第7話

 夕方。

 駅前のファミレスで友達と別れ、いつもより少し遅くあたしは帰宅。

 玄関のドアノブに手をやればガチャリと反発された。

「ちょっと、何よ。いつも開いているのにどうして開いてないわけ?」

 いつもならこの時間になれば母さんが鍵を開けてくれている。

 あたしは母親の怠慢に文句を言いながら鍵を出して玄関を開け「ただいま」と言ったが、いつも聞こえてくる「おかえり、疲れたでしょ」の声が無い。

「買い物にでも出かけたの? はぁ、昼間も家にいて暇なんだからもっと早い時間に済ませておけば良いのに」

 近頃は両親のちょっとした行動も苛々の材料になってしまう。

 鬱陶しい、そう思ってしまうんだ。

 ただでさえ悩みがあってその悩みも解決していないのに母さんのせいでさらに嫌な気分になってしまったあたしはすぐに自分の部屋に向かう。

 途中、ちらりと見たベランダには、いつもならとっくにたたんで片付けているはずの洗濯物が風になびいていた。

「何よ、買い物にいくなら洗濯ぐらい取り込んで畳んでから行けっての。ってか暇なくせにやってないとか信じらんない」

 ふんと鼻息をならして自分の部屋のドアを閉めた。


 どれくらい時間がたっただろう。外はすっかり暗くなり、静かになっていくのに母さんが帰ってきた気配が無い。

 こういうときに限って父さんも遅く、仕方なく空腹を満たすためにあたしは一階へと降りていった。

 静まり返り、電気のついていない部屋の様子に何だか不安になってくる。

 いつもなら煩いほどに母さんの声が響いているのにそれが無い。たったそれだけなのに静まり返って寂しい雰囲気を波立たせている。

「出かけるなら出かけるって、朝、言ってくれれば良いのに」

 そんな文句を言いながら、電気をつけ、綺麗に片付けられた台所を見て少し首をひねった。

 どんな用事があっても、母さんは必ず夕食を夕方までには作っていて、おなかがすいたといえばすぐにでも食べられるようにしてくれていた。

 なのに、今、この台所には何も無かった。

「ちょっと、どうして何にも無いの? 今日って外食するとか言ってたっけ?」

 思い起こしてみるけれど、家を出るときに母さんから何かを言われた記憶は無い。もちろん、父さんにもだ。

 冷蔵庫の中にあるのだろうかと確認してみるが、いつも以上に綺麗に整えられた冷蔵庫に夕食らしいものはひとつも無かった。そして、あたしはここで初めて違和感を覚える。

 そうだ、家が、部屋の中が全部、綺麗過ぎるんだ。

 母さんは毎日掃除していたが、体が辛いとか言って隅々まで埃の無いように掃除するのは二日に一回ぐらい。潔癖症というわけでもなかったので、どこか穴がある感じだった。なのに、今は穴など感じさせないほどに異様に綺麗に片付いている。

 始めは、母さんが帰ってこなくて、居ないということに何だか苛立っていた。

 暗くなっても帰ってこない状況に、少しだけ出先で何かあったんじゃないだろうかと心配な気持ちが湧き上がって、おなかが空いたのも相まって一階にやってきた。

 でも、今、綺麗過ぎるんだと気づいて、あたしの不安はまったく別のものになっていった。

 台所を出て、別の部屋を見に行く。

 うちの家に母さんの部屋というものは無い。

 あたしや父さんの部屋はあるけれど母さんの部屋は無い。

 母さんの部屋はみんなで使うリビングやベッドの置いてある夫婦の寝室だったような気がする。

 今まで母さんに自分の部屋がないことを不思議に思ったことは無かったけれど、今改めてどうして母さんは自分の部屋がほしいといわなかったのだろう? と疑問に思いながら和室や両親の寝室を見て回った。

 でも、今まで気にしたことが無かったからなのか、家の中で変わったところがあるのかどうかもわからず、今はじめてあたしは、あたしの部屋しか把握していなかったんだと気付く。

 いつもいるはずの母さんがいない、ただそれだけで大したことじゃないのにまるで小さな子供みたいに不安でたまらなくて、唇を噛み締めるようにしてリビングにやってきた。

 ソファーに腰を下ろし、深呼吸をした時、テーブルの上に封筒が三つおかれていることに気がつく。

「こんなところに……」

 三つの封筒の表には「お父さんへ」「真由美へ」「お金」と書かれてあり、お金と書かれている封筒の中には四万円が向きをそろえて綺麗に入っていた。

「何? このお金」

 恐る恐る、自分の名前が書かれてある封筒を開けてみれば、そこには便箋が二枚入っている。ごくりと唾液を飲み込んで、手紙を読もうとした瞬間、玄関の方から扉が開く音がした。

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