第26話 [カショウ]不食の男
オンダに会うのは何年ぶりだろう。彼はミラー都市に収容されるのを拒み、ここに住み続けた。
彼もオレとサタの戦友だった。出会ったのはとあるSNS上でのことだった。その後、彼にはいろいろと世話になるわけだが。
古い屋敷が見えた。手入れがされてないので雑草が伸び放題だ。
屋敷の前に痩せた男がいる。オンダだ。
オレと同年代のはずだが、その痩せ方のせいか、何とも形容しがたい外見だ。痩せてると言っても骨格ががっしりして肩幅もあるせいか、さほど貧弱な感じはしない。老けてると言えば老けているようだが、目の輝きやシミのない肌は、オレよりもずっと若い。
「よお。急にすまない」
オンダはオレを一瞥するなり、話し始めた。
「どうだ。見事だろう」
オンダは庭の草を指してそう言った。
「何の草だ?」
「クナフだ。裏庭にもある」
クナフなどという単語は久々に聞いた。クナフとは、自然の向精神作用を持つ植物だ。そんなもの、いまどき何のために?
「政府の要請で育てている。俺はやらんがな」
シオは興味津々で、生い茂ったクナフの葉を見ている。
「出荷前のやつがある。やってみるか兄ちゃん」
「えっ」
「と言っても大したもんじゃないが。お茶やタバコをやるのと変わらん。俺はタバコのほうがずっと好きだが」
オレは黙って、シオと目を合わせずにいた。決して勧めることはないが、ヴァーヴのデータ蓄積のために、少しやらせてみるのも面白いとは思った、が……。
シオが返事をする間もなく、オンダは紙で巻かれたクナフを持ってきて、シオに持たせ、ポケットからライターを取り出した。
「ちょっと待て!」
オレはシオがそれをやるまえに、確認する必要があると思った。
「お前、クナフのこと知ってるのか?」
「はい……、向精神薬ですよね。昔は違法だったと……」
「もしそれをやるなら、そいつに対する先入観を捨てろ。迷うならやめとけ。やるなら、気持ちを落ち着かせてからにしろ」
シオはヴァーヴを一瞥した。その後深呼吸を何度かし、再びヴァーヴを一瞥した。
オンダが火を着け、シオはそれを吸う。
「まあそこでゆっくりやれ」
オンダはオレたちを縁側に座らせた。
ここはエアーフィル境界から充分離れているとは言えないが、オンダは普通に生活しているらしい。まあやつの場合、普通と言っても普通じゃないんだが……。ともかくウイルスはよくわからんが、空気が汚れている感じはない。
オレはスーツとフェイスシールドをゆるめた。ヴァーヴで自分の状態も把握してるし、オンダの様子を見る限り、問題ないだろう。
「どうだ?」
オンダはニヤニヤしながら、シオを覗き込む。
「うーん。確かに気持ちいい気もしますけど……」
「まあ、あと2、3分様子を見よう」
オンダはニヤニヤしながらタバコを吸った。
3分経過。
「どうだ?」
「うーん。さっきとあまり変わりはないですね」
「だろう?だから言ったんだ、大したことないって!」
「正直、ヴァーヴの練習してるときのほうが、これより気持ちいいときあったかも」
シオは首をかしげながら言った。
「そもそも、お前らがいっつも食うものに混ざってるからな、耐性ができてんだ」
「え?」
シオが食いつく。
「おい!」
「何が“おい!”だ!お前だって知ってんだろ、ハハハ!」
オンダのニヤつきが頂点に達し、オレをムカつかせた。
「そもそも人間なんてバカで暴力的なもんだ。何のコントロールもなしにこの平和が保てるわけないだろ?疑わないほうが悪い。ま、疑わないように薬飲まされてるんだけどな。要は去勢剤だ。精神のな」
オンダはまたガハハと笑った。
「とりあえず部屋に案内してやる。例の資料も倉庫から引っ張り出しといたぞ」
オレたちはオンダに案内され、長い回廊を歩いた。
「このことは誰にも言いません」
シオは声を潜めて言った。正直、もうどうだっていい気分だった。そもそも、ミラー都市の人間にこのことが知られたとしても、もはや誰も気にしない気がした。それほど人々の精神は従順に調教、いや、調整されていた。
実際にはクナフ自体に精神の“去勢作用”があるわけではない。クナフの成分と、他の成分を調整したものが利用されているはずだ。
「だけどカショウには効いてなさそうですね、その薬。なんというか、カショウって野性味があるというか……」
野性味?気を使ったつもりか?なんなら粗雑だと言ってくれたほうがマシだ。
「生まれたときから飲まされてるやつらとは違うからな。オレもサタも、いい歳になってからの付き合いだ」
それに、薬が混ざっていることは知っていた。無害であることは承知だが、それでも心のどこかで警戒がある。それが薬の効きを悪くさせているのだろう。
「オンダさんもぜんぜん効いてなさそう」
シオは小声でオレに囁いた。
「こいつは食わないからな」
「食わない?」
「俺のことか?俺は不食だ」
オンダが少しふり返って言う。
「不食?」
「この30年ほどは飲み食いなしだ」
「えっ?……水も?」
「飲まない。着いたぞ」
オンダは障子を開け、オレたちを中へ入れた。
「ところでそれ、ヴァーヴか。懐かしいなぁ」
「着けてみるか」
オレはヴァーヴ一式を外し、オンダに装着させた。
「ゲストモードにしますか?」
ヴァーヴが訊ねてきた。オレはYESボタンを押した。
ヴァーヴがオンダの初期値を計測しはじめる。オンダはふらふらとタバコを吸いながらニヤニヤしている。
しばらく待ったのち、ヴァーヴは電子音をたて、画面にこう表示した。
“Undefined pattern”
未定義のパターン?つまり過去のデータベースに存在しない生体パターンという意味か。
オンダは微笑みながらタバコを吸い、回廊の外の空をぼんやり眺めていた。その左手にはめられたヴァーヴの短左針は[緑]からゆっくり[青]を通過し、ついには下の半円のグレーの部分を反時計回りのまま進んだ。長右針は最初から[紫]にあったが、やがて2本の針は[シルバー]で重なった。一方、ストロングネスはやけに弱い。
この男はあれ以来さらに、特殊な精神構造を培っていたようだ。
「もう外していいか」
オンダはとろんととろけるような目でオレを見てそう言った。いや、その目はオレでも空間でもない、何か別のものを見ているか、あるいは何も見ていないかだった。
オンダからヴァーヴを外すと、「ごゆっくり」と言いながら片手を上げてあいさつし、元きたほうへ戻って行った。
「円の下を通過するの、初めて見た」
シオは興奮気味に言った。オレも初めて見た。
最初に会った頃は、異常に神経質なやつだった。それが今じゃあれだ。
ただ、やつは苦しみから解放され、内面の平和の境地に達しているようだ。オレはそれを祝福した。
ふり返ると、積まれた寝具の上でシオは眠っていた。疲れが出たのか。それともシオなりのクナフの効能か。
オレはシオをそのまま寝かせて、机の上の箱の中を確認した。オンダは頼んだとおりの資料を用意してくれていた。
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