第5話
どんなに心が重くて苦痛であっても沈んだ太陽が顔を出せば私のいつも通りの一日が始まる。
大きな音を出すなという主人の言葉に従って、私の目覚ましは携帯電話のバイブレーション。しかし、いつもの時間が来れば目覚ましが震えだす前に必ず目を覚ましている。十数年とやってきた習慣が身についてしまっていた。
万が一の為の目覚ましが耳元で揺れ動くその音と振動を長引かせること無くすばやく消し起き上がると、隣に寝ている主人を起こさないように寝室を出て、途中にある窓を開けながら階段を下りリビングのカーテンを開ける。
ほんのりと、昇ってくる太陽に空が照らされて明るくなりはじめたばかり。
日の光は窓を開けても多少入ってくる程度の時間。お弁当と朝食を作るための光としてはこころもとなく、台所だけ電気をつけて調理を開始する。
そのころになれば低血圧な私の頭もはっきりし始めて今日も一日頑張らないと、と気合が入ってくるのだが、今日はそんな気分にはならなかった。
昨日の夜から私の頭の中はいろんなことが思い浮かんでは消えて、最終的には落胆だけが残る。そんなことを繰り返していた。
主人は。
不況の影響で昇給してもそれほど給料に違いはなく、さまざまな手当ても廃止され数年前に予想していたような給料をもらえなくなっても家族を養うために休みもなく働いてくれているありがたい存在であり、数年の恋愛期間を経て愛し合って結婚した人。
子供は。
見た目に反して体の弱い私が苦しさの中で生み出した宝であり、その存在があるからこそどんなことも頑張っていこうと思える、とても大切で愛しい存在。
そう、今までそう思ってきた。
それが頑張る理由でもあったような気がする。
でもそれは、私の独りよがりだったのかもしれない。
昨晩、風呂から出てきた夫は何事も無かったかのように発泡酒を飲み干し、さっさと寝室に入って大いびきをかいて眠ってしまった。寝つきだけはいい夫の大口を開けている寝顔を見つめ私は隣のベッドに入って天井を眺める。
頭の中心がぼんやりしているようで、それでいて感情は静かで冷静にいろんなことを思い浮かべていた。
夫の言葉は恐らく一般的なものであり、どの家庭でも言われていること。
でも、改めて思ってしまう。
この人はいったいいつから私の話を聞かなくなったのだろう、いったいいつから私の顔を見なくなったのだろう。と。
ため息を布団に染み込ませ、変わらぬ天井を眺めている私は自分の落胆が予想以上なことにも驚いていた。
別にこんな態度をとられるのは今日が初めてというわけではない。
真由美が生まれて子育てに一生懸命になり、もともと飾り立てていなかった私はもっと日々の生活のなかで動きやすく楽な格好をするようになった。そのせいなのだろうか。夫は私を真由美の母親としては見てくれても妻としてはなかなか見てくれなくなった。
私が悪いのだろうか?
社会に出て働いている女性とは違い、専業主婦というのはその努力が表には出てこないもの。
それに私はもともと化粧もそんなにしなかったし、夫もそれで良いといってくれていた。だから私がおしゃれに興味がなく、飾り立てないのは元からであり、主婦として毎日の家事をしていれば飾り立てているのは作業効率を下げる、返って邪魔なものだ。
やはり、どんな男であろうとも男というものは「綺麗な女性」がいいのだろうか。
確かに綺麗に着飾っていないし、年相応に肌も老いてきている。でも私は私の努力を家族だけはちゃんとわかってくれていると思っていた。
主婦の仕事は家の中で、どんなに毎日頑張っていても誰かがそれを見ているわけでも、評価をしてくれるわけでもない。もちろんの事ながら努力に対しての給料なんて支払われない。
当然、そんなことは承知の上で主婦という仕事をこなしている。家族以外の誰かに評価されたいわけでもないし、給料がほしいわけでもない。
見返りが無くても日々頑張っていられるのは、家族はわかってくれていると思っているから。
母親が家で主婦業をやることは「当然のこと」。たとえそう思っていても「ありがとう」という感謝がそこにあればそれで満足だった。
主婦イコール暇。
こんな方程式が完成してしまったのはいつなのだろう?
確かに、仕事を持った主婦と専業主婦では違ってくるだろう。
仕事を持っている人は仕事をしながら家事もする。負担を考えれば私のほうが楽なのはわかっている。しかし、専業だからこそ、専業として見られることで手を抜くことは許されず、なにかしらの理由があったとしても日々の仕事を休むことはできない。
もちろん主婦と一言で括ってしまっても家庭家庭で仕事の内容は変わってくるから、毎日毎日忙しくしている人ばかりではないだろう。
それでも、自分は「主婦」であると「家事」が仕事であると思っている限り「主婦の仕事」はこなしているはずだ。
働いている主婦が偉くて忙しい、働いていない専業はぐうたらで暇。
そんなに簡単に分けてほしくないと私は思ってしまう。
そう、せめて私の「専業主婦」という仕事振りを見ている家族だけはそう思ってほしくない。
でも、私の思いは願望で、かなわない望みだった。
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