第41話 [シオ]癒しのワーク

僧銀山。僕も初めて聞いた。カショウはそこに寄るつもりだったらしい。一体そこに何があるのだろう。


「なんか、マズいの?」

カショウが訊ねた。


「僧銀山自体は問題ないのですが、その麓がちょっと……」


ふもと?


「まあこんな時間!そろそろワークの時間ね」

スムさんは時計を見て、唐突にそう言った。


「あ!忘れてた!」

ウシカさんは慌てて立ち上がった。


「あ、お酒飲んじゃった……」


「いいじゃない。お酒入りバージョンのワークがどうなるか、楽しみだわ」

スムさんは微笑んだ。


「では準備できましたらまたお声掛けに伺います、僧銀山の話はまた後ほど」


そう言って、スムさんとウシカさんは部屋を後にした。


「なんで僧銀山に寄るの?」

オンダさんがカショウに訊ねた。


「あいつがいるんだよ、イシロウが」


「なんだあいつそんなとこいるの???」


「急に出家したいとか言い出してさ。あいつが握ってる情報があるんだよ。それで。え?そんなヤバいの?」


オンダさんは腕を組んで、何かを言いあぐねている。


「いや~、ちょっと刺激が強いななぁ~って」


「刺激って何?」


「いやー、オレに聞かれてもなぁ~。俺、あんまりそういう説明上手くないんだよ。後でスムに聞いてみ?」

オンダさんはそう言って、その話から逃れようとした。


「お前、俺は谷に詳しいからついて行ってやるって言ってたじゃないかよ。ほんと当てにならんやつだなぁ」


そのまま会話は中身のない話に流れて行き、そうこうしてるうちに、スムさんの従者が呼びに来た。


「ワークの準備ができました。会場までご案内します」


僕たちは彼に案内されるまま、広場まで歩いた。


広場に着くと、焚火が煌々と灯りを放ち、その周囲にはたくさんの人々が座っていた。座禅を組む人、三角座りでじっと焚火を見つめる人、隣の人と軽い会話を交わす人……。リラックスした、落ち着いたムードだった。とても好ましいムードだと思った。


焚火に近い場所に、スムさんとウシカさんがいた。スムさんは僕たちに気づいて目礼した。


僕たちも後ろのほうに座る。


「では始めます」


ウシカさんの誘導でワークが始まった。


「それではみなさん、一番ラクな姿勢で座ってください。そして、ラクに呼吸をしてください。形にこだわらないで。心地良さを優先してください。そしてゆっくり目を閉じて……」


ウシカさんは落ち着いた声で語りかけた。とても心地の良い声だった。僕もそれに従った。


「それでは今日も、過去の傷ついたあなたを癒していきましょう。生まれたときから今日まで、何歳の自分でも構いません。過去の自分をひとり、思い出してあげてください」


過去の傷ついた自分?よく思い出せない。でも、思い出せるところから思い出してみよう。


僕は母と家にいる。窓から光が差しているけど、その部屋は青白く、薄暗かった。僕はまだ幼かった。たぶん1、2歳だと思う。母は家にいるが、僕とは関係ない何かをしていた。僕の心も、その部屋のように青白かった。


場面が変わり、父さんの後ろ姿が見えた。なぜだかその背中は、とても悲しそうだった。僕は近づいて父さんに触れた。父さんに元気を出して欲しかった。


父さんはふり返った。僕の頭をやさしく撫でてくれた。その目はとても優しく、僕に微笑んでくれた。それでも僕は、父さんがとても悲しんでいることがわかった。

僕は泣かなかった。たぶん、いつも心に青白い寂しさを感じていたので、それが普通だと思っていたからかもしれない。


幼い僕は、いつもそんな寂しさを感じていたんだな。母とともに過ごしたあの部屋で。ウシカさんの声を聞きながら、そう気づいた。


「そしてその過去の自分を抱きしめてあげてください。優しい言葉をかけてあげてください。辛かったねとか、悲しかったね、とか。そしてもう一度、ぎゅっと抱きしめてあげてください」


閉じたまぶたの間に涙がにじむのがわかった。僕は彼に気づかずにいたんだなぁ。気づかずに、放置しててごめんね。そう心の中で言うと、さらに涙があふれてきた。


「過去のあなたは、あなたに抱きしめられて、とても満たされています。あなたを見て、微笑んでいます。胸を弾ませています。そして過去のあなたは、焚火へ歩み寄ります」


僕はその光景を心に描いた。


「焚火の近くへ来た過去のあなたは、自分の胸から、痛みや悲しみを引出し、両手のひらでかかえます。引き出した途端、それは手のひらでそれは物質化しました。そしてそれは、その痛みや悲しみに見合った色をしています。過去のあなたはそれを見つめています」


