第33話 [シオ]トリガーズナイト
大浴場へ向かう回廊からも美しい中庭が見えた。正直僕はワクワクした。
ミラー都市内の住居だってそれなりに美しいのだけど、機能性を重視したミニマルなデザインで、どの家も似たようなものだ。
もちろんそれぞれの住人が好きにデコレートすることもできるけど、ベースは変えられない。
しかしここは、機能性と関係なさそうな、つまり一見ムダに思える装飾とか、ムダに広い踊り場とか、そういったものがふんだんにあしらわれている。
植物がうねっているようなカーテンの模様。機能性の伴わないレース地の布。その上に鎮座する、木彫りの象の置物。カットガラスでできたゴツい灰皿……。
「あったねぇ〜、じいちゃんちに。謎のレースのカバーとか、木彫りの置物とか」
カショウはやたらとニヤニヤしながら、懐かしそうにそう言った。
実をいうと、大浴場は僕にとって初めての経験だった。ミラー都市内ではこういった浴場はあまり見ない。
浴場の扉を開けると、噴水と、その中央に小さな男の子が立小便をしている金色の像が見える。
「おい、こんなもの久しぶりに見たぞ。しかも風呂で」
身体を洗い、恐る恐る湯に入る。僕たち以外誰もいない。
「っていうか大丈夫なんですかね、ここエアーフィルの外だし。こんな共有のお風呂入っちゃって」
「ま、大丈夫じゃねぇの?そのためのヴァーヴ……、あ!」
今、僕たちは丸裸なわけで、当然ヴァーヴも着けてない。
「大丈夫だろ?普段鍛えてるし」
「そうですね」
列車で見て幻想だって、僕たちは通り抜けてきた。それに、気にし過ぎてネガティブになるのが一番良くないことは、これまでヴァーヴと共に学んできた。だから忘れることにした。
入浴を終え、部屋に向かって回廊を歩いていると、従者らしき女性がやってきた。
「宴の準備はできておりますので、いつでもいらしてください」
そう言って立ち去った。
「僕たち、なんでこんなに歓迎されてるんですかね。オンダさんのおかげかなぁ?」
「さあな」
カショウは中庭に目を逸らし、素っ気なくそう言った。
「にしてもあれだな。ここは時代錯誤というか、何というか、コロナ以前の懐かしいものがごちゃまぜになってる」
あれ?カショウはわざと話を変えた気がしたけど、気のせいかな?
「僕は初めて実物を見るものばかりでワクワクしてます」
さっきのレースの布みたいに、なぜ存在するのか、なぜこんな模様があしらわれているのか、男の子がおしっこする像に何の意味があるのか、よくわからないけど、心を和ませてくれるものがそこここにあった。
宴の間に着くと、そこはたくさんの人々で賑わっていた。
豪奢な広間には、オリジナリティ溢れる煌びやかな衣装を、オリジナリティ溢れる肉体にまとった人たちが所狭しと賑わっていた。
「なんだこれは?パリピか?ドラァグクイーンか?」
「パリピ?」
そんなことより、エアーフィルのない環境で、こんなに人が集まって大丈夫なのだろうか。だけどもう、引き返せる雰囲気じゃない。
みんなこちらを見て、僕たちに拍手を送ってくれている。
「僕たち、なんでこんなに歓迎されてるんでしたっけ?」
あまりに驚いて、さっきと同じ質問をしてしまった。
「どうぞこちらへ」
向こうからスムさんが僕たちを招く。
拍手に包まれながら人々の間を縫い、彼女の待つテーブルへ向かう。
「あらためまして。ようこそわたくしどもの美の谷へ!」
スムさんの掛け声とともに、電子花火が上がる。すごい爆音。華々しい音楽が始まり、カーテンの向こうから生バンドが登場した。生演奏???
下りてきたきた横断幕には、“Triggers' night!”と書いてある。
会場からはクラッカーのはじける音と、歓喜の声。
え?まじでなんでこんなことなってんの???
