第5話

 東郷は語り終ると大きく息を吸い込んで、これでもかと吐き出し、その姿を横目に見ながら館長は少し頷く。

「ほぉ、そうしてそのように東郷先生とは思えない出立で今この場所に居るわけですか」

 他人事ではあるのだが、まるで他人事のように言ってくる館長に、少々眉間に皺を作りながらも東郷は「あぁ、そうだね」と言い、暫しの沈黙が漂った。何故こんな沈黙が続くのだろう、そう思った東郷が頭を動かさず視線だけを館長に向けてみたが、館長はそれほどこの沈黙を気にしていない様子。

 先に静かな空間に耐えられなくなったのは東郷だった。

「おかしな話だろう? いいよ、頭がおかしくなったって思ってくれても」

 自嘲するように言う東郷に館長は少し顔を動かし、いつも通り、感情が読み取れない表情で東郷を見る。

「ふぅむ、そうですね。確かにおかしな話だ」

「だろうね、でも、僕にとっては其れが事実であって、嘘ではない現実」

 ドーム状になった窓ガラスから夜空を見上げ、額を掌で覆いながら下を向き、落胆するかのように肩を下げた東郷を横目に館長は葉巻に火をつける。暗い館内に蛍のように数度橙色の光がともった暫く後に館長は口の隙間から煙を吐き出しながら東郷に聞いた。

「何処でもない、ここに来た理由は?」

 館長にそう聞かれ、頭を上げた東郷はその動きを止めてふと考え込む。そして、額を覆うようにしていた手をおろし膝に乗せて館長の方に顔を向けた。

「言われてみれば、そうだな。どうしてだろう?」

 東郷は館長の言葉に首を捻った。

 人付き合いの苦手な東郷であったが、全くの人嫌いというわけではない。親族と呼べる者は少なくともそれなりに友人はいて、天涯孤独というわけでもない。話しを聞かせれば頭がおかしいだろうと思われると思っていた東郷は館長に言われて話してしまったが、本来は話すつもりなどなかった。家に居たくない、それだけの理由ならば、知り合いの家にでも行けばよかったし、ここに来る必要は無かっただろう。だが、東郷はこの場所に来て、必要もないのにおかしな話をしてしまった。

 ぼんやりと館長の葉巻の火だけが灯りとなっている空間で、二人は動きもせずに互いに視線を絡ませる。


 東郷がこの館長と知り合ったのは数年前。


 駅南はショッピングモール効果で人が混雑する賑わいを見せていた時、駅北は見事なほどに閑散としていた。駅南は賑わっているものの、人同士の付き合いがどこか冷たく、駅北の和気あいあいとした住民同士のつながりに慣れ親しんでしまっている者は、駅南の雰囲気に何故か近寄りがたい印象を受けてしまって寄り付かず、寂れていく一方の駅北にしがみついていた。

 そんな時だった。それは突然に、駅北の住人達も全く知らぬ間に始まった。

 商店街がちょうど終わる十字路の西側に幾台にも及ぶ大型車が流れ込み、森を挟んだ向こう側に足場が組み立てられ、灰色をした布がたなびいた。商店街から少々離れ、しかもうっそうとした森を挟んだ向こう側など不気味な都市伝説があるだけ。それが何かの建設工事であるとわかった住人達は一体何が始まるのかと首を傾げる。

 足場を組み立てる高さも広さも大きく、もしかすると駅北にもショッピングモールが出来るのだろうかと、住人達は少々眉をひそめていた。

 数日後。足場とは別に敷地の入り口付近にたてられた灰色をしたトタン板に大きな白い看板が掲げられた。

「守屋自然博物館建設工事」

 ショッピングモールではなくこの街に、しかも駅北に博物館が出来るらしい。

 それは賑やかさのかけらもなかった駅北が少々ざわついた出来事だった。ショッピングモールで無いのであれば、妙な賑わいは見せないだろうし、人が来るのには間違いない。駅北が昔のような和気あいあいとした雰囲気になるのではないか、そう期待する者も少なくは無かった。

