第30話 [カショウ]アウトミラー解説
足がつくのを避けるため、ここから先はミラー都市の外を歩いて移動することになる。エアーフィル境界は危険なので、ミラー0002を大きく迂回し、まずは異形谷を目指す。
“異形谷”は固有名詞ではない。独自の文化を培い、それが極度に先鋭化した集落のことをいつしか異形谷と呼ぶようになった。
“異形”とは、外見だけではなく、その集落の文化や思想、観念体系の極端な独自性を指す。
もちろんミラー都市内でも多様性は認められているが、その多様性は政府がコントロールした安定の上での多様性である。ミラー都市における安定とは、治安から環境的な安全や快適さまで、多くの意味を含む。
一方、ミラー都市の外、つまりアウトミラーは、完全にコントロール外だ。安定とか安寧とか、そういった枠が一切ない。なので中にはかなり危険な異形谷も存在する。逆もしかり。
オンダはそういった集落に所属せずに暮らしているが、彼の観念体系も、一種の異形であることは間違いない。
さっきも言った通り、彼はどこにも所属せずアウトミラーに孤住しているが、それでもオレたちよりかはずっとそっちに精通している。彼からもらった資料には、危険な異形谷のリストも含まれていた。よってオレたちは、地図を確認しながら、ミラー都市だけでなく、危険な異形谷を避けて進む必要がある。
この多様性および先鋭化の構造は、かつてのインターネット上のコミュニティに近いものがある。物理的な社会では発露しにくい一面を持つ人々が、半ばクローズドの見えにくい場所に寄り集まり、互いの観念を共有し、認め合い、いつしか先鋭化する。外の人間と通念の共有が不可能なほどに先鋭化している場合もある。
“物理的な社会では発露しにくい一面”とは、たとえば反モラルや反社会的な要因の場合もあれば、単にマイノリティな属性(性志向のようなものから、ただ単に少数派という意味のものまで)の場合もある。
たとえば反社会的なコミュニティ。たとえば過激な思想のコミュニティ。そういったコミュニティは、かつてのオンライン上に多々見られた。しかし彼らは一般とは別の観念体系を互いに補強しあっているため、もはや外の世界との共通認識や共通言語を失いかけている場合もある。
彼らの中では、犯罪や、他の思想を排除するのが正義と化している場合がある。
このような例はネガティブな意味合いを含むが、分散や先鋭化は決してネガティブとは限らない。たとえば芸術家や学者、あるいはある種の精神の探究者は、自らの中に閉じこもり、自分の感覚を先鋭化することで独自の美を見出すこともあるからだ。
今やそれと似たようなことが物理的な土地で起きている。同じ観念体系をもつ人々が、物理的な土地の上で寄り集まる。あるいは同じ場所で共存するうちに、精神的な傾向が似通ってくるのかもしれない。
精神と空間、その両方おける一種の分散化、それがミラー都市の外で著しく進むことになった。
アウトミラーでは、どんな観念体系の異形谷も、あるがままに存在することを許された。政府はそれらの集落をミラー都市のように丁寧に管理することなく、何が起きても黙認した。ネガティブとポジティブ。悪と正義。あらゆるジャッジから免れる。それが異形谷、およびアウトミラーだった。
ネガもポジも超えたところにある、完全に開放された多様性。それは異形谷や、ミラー都市の外に孤住する人たちにも同じことが言える。不食に達することができたオンダもその一人だ。
異形谷。その響きから、差別的なものを感じる人もいるが、当の本人たちは至ってこの呼び名を気に入っている。そもそも彼らは、ミラー都市に収容されることを拒み、枠にはまることを好まない人々だ。
そのように、個々の異形谷は独自性が強く、場合によっては他とのコミュニケーションさえ不可能なほど先鋭化されたところもある。しかしその一方で、ミラー都市の外に共通した文化やツールも存在する。それを俗にアウトミラー文化と呼んだりする。
たとえば彼らは、廃棄されたはずの手動運転車(つまり人間が運転する旧型車)を乗り回したりする。かなり原始的なものだが、独自の交通路を開拓するケースもある。昔の設備的遺産を流用して、独自の通信網を持っていたりする。政府は、ミラー都市に危険が影響が及ばない限り、それを黙認している。
ミラー都市の人間、つまり都市人も自動走行車で都市間を移動することもあるが、アウトミラーの住人や文化がその目に触れることはまずない。アウトミラー人は自分たちの安全と尊厳を守るため、極力隠れて活動するし、そもそも彼らは極端に少数だ。
つまり、都市からは完全にクローズドの世界。見えない世界。それがアウトミラー社会ということになる。
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