第40話 [カショウ]宴会

シオは無表情で入り口に突っ立っている。何ぼーっとしてやがる。


「おい!早くこっち来い」


「あ、ウシカさんも一緒?良かったら一緒にどう?」

オンダはウシカに気づくやいなや、崩れた姿勢を立て直した。


若い女性を驚かせてはいけない。ちょっとバカ騒ぎし過ぎたかもしれん。酒は回っていたが、オレたちにも多少の知性は残されていた。


シオとウシカは、そろそろと入ってきた。


ウシカは席に着くやいなや、酒の瓶を持ち上げ、オンダに酌をしようとした。


「いやいや、そんなことより、いっしょにどう?」

オンダはグラスに手を被せて酌を辞退し、その代わりウシカに食事を勧めた。


「いえ、私はスム様に、皆さまをおもてなしするように言われておりますので」


「おじさんはね、若い人が美味しそうに食べたり飲んだりするのを見るのが幸せなんだよ?それに、これから過去谷まで旅をする仲間だしさ」


「シオ。お前も腹減ってるだろ」

オレはふたりに皿を配った。


「シオくんはお酒、飲むかい?」


「あー、じゃあ少し……」


「ウシカさんは?」


彼女はシオと顔を見合わせて、「では、少しだけ……」と言って、オンダの酌を受けた。


「ここ置いとくからね。あとはふたりで好きに飲んでね」


オンダはそう言って、シオとウシカの間に酒の瓶を置いた。


こいつ、昔から人に気を使わせない天才だった。いいおっさんになった今、さらに磨きがかかって、若者の前では気さくでお茶目なおっさんを演じやがる。クソッ。


「あのー……」


「何だい?シオくん」


「前々からみなさんに聞きたかったんですけどぉ」

シオも酒が回って饒舌になってきたらしい。


「僕たち、アウトミラーはウイルスや汚れた空気で危険だって言われて育ったんですけど、みなさん平気そうなんですが、実際、大丈夫なんですか?」


シオはオンダとウシカを交互に見ながら訊ねた。


「なるほどシオくんそれはだねぇ……。えーっと、何でかな?」


「一言でいうと適応じゃねぇか?」

イラっとしながら、“お茶目なおっさん”の代わりにオレは答えた。


「そうですね、アウトミラーはエアーフィルの影響で特殊な環境になったため、ここにいる人たちは、環境に適応したり、変化するのが早まってると言われてます。この谷の人たちの肉体の変化もそうですね」

さすがスムの弟子。理路整然とした説明だ。


「それに、ヴァーヴでやる感覚管理みたいなことを、ここの人たちはわりと自然にやってるから、それもあるね」

オンダはスムの話に乗っかった。


「オレもお前も、街の中でヴァーヴの予行練習やってきたからな。エアーフィル境界みたいなよっぽど空気が汚れたとこ以外は大丈夫だろ」


「なるほど。じゃあヴァーヴをやったことない人ならヤバかったってことですか?」


「そうだね。まずアウトミラーへの恐怖心でやられちゃうかもね」

オンダはタバコを挟んだ手にグラスを持ち、ニコニコしながら酒を流し込んだ。


「結局、恐怖心にせよ何にせよ、感情が現実に反映されるのか……」


「はい。それはこの世界でよく言われるテナガザル理論のベースでもありますね。自分がこんなふうになれたらすてきだなぁという感情や感覚が、肉体に変化をもたらします」


「逆に、こうなったらこわいなぁって思ったら、病気になっちゃうんだ」


「はい。我々の理論ではそういうことになりますね」


オレはいつも通り、ほんとかよと思いながら黙って聞いていた。サタにしろここのやつらにしろ、ほんとこの手の話が好きだ。


しかしこれまでやり過ごしてきた事件の中で、この理論に当てはまることは、あるにはあった。にしてもだ。みんな無邪気に信じすぎじゃないか?オレはこのモヤモヤを上手く言葉にできずにいた。


「昨日スムさんに答えを聞きそびれたんだけど、ヴァーヴはそのテナガザル理論に関係して使われるんですか?」


「そうです!ヴァーヴの表示が自分にとってベストなとき、理想的な変化の指示が出やすいのです!指示とは要するに、感情から肉体への、遺伝的変異を起こさせるための伝達ですね」


「それ、自分の肉体の場合はそういう直接的な伝達もあるかもしれないけどさ、相手が自分じゃない場合はどうなってるんだろうね。たとえば……、肉食べたいなぁ~って思ってたら、夜お父さんが肉買ってきてくれるみたいなやつとかさ」


「偶然じゃねぇの?」


「いや、これが何回もあったのよ。俺んち母親が菜食主義者でさ、肉食えなかったの。だけど、俺が肉食いたいなぁって思うたび、母親が用事で留守になって、父さんが肉買ってきたりするの」


「それはお前が常に肉食いたいって思ってるからだろ?」


「えー、そうかなぁ?」


「うーんまあ、それが事実だと仮定して……。サタが言うには、肉を食った喜びを、空想の中で再現できたときに、肉が食える並行世界にジャンプできるんだと。そういう理屈だと」

オレはオンダに話を合わせてやることにしたが、やっぱりモヤっとする。話を合わせたことに後悔した。


「へー、おもしろい!」

ウシカは目をキラキラさせて興味を示した。


「へー、ウシカさんも初耳なんですね、ジャンプの法則。僕もつい最近知りました」


「はい、それに似たコンセプトは聞いたことありますが、ジャンプの法則は初めて知りました。へー、ジャンプの法則……」


ウシカは小さな端末を取り出し、オレの話をメモしだした。やっぱりこの話はするんじゃなかった。あらためてオレは公開した。


三人をよそ眼に、ひとり手酌で飲んでると、突然スムが現れた。


「あらウシカちゃん。何?ちょっとうらやましいじゃない」


「すみません!つい……」


「いいのよ、あなたそれくらいのユルさがあったほうがちょうどいいわ。ところで皆さま。食料、スーツ、その他必要になりそうな物資を車に積んでおきましたわ。それと、万一の時のために、予備の通信機器とバッテリーも。それとひとつ確認事項なんですが、頭脳都市へのルートはお決まりですか?」


「いや、まだざっくりとしたルートしかイメージしてなくてね」


「でしたら……」


スムは大き目の端末に地図を表示し、推奨ルートを案内してくれた。


「頭脳都市の最寄りのこの谷には、わたくしから連絡しておきますので、車はここで乗り捨てていただくとよろしいかと」


なるほど、ここなら頭脳都市にかなり近い。


「あ、そうだ。ひとつ寄りたい場所があって。僧銀山なんだが──」


「僧銀山?!!!」


「えっ、僧銀山!!?」


オンダまで乗り出してきた。


何かマズい事情でもあるのか。

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