「Triggers' night!」
「Blessed night!」
みんなそこここで叫んでいる。
カショウのほうを見ると、背筋を伸ばし、人々に微笑みを振り撒いている。うろたえる僕とは対照的だ。カショウ、もしかして、何か知ってる???
「今日この日を迎えられたこと、大変喜ばしく思っております」
スムさんにうながされるまま、僕たちは着席し、まずは人々と盛大な乾杯を交わした。
今日この日……、とは?
どう考えても、僕たちが主賓のようだけれども……。
「どういうことなんですか?」
小声でカショウに訊ねた。
「とりあえず黙って流れに従え」
「そういえば、すでにご質問をお受けしておりましたね。さっそくそれについてお答えいたします。わたくしどもはヴァーヴを、このような使い方──」
「スム様!」
ひとりの従者が駆け寄ってきた。
「スム様……」
何かを耳打ちしている。
「まあ!すぐお通しなさい!」
彼女ははっと目を見開いた。
スムさんはそわそわしている。さっきまでの落ち着いた彼女とのギャップがすごい。
しばらくすると、開いた入り口に人影が見え、それを確認するやいなや、スムさんはその人影に駆け寄った。
「オンダ?」
カショウが目を凝らす。
「オンダさん??」
「オンダ……!!!」
スムさんはオンダさんにハグをした。ぎゅっと抱きしめたまま動かない。
「お、お、お、お、お……」
オンダさんはよくわからない声を出しながら、されるがままになっていた。
僕たちもオンダさんのもとへ駆け寄った。スムさんの瞳はキラキラして、今にも涙がこぼれ落ちそうだ。
「お前、何しに来た?」
「忘れ物だ」
「あ?」
「ほれ」
オンダさんはポリエチレン製の半透明の袋を差し出した。何か黒いものが入っている。
カショウはそれを受け取り、中を確認する。
「んん?」
僕も袋の中を覗き込んだ。
「これお前、脱ぎ捨てたスーツだ。ゴミだ」
「あ、そうか……」
「お前、知ってるだろ、使い捨てだって」
「あー、そんな気もするな。昔のことで忘れてた」
「おい!」
「もうひとつあるんだ、これ」
オンダさんはリボン付きの透明の袋を差し出した。中には押し花入りの透明の石鹸が詰められている。
「お前これ、サタからお前へのプレゼントだ。言っただろ?」
「え?そうだっけ???」
オンダさんは石鹸を眺めている。
「おい!」
「カショウ」
「何だ?」
「ついて行ってやる」
「は?」
「サタにも言われてたんだ。良かったらついて行ってやってって」
「……」
カショウは腕組みをしたまま、しばらく沈黙を保っている。
「いや、お前らが行った後、やっぱりさ……」
「……」
カショウは依然として動かない。
「あっこで毎日おなじようにクナフ育てて暮らすのも悪くないが、せっかくだから、ちょっと新しいことしてみてもいいかなってな。せっかくの人生だし。いつ死んだっていいし」
「ふむ……」
「まあ、こっちの世界は詳しいから。俺がいたほうが心強いと思うぜ」
何だか僕はワクワクした。自分がオンダさんに好意を持っていたことに気づいた。こんなに清々しく胸が躍ることはめったにない気がした。
「さあ、オンダ、すぐ席を用意しますわ」
僕たちは同じテーブルに着き、再び乾杯を交わした。
僕はスムさんが、さっきの回答の続きを話してくれるのを待っていたのだけど、スムさんはずっとオンダさんと夢中で話し込んでいる。僕とカショウは完全に放置だ。さっきまでの歓迎は何だったのか。
結局そのまま、宴はお開きになった。
「えー、何だったんだろ?」
「まあそんなこともある」
カショウは適当な相槌を返してきた。
「あれ?オンダさんは?」
「さあ。スムさんとよろしくやってんじゃねぇの?」
まさかオンダさんがそんな色男とは。
僕たちは荷物を少し整理して、ベッドに入った。
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