 駅北の住人は工事が進んでいくのをじっと待ち、足場の灰色の布が取り外されると誰ともなくやって来ては、

「ほぉ、流石博物館。変わった建物だ」

 といった内容の言葉をその場に残して去って行った。

 しかし、「流石博物館」という言い回しは少々違っており、駅北の住人と同じようにその建物が姿を現した時にやって来ていた東郷は、

「なんと博物館らしくない建物だ」

 と漏らした。

 普通、博物館と言えば四角い建物を想像するが、この博物館は大きな円柱形の建物。しかも何かの研究施設だろうかと思わせるほどに大きく、空高く伸びている円柱の建物であった。

 完成したのはそれから数か月後。

 駅前では半額の入館券が配られ、マイクロバスでの送迎もあった。大々的な開館式は無かったものの、物珍しさと半額券の魅力がてつだって人の入りはそこそこ。東郷も駅前で配られていた半額券を手に、あの奇妙な建物の中は一体どうなっているのだろうと言う興味で訪れていた。

 建物の見た目の奇妙さもさることながら、その中身も不思議そのもの。

 建物に入る前に入館券を購入するわけだが、その際初老の男性からパンフレットを渡される。普通、こう言った場所のパンフレット言えば、中で催されているものの説明や、展示物の説明などが載っているものだが、此処はそうではなく、掲載されているのはトイレの場所や非常口等、施設として成り立たせるには必要な場所の説明のみ。何が展示され何が催されているのかをパンフレットから読み取ることは全くできない。

 入り口を入ればあるのが大きな水槽のような円柱形の透明アクリルの容器。大きさだけで何もないかに見えるそれの下には「地球誕生」の文字があった。さらに奥に進めば、今度は四角い大きめの熱帯魚を飼育するような水槽があり、何やらそれは薄く緑色の液体が入っている。そしてそれには「生物誕生」の文字。

 訪れた客が明らかにざわつき、東郷も半額だから文句を言わないが正規の価格を取られていたなら文句の一つも言いたくなると、こんなところに訪れたことを後悔し始めていた。

 しかし、そんな東郷や客たちは何故かそこで帰るという事はせずに歩を進めてしまう。

 二階に行けば、一階の殺風景さは無く、大きな恐竜の模型から剥製の動物達が所狭しと並べられ、生きているのではないかと思わせるような人の模型もあった。それは三階にもおよび、この場所だけは不快なざわつきではなく、驚きや楽しさもみえる人々の声がしていた。

 だが、それも三階までの話。四階に行けばそのざわつきは絶句に変わる。

 そこにあるのは骨と枯れた草木。骨の標本、それだけならばこれほどの静けさにはならないだろうが、命をなくした生き物が骨に至るまでの過程がそこには在った。それと同じく、植物が枯れ土にかえる様があり、中央に設けられている階段を上って来てすぐの真正面、壁一面に星がその寿命を終える最後の瞬間がパネルとなって存在していた。

 東郷は一通り館内を見終わり、五階部分に当たる展望台へやってきてベンチに腰を下ろし、何かに安心したかのような溜息を一つ吐き出す。真っ青な空が見えるその場所で、頭の中心が燃えるような熱さを発しているのに背中には悪寒が走っているという複雑な状況で座り込んでいた東郷の目の前に一人の男性が佇んだ。

「横、よろしいでしょうか?」

 聞いてきた男に頷くことで返事をすれば、男は「それでは失礼して」と腰を下ろす。視線を男に向ければ、胸元に「館長」と書かれた名札が見えた。

「貴方がここの館長さんなのですか?」

 思わず聞いてしまっていた東郷に館長の名札を付けた初老の男性は唇の端をほんのわずかに上げただけの笑顔をうかべ「そうですよ」と優しげな声色で返事をする。

「いかがでしたか。私の博物館は」

 そう聞かれて東郷は口籠った。一言でいえばこれが博物館なのかと疑いたくなる奇妙なもの。だが、それを初対面の、しかも館長に言うのは失礼だろうと思い、どう言葉を返したものかと迷っていたのだ。東郷が口籠り考え込み始めるのを見た館長は歯の間から空気が漏れだすような小さな笑い声を立てて、勝手に喋り始める。

