第6話
夫への旅行の提案。
旅行はもう何年行っていない。なんだか離れてしまいそうな家族だからこそ、違う環境で楽しさの中でもう一度やり直せるかもと思った。
そして、私もたった二日で良い、毎日の繰り返しの家事から解放され、奉仕してもらう立場になって、専業主婦という仕事にも休みがほしいとも思った。
そう思ったのがいけなかったのだろうか。
提案はため息とともに却下され、そして、私の思いが独りよがりであると思い知らされた。
一番言ってほしくない相手から、一番聞きたくない言葉を私は受け取ってしまった。
「仕事の無い主婦」
そうね、家の外で、給料をもらうような仕事を仕事とするならば、確かに私は仕事が無いわね。
でも、それじゃ、私が毎日やっていることは何なの?
「時間がたっぷりある」
外に出て、仕事に縛られていなければ時間はたっぷりあるというの?
今も自分の好きな手芸をする時間はなんとかやりくりして作っているし、出来ないことのほうが多いのに、私のどこにたっぷりと言える時間があるのだろう。
「お隣の旦那さんが羨ましい」
そう、だったら貴方はどうして私と結婚したの。
私の容姿がダメだというのなら、結婚しないでほしかった。
結婚してからの容姿がダメだというのなら、さっさと別れてくれればよかったのに。
……私は、いったいどうしてここでこんなに頑張っているのかしら?
二人分のお弁当と朝食を作りながら、まだ誰も起きて来ない静かな空間で私は長く、胸の中にたまった重く黒々した空気を吐き出した。
「期待しちゃいけない、わかっていたことなのに。だめね」
今回、こんなにも落胆してしまったのは多分あのチラシを見て夫の言葉や態度を勝手によい方向に想像してしまったからだ。
旅行なんて懐かしいな、久しぶりに遠出もいいな、お前もいつも頑張ってくれているからな、骨休めすればいい……。そんな言葉がきっと返ってくると思ってしまった自分が悪い。
すべては自分が悪いのだと、頭の中で回っては消える決着のつかない内容に無理やり結論をつけてみるが、納得できるはずもなく再びそれは回り始める。
別に答えを出したいわけではないのに答えを求めてしまい私はろくに眠ることもできず、はっきりしない頭で釈然としない日常を繰り返そうとしていた。
私に暴言を吐いた当人は、それが暴言とは思っていなかったのか、日常の中に身をおいていつも通りに私に接してくる。
娘も私の変化に気づくことなど無く、お弁当の具に文句を言いながら、朝食の皿を食卓においたまま家を出た。主人も同じく片付けること無く出て行く。
いつものこと。
毎日の「日常」。
片付けろと言ったこともないし、片付けは私がやるのが当然だと思っていた。
でも今日はなぜ私がやらねばならないのだろうと疑問に思ってしようが無い。
重たく胸に引っかかっているものを吐き出すように、大きなため息をついて片付け終わった私は、戸棚の中にしまった折込チラシを取り出して視線をながした。
手に取れば、広告は自分の涙がしみこんでヘロヘロに波打ってしまっている。
どうして泣いてしまったのか、なぜ涙が出てくるのかわからなかったが、何度も思考が繰り返し頭の中をめぐった今ならわかるような気がした。
「……そうね、悲しかったわけじゃない、私は私自身の情けなさに泣いたんだわ」
ふふっと嘲る笑いが口元に浮かび、私の中にあった重く暗い影はゆっくりと曇り空に日が差すように消えてなくなっていく。大きく瞳を見開いて口元に笑みを浮かべ私は頷いた。
そうして立ち上がった私はいつも通り洗濯機を回し、掃除機をかけ始める。そう、いつも通りに。
ここまでは。
いつも以上に手早く、しっかりと家事をこなした私は一息ついて、日常から開放されるべく自分の考えに従って行動を開始する。
何年ぶりかに出してきた大きい旅行バッグに洋服や、必要なものをつめる。
そして、数枚の便箋に自分の思いを綴って封筒に入れソファーの前にあるテーブルに置き、自らが綺麗に片付けた部屋を眺めて家を出た。
戸惑うことは無い、ただ、少しだけ心臓がどきどきと鼓動している。
こんなに自分の感情に従って行動的に動くのは幾つ振りだろう。
期待と不安が入り混じったこんな感情は何年ぶりだろう。
私は、私自身が情けなくこのまま萎びてしまわないように、家族に黙って主婦の有休をもらうことにしたのだ。
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