僕は、過去の自分が、両手のひらの上の青白い“寂しさ”を見つめる姿を描いた。


「過去のあなたは、その思いと別れる決意をしようとしています。どうでしょう?できたでしょうか?問うてみてあげてください」


ウシカさんはここでしばらく、過去の自分と対話するための時間を取った。


「どうやらできたようです。過去のあなたは、それを焚火に投げ入れました。それは炎の中で柔らかく溶け、光に変わりました。過去のあなたは、その過程をゆっくり眺めています。ゆっくり溶け、溶けたところから光に変わっていきます。そして炎と共に、天に登っていきます」


僕はなんだか、心が軽くなっていく気がした。


「そして天から、限りない光が降り注ぎます。それは無限とも思える量です。そして、かつて痛みや悲しみがあったその場所を、過去のあなたの心、ぽっかり穴の開いたその場所を、光が満たします」


僕は微笑んだ。


「そして過去のあなたは、あなたのもとに戻ってきました。あなたはもう一度、過去のあなたを深く抱きしめ、新たな存在に生まれ変わったことを祝福します」


過去の僕。よくやったね。ありがとう。


「過去のあなたは、あなたに微笑みを返し、そっとあなたとひとつになりました。そしてあなたは、ひとつになった自分の心を感じています。どんな感じがしますか?軽やかなかんじでしょうか。清々しい感じでしょうか?満たされた感じでしょうか。それを感じてあげてください。そして、その感覚を覚えていてください」


確かに、心がすっと通って、軽くなった。それと同時に、何かが満ちて、胸が弾む。


「ではそろそろ、このワークの終わりを告げます。ゆっくり深呼吸して。数回繰り返してください。そしてゆっくり目を開けて。背伸びをしたり、顔を軽く叩いたりして、自分の身体に、ワークが終わったことを教えてあげてください」


目を開けて、僕は軽く肩や首を回した。横を振り返ると、おじさん二人が号泣していた。


オンダさんはともかく、カショウが泣くなんて。


間もなく、少し離れたところで音楽が鳴り始めた。その場の半分くらいの人たちは、立ち上がって移動を始めた。そのまま帰る人もいれば、その音楽の鳴るほうへ移動し、自由に踊ったり、叫んだりする人もいた。みんなすっきりした笑顔で、とても気持ちよさそうだ。


半分の人たちは、まだ焚火のまわりに留まっている。リラックスした姿勢で、さっきの余韻に浸っている。


「さて。俺たちも戻るか」

カショウとオンダさんが立ち上がった。


「僕、もう少しここにいます」


僕はもう少し、ここの空気に浸っていたかった。そしてもう一度、さっきのイメージをなぞりたかった。


僕はカショウたちを見送った後、さっきと同じイメージを頭に描いた。


父がいた。とても大きな割合で。


さっきはウシカさんの誘導に従い、過去の自分にフォーカスしていた。しかし今もう一度それを思い返すと、父、そしてその愛情みたいなものが、圧倒的にそのほとんどを占めていた。父の優しさと、微笑みでいっぱいなのだ。


僕は涙が止まらなくなった。嗚咽さえ漏れたかもしれない。


優しい父。彼は控えめで、母を責めるようなことは一度も言わなかった。いつも僕の望みを聞いてくれた。


自分のことはあまり語らない。僕たちはおじいちゃんやおばあちゃんや、周囲のいろんな人とあの街で暮らしたが、父は自己主張することなく、周囲に合わせて生きた。いつも微笑んでいた。


僕はいつしか、そんな父に苛立つようになった。なぜだかわからない。だけど、周囲に合わせてばかりの父を見るたび、「なんでそうなの?」と思った。


もっと自分の幸せを求めたらいいのに。母を責めたらいいのに。何か新しい楽しみを見つけたらいいのに。今思うと、そう感じていた気がする。

いつも微笑みながら、その奥には、母を失った痛みを抱えている。それがもどかしかった。


父は今も、あの街で静かに暮らしている。


僕がそんな父を置き去りにして、母に会いに行く理由。それが今、少しわかりつつある。僕は、僕と父の幸福のために、何かを清算するために、母に会うのではないか。そんな気がした。

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