒鳴り散らして、そのあと女将に叱られて。本当にいい迷惑だったわよ。……それで今回も一人ってことはまさか?」

「そんなわけ無いでしょ。今日は本当に骨休めに来たの。何もかも疲れちゃったから原点に戻ってみるのもいいかと思って」

 お互い噴出すように笑い、後ろから荷物を運んできていた皐月の娘はそのときの話を聞きたそうにうずうずしていたが、それを察した皐月の一睨みで少し口をすぼめて肩を落とした。

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