第24話 [シオ]初めてのジャンプ2

扉を開けた途端、強い風と雨がなだれ込んできた。


そこにあるはずの錆びた車両のかわりに、空のコンテナ車がつらなっていた。


僕は言葉を失った。


さっきカショウが、“チューニング”がないと出来事の起こる可能性が三次元を超えるというようなことを言っていた。まさに今、それが起きている?


「スーツを閉めてフェイスシールドをおろせ」

カショウが叫ぶ。


彼はヴァーヴを右手で覆い、目を閉じて静かに深呼吸した。そして僕にも深呼吸を促した。


なるだけゆっくり、吐く息と吸う息に意識を集中させる。それを幾度か繰り返す。


これは幻想だ。真に受けるな。


脳内で声がした。これは誰の声だろう?


カショウが僕のヘッドセットに手を伸ばし、ボタンを押した。すると耳鳴りのような、電子音のような、金属が共鳴するような、そんな不思議な音がした。


「調整音だ。お前が好ましい状態に戻るのをサポートしてくれる」


カショウはそう言い、自分の調整音も鳴らした。


それぞれの脳内にそれぞれの調整音が響く。目を瞑り、深呼吸を続けると、内なる静寂が見えた。


眼を開き、前方を見る。コンテナ車は3両ほど連なっている。雨に霞む向こうに、錆びた車両が見えた。


「大丈夫か?」


「はい」


僕は自分のヴァーヴを確認し、頷いた。


コンテナ車の床は隙間だらけで、すぐ下には線路がのぞいている。雨に足を滑らせたらどうなるか。それは言うまでもないことだった。


僕たちは這いつくばって錆びた車両を目指した。雨と風に煽られながら。


目に見えるものは無視しろ。内面だけが指標だ。


また声がした。これはカショウの声?いや、少し違う気がする。


半分を過ぎた頃、雨と風が止んだ。急速に黒雲が遠ざかり、眩しいほどの日差しが降り注いだ。


3両目のコンテナ車の踊り場まで辿り着いた。ここまでくれば、もう滑り落ちることもない。


僕たちはそこに座り込み、元来たほうを振り返った。そこには延々とコンテナ車が連なっていた。列車の先端はおろか、さっきまでいた展望車さえ見えない。


今さら驚いてもいられない。僕たちはそこに胡坐をかき、呼吸を整えることに専念した。長い間、そこで心地よい風を感じていた。ロボットたちは相変わらず農作業に勤しみ、その向こうにはキラキラと乱反射する海が見えた。束の間の幸福を味わった。


その次の瞬間、僕は嫌な予感がした。この光景、さっきとまったく同じだ。


僕たちは扉の前に立った。もしこの向こうに、本来あるはずの錆びた車両の代わりに展望車の光景が広がっていたら、僕たちはどうなる?永遠にこの列車をループすることになったら?元の次元に戻れず、僕たちは別の世界を彷徨うことになるのか?


カショウが扉に手をかけ、力を込めた。僕はその手を引き留めた。心の準備が必要だったからだ。


「これは幻想。僕にもわかってきました」


僕はそう言って調整音を鳴らし、目を瞑り、深呼吸を数回した。カショウは僕に委ねてくれた。


2本の針がシルバーに達し、ストロングネスも上昇した。僕は扉に手をかけ、力を込めて引いた。


グッドジョブ。


僕たちは無事、錆びた列車のカードの上にジャンプした。


僕は入念に車内を見まわした。


「なんだ?」


「いや、自販機ないかなって。幻想ついでに、コーヒー飲みたいなって」


「なんてやつだ」

カショウが鼻で笑うように言った。いつものカショウだ。


シートに戻ると、カショウはさっきの調整音の補足をしてくれた。


ヴァーヴは生体情報を取得して表示するだけでなく、好ましい状態に誘導する機能も持っていて、それがさっきの調整音とのことだった。


ヴァーヴは過去の生体情報も保存している。特にその人にとって好ましい状態や、逆に避けるべき状態というのが取り出しやすい状態になっている。


その最も好ましい状態のデータから、最適な音色や音程、うなり(鐘の音のような音の大小の波)の間隔はどれかをを自動的に選定し、その人に合った調整音があつらえられる。


開発元のデータベースにも匿名化された情報が集積されていて、ローカルにある自分のデータと、中央のビッグデータの両方を参照して作られる。


調整音を聞くことで心身は良い状態へ誘導され、特に危機的な状態においてはカンフル剤的に使われる。つまり調整音は、その人が危険な状態から脱するためのブースターのようなものらしい。


以上がカショウの説明だった。


さっきは詳しい説明を聞く間もなく、初めて調整音を使うことになったけど、あのとき直感的にその意義がわかった。カショウはテレパシーでも使ったのだろうか。


一仕事終えた僕たちは、サタさんが出発前に準備してくれたコーヒーを取り出して飲んだ。


窓の外に目をやる。晴れた空とインベーダー農園。


「もうすぐだ」

カショウの表情は心なしか明るかった。


街が見えてきた。魚眼レンズ越しに見る世界のように、それは少し歪んで見えた。


コーヒーをしまい、僕たちは席を立った。

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