第7話

 館長の話に耳を傾けていた東郷はごくりと唾液を呑み込んで、大きな一息を吐き出した。

 時間にすれば数分のとても短い話しだったが、何故だかそれは何日にも及ぶような、長い話で息苦しく思えたからだった。

 月明かりもなく、博物館の外に設置されている外灯に照らされ、真っ暗闇というわけではない展望台。ガラスの向こうの景色を眺める館長をちらりと東郷は横目に見た。

 ミイラのようだと言っていたが、今自分の横に居る館長の顔は普通の初老の男性。皺が無いわけではないが、干からびたようではない。今の話が本当なのか嘘なのか。

(それを証明するのはこの博物館と言った所なのだろうか?)

 東郷は館長にわからないように喉奥で小さく咳払いをして館長に言う。

「館長もずいぶん不思議な体験をしていたんだね。そんな体験をしているようには見えなかったけど」

 東郷の言葉に館長はそれが何を意味しているのかすぐに読み取ったようで、口の端を小さく引き上げ、顔を動かさず瞳だけを東郷に向けて微笑む。

「見た目だけで人というものを理解しようとするのは至極困難なことですよ」

 館長に言われ少し眉を引き上げた東郷は笑みを口の端に浮かべて「そりゃそうだ」と頷いた。

「とはいえ、見た目も大事ですけどね。第一印象というのはぬぐえませんから。と、私が言える言葉でもないですけどね」

 これだけ奇妙奇天烈な博物館を建て、今は閑古鳥が鳴いているんですからと館長が付け足せば東郷が小さく笑った。空の雲が流れ、わずかに雲間から月明かりが漏れ出して、まるで東郷にスポットライトが当たっているかのような雰囲気の中、東郷は少しの溜息をついて言う。

「館長の体験は不思議だと思うけれど、やっぱり見られるだけなら僕のよりもずっといいと思うけど」

「誰が何処でどうやってみている、それが分かっていればなんてことはないでしょうけどね。ただ、視線だけを感じその目的が何なのか分からない。何処から誰がどうして見ているのかわからない。そんな視線に四六時中見張られている状況を考えてみてください」

 そう言われて考えてみたが、ちょっと嫌かもしれないと思っただけで、今の自分ほどではないと東郷は思ったが口には出さず、少々複雑な表情を浮かべた。

「まぁ、東郷先生同様、こういうことは体験した人しか感じる事のできない感情でもありますから」

 自分の表情をみて付け加えられるように言われた館長の一言に東郷は館長の方へ顔を向け少し片眉を上げて、溜息をつきつつ見つめる。

「それって、さっきの僕の話は館長には理解できないって事?」

 館長の話が理解できず、大したことではないじゃないかと思ってしまった自分同様に、自分が先ほど話した影法師の話も館長にとっては理解できないことと言われているような気がして聞き返した東郷に館長は少々眉を上げ、首を傾げた。

「おや、理解して欲しかったのですか?」

 そう聞かれて東郷は「話をしたからには」と言いかけたがその言葉を飲み込む。しかし、館長は小さく弾むような笑い声を立てて「何とも欲張りな方ですね」と一言。

「欲張りって、別に僕は欲をかいている訳じゃない」

 東郷は眉間に薄く皺を浮かべて館長を少々睨みつつ反論する。しかし、館長はゆっくりと浅く頭を横に振って微笑み返した。

「いいえ、欲張りですよ。だって、東郷先生は私に話すのを渋ったけれど話した。渋るという事は話したくなかったという事でしょう? それにその時に言ったじゃないですか、頭がおかしくなっていると思われると。つまり、それは理解し難い事実を話すという意味では? そんな自分で他人には理解できないだろうと思っていることを話したからと言って、聞いたんだから理解しろというのは欲に思えますけどね」

 笑顔を浮かべる口元とは裏腹に、眼光鋭い館長の眼差しに「屁理屈だ」と言い返そうとしていた東郷の唇は閉じられる。何かを言い返したいが、先程の館長の言葉に対抗できる言葉が浮かんでくる事は無く、東郷はその瞳を薄い雲に阻まれておぼろ月となっている夜空へともどした。

 その様子を見て、館長は小さく笑う。

「貴方は本当に馬鹿がつくほどに素直な方ですね」

 突然の脈絡も無い言葉に東郷はからかわれているのだろうと返事をせずに口をへの字に曲げた。

「嫌味ではないですよ」

 東郷の様子に自分の言葉をそうとらえたのだろうと感じた館長が否定の言葉を発したが、東郷は鼻から息を一つ吐き出して未だ口をへの字に曲げて言う。

「そうは思えないけど。『馬鹿が付くほどに』なんて言われて良い意味にとる人は居ないよ」

「おや、そんな事はないです。言葉というのは本来、伝える為にあるもの。良い悪いで図るのはその人の感情次第でしょ?」

 館長の言葉に東郷は眉根を下げて、半分呆れたような表情を浮かべた。

「またそれか。館長は何かと言うと根本を、源流を言いたがる。でもね、実際はそんなことを思って発している人は居ない。感情があって、言葉が出るんだ。伝えるだけの時代はとうの昔に終わっているよ」

 館長はきっぱりと言ってのける東郷の言葉にほっほと柔らかく笑い声を立ててじっとりとした横目を東郷に向ける。

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。人というのはどんな動物よりも複雑で考えにくい感情と思考を持ち合わせていますから。東郷先生がそうであっても、皆そうであるとは限らない」

 いつもの館長の言葉。「そんなこと分かっている」と普段なら言い返す東郷だが今日はそれをやめた。

(今日はなんだか言葉を飲み込んでばかりだ)

 いつもと同じ。日々の二人を知っている人がその現場を見たならば、見慣れた光景だと思うだろうが、今日はたとえどんな事を言っても館長には鼻で笑われて終わりのような気がして、それがまた嫌だと東郷は思って黙り込んだ。東郷はゆっくりと鼻から息を吸い込んで小さく開いた口から息を吐き出す。

 体の中心に上ってきた重く暗い、騒がしくなりかけている感情を鎮めるには深呼吸が一番。二、三回繰返して東郷は瞳を閉じた。

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