第39話 [シオ]美の谷観光

疲れたおじさんたちを部屋に残し、回廊を歩いているとウシカさんがいた。


「お出かけですか?」


「はい、ちょっと時間があるので、外見てみようかなって」


「良ければご案内いたしましょうか。スム様から皆さまのお世話をするように言われております」


「あ、それは助かります」


僕はウシカさんの案内で、スム邸の外に出た。


外も緑が豊かで、晴れてはいるものの空気はしっとりと湿っていた。道は舗装されておらず、土の小道のところどころ水たまりや轍があった。スム邸について、カショウはアジアっぽいと言ってたが、この谷全体も、何かの映像で見たアジアの光景に似ていた。


前方にダンスする人影が見え、その歌声が聞こえてきた。上半身裸の、マッチョな男性だった。顔は個性的なメイクで彩られている。


「ここではみんな、自分を表現し、自分を解放することに注力しています。それが、世界全体の幸福につながると信じています」


「なるほど」

なぜ自己表現や解放が世界の幸福につながるのかわからなかったけど、あまり突っ込んで聞くのも気が引けるので、ここはひとまず納得することにした。


「ですからみんな、どんなことであろうと、正直に自分を表現するのです。上手い下手のジャッジはありません。自分がやりたいこと、思いついたことなら、何でも表現し、それを互いに讃え合うのです。上手い下手のジャッジが入ると、緊張してしまって、自分を解放できませんから」


確かに。勇気を出して表現しても、下手だねって言われたら僕なら委縮してしまう。


「でもこれは、ミラー都市内でも同じと聞いています。互いのクリエイティブを認め合い、自由に気の赴くままに表現すると。それはこの美の谷と共通する点です。しかし、決定的な違いがひとつあります」


「何ですか?」


「美の谷では、意図的に“枠”を外そうとします。それは自分の枠であったり、それまで美とされてきた概念の枠であったり。ともかく、かなり意図的に型を破って、新しい可能性を追求する。それが美の谷の文化と言えるかもしれません」


土の道を歩くうちにも、様々なパフォーマーが見られた。さっきの男性のように派手な動きのあるパフォーマンスもあれば、虚無僧の出で立ちで、まるで息をしない静物のように立ち尽くすパフォーマンスまで、そのバリエーションは様々だった。そしてみなスムさんの邸宅で会った人々と同じく、肉体すら自分の求める美に変形させていた。


「美の谷の人はみんなそうなんですか?」


「そうですね、みんながそうであると同時に、そうでないかもしれません。つまり、“美を追求しないことがその人にとっての美学”である場合もあります」


「なるほど!」


「外見的な美であれ、内面的な美であれ、それがあるがままであることを認める。そんな美学、美感もあります」


「素敵ですね」

僕はただの相づちではなく、本心でそう言った。するとウシカさんの表情がぱっと明るくなった。


「その人がそれを美しいと思えば、どんなものでも美となります。私はそう思ってますし、スム様もあらゆる美感を認めてくださいます」


ウシカさんの声はさっきまでよりも弾んでいた。楽しそうに話すウシカさんを見て、僕も心が明るくなった。


「あるがままかぁ。僕はそんなこと、あまり深く考えたことなかったなぁ」


「はい。この谷の人たちは、どんな美であれ、それを深く追求する傾向があると思います。それは……」


ウシカさんはそこで、話を続けるか一瞬躊躇した。


「それは?」


「はい……。これからの旅で、いずれお伝えすることなので、今お話ししてもいいでしょう。つまりそれは、谷の人々はそれぞれ傷を持っているからです」


「傷……」


僕たちは目の前のベンチに腰掛けた。


「はい。アウトミラーは自由な場所とは言え、ミラー都市内に比べると不安定な部分があります。その中で、思わぬトラブルに巻き込まれ、心や体に傷を負うものも少なくありません。その中には、傷から目を逸らしてやり過ごす人もいます。その傷を直視する人もいます。それはひとそれぞれ、立ち直ろうとするタイミングも人それぞれです。立ち直ることを放棄するのもそれぞれの自由な選択です」


カショウも、アウトミラーはミラー都市内のように、あらゆる意味で安定を保つコントロールがされてないと言っていた。


「そんな中、美の谷には、傷を直視することでそこから立ち直ろうとする人々が集まりました。スム様の存在が、人々を呼び寄せたのです。傷を直視する中で、深い洞察が始まります。そしてその洞察は、自分自身の本来の美感を思い出す作業に繋がっていきます。つまり、傷つく前の本当の自分に戻る作業です。だから必然的に、深い追求が生まれるのです」


僕は何も言えなかった。それほどの傷を想像できないので、発言の資格はないと思った。


「傷を直視するのはキツいです。でも、それが一番汎用的な治癒の方法です。例外もありますけどね」


「例外?」


「はい。スム様もおっしゃってましたが、傷を癒すことなく、マイナスからびゅんと飛躍するケースもあります。成功体験によって、気づいたら傷が消えてるのです!これはその人の素質やタイミングも関わってきますので、今のところ再現性があまりないんですけどね。だけどいつか、これをみんなが使えるテクニックに落とし込めたらと思って研究しています」


「おお!ウシカさんがそれを研究されてるんですね!素敵ですね」


ウシカさんの笑顔がきらきらと輝いた。この人はこの追求が心の底から好きなんだなぁと思った。そして彼女を尊敬した。


日も暮れかけてきたので、僕たちは屋敷に戻ることにした。


部屋に着くと、カショウとオンダさんはすっかり出来上がっていた。


「おおシオ。遅かったじゃねぇか」


あれ?オンダさん?あなた、不食不飲の男じゃなかったでしたっけ?


「あ、これ?気づいたら飲んでたの。いや、久々に旅行気分でさ、こいつがしつこく進めてくるんだよ。言っとくけど、食べてないよ?酒しか飲んでないよ?」


「何言ってんだよ、自分から飲んでたじゃねぇか!」


「え?そうだっけ?ハハハ!ともかくみんなには黙っといてくれない?俺、アウトミラー中に不食の男で通ってるから。メンツ丸つぶれだから」


「空きっ腹に酒。死ぬぞ?胃が」


この空気。僕たちの入る余地はない。

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