「中々珍妙で奇妙、奇天烈でありましょう? この博物館。一階は誕生、そして二階、三階が成長、四階は終焉というテーマの中に存在しているのです」

 言われてみて東郷はなるほどと口を開けて小さく「あぁ」と呟いて納得した。言われて思い返してみれば各階には生きているというもの全ての始まりから終わりを所狭しと並べられている。そう、生きているもの……、宇宙その物もその一つとして。

 見た目堅物そうに厳つい髭と眉をした白髪の初老の男に話しかけられて驚いたが、嫌味のない柔らかい物言いをする老人と打ち解けるのに時間はかからなかった。人見知りをする東郷がこんなにもすんなりと他人を受け入れるのは初めての事であり、東郷自身も不思議に思っていたが、それを見透かしたように老人は言う。

「展示物を全て見た後は、自分の中に有りながらも自分では無い何かが浮き上がってくる。私は皆さんにそれを体感してほしいのですよ」

 老人の言葉が意味するところがはっきりと東郷に分かったわけではなかったが雰囲気的に頷けた。

 それから、東郷はこの博物館に足しげく通うことになる。初めはただ気持ちが悪いと思った四階の展示物も、改めて何度も見ることで己もいずれこうなるのだと考えさせられるところもあり、また、こうならねばならないのだと言う思いも生まれる。

 「始」があれば「死」という「終」がある。当たり前の事であるのに生きているとつい忘れがちになる事柄がここに来れば思い出される気がしていた。

 そんな東郷が姿を見せれば、何時の頃からか館長がその横を一緒に歩いていることが多くなる。館長としてそんなに暇でいいのだろうかという疑問は愚問。その頃になればこの奇妙な博物館の本来の趣旨を知らぬもの達は消え失せ、駅北の連中もとんだものが来たものだと厄介な存在として扱う様になっていた。そう、再び駅北は閑古鳥が住まう様になり、この博物館もまた、同じように閑古鳥の巣が出来上がっていた。

 

 その奇妙な博物館で東郷は奇妙な体験談を話した。


 一体なぜここだったのか。不意に館長に問われた東郷は黙ったまま考え思う。習慣、そう言ってしまえばそうなのだが、今回はなんだかどこか違ったような気がした。

(不思議な場所だから不思議が解決すると勝手に頭が思ったのだろうか。なんとも安易な、館長に迷惑をかけただけじゃないか)

 少し申し訳なさそうに館長のほうに目をやれば館長は唇の端を引き上げて微笑んだ。一見、にっこりと穏やかな微笑みに見えるが、東郷には何かを含んだ笑いに思えて眉間に皺を寄せた。

「とても良い表情をする」

 東郷の窺うような表情に館長は嬉しそうに眉を引き上げ、能面の翁のような微笑みを浮かべる。東郷はその言葉に諦めた様に眉間の皺を解き放つ。

「良い表情。ということはあながち何かを含んでいるって思った僕の考えは間違いではないのかな」

「本当に貴方は私の思った通り、勘が働く方で」

「勘? 思った通り? なんだか僕にとっては嫌な言葉の響きばかりだな」

 想定内だと言わんばかりの言葉に嫌悪感を見せた東郷だったが、館長はそれを気にすることなく、同じような笑みを浮かべたまま話を続ける。

「私の話を聞いてもらいましょうか」

 突然の話題の変化に東郷の怪訝な表情は崩れ、目を丸くして首を傾げて館長を見つめた。

「東郷先生に負けないとても面白いお話ですよ」

 変わらなかった笑顔の口角をさらに目じりに向かって引き上げて館長は話し始める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る