旅のはじまり
第21話 [シオ]眠れる夜/旅立ち/バージョンアップ
眠れない夜のはずだった。だけど僕はヴァーヴでコントロールすることを習得していた。
眠れないときはゆっくり呼吸し、興奮で飛び散らかった意識を脳の位置にすとんと戻してやる。そうすると思考が減速していき、眠りとの境界に入ることができる。
過剰な思考が目的の妨げになることは、ヴァーヴと過ごすうちに体感していた。思考をやめることの意義を知った。
だから興奮(思考の暴走)に耽っている自分を止めることに、退屈を感じることはなかった。“興奮をコントロールできる自分”に、面白味を感じることができるから。以前なら、せっかくの昂ぶりにわざわざストップをかけるなんて考えられなかったけど。
とは言うものの、かなり早く目が覚めた。というか中途覚醒かもしれない。外はまだ真っ暗だ。
僕は諦めて、今の自分の心に従うことにし、地図のコピーを眺めた。これから僕はこれらの道を行くのだ。
しばらくすると、キッチンの水の音や食器の音、コーヒーのにおいがこの部屋まで届いた。サタさんが朝の支度をしている。
僕はシャワーを浴びるために部屋を出た。
ダイニングに行くと、カショウがコーヒーを飲みながらタブレットを見ていた。起き抜けの気だるい空気が、彼のまわりに纏わりついていた。
「なんだ、もう起きてきたのか」
しわがれた声でカショウが言った。
「あら~、シオちゃんおはよう~!朝ごはん、もうちょっと待ってね」
サタさんはいつものハイトーンだ。少し頭がクラっとした。
僕も挨拶を返し、浴室へ向かった。
カショウもサタさんもいつも通りだけど、今どんな気持ちなんだろう?
シャワーを浴びながら、そんな余計なことを考えた。たぶんこの先が予想できなさすぎて何もイメージできないからだ。母に会うため。それはわかってる。だけどそれさえリアリティがなさすぎた。
だからとりあえず手の届く範疇の、カショウとサタさんの気持ちを想像してみた。余計なお世話だなぁと自分でも思った。
シャワーから出ると、朝食が準備されていた。
何を話したらいいのだろう。そう思いながら食卓に着いた。しかしその心配はサタさんが払拭してくれた。サタさんはひたすら事務的に、確認事項を連発した。
着替えは持った?ちゃんとシャワー浴びてってね。使い捨てのスーツ、それで足りるの?
それらに対するカショウの応答は、「わかってる」か「うるさい」のどちらかだ。
「ミワラやオンダに会ったら、これ渡しといてくれない?」
「旅行じゃないんだ!かさばる」
ミワラ?オンダ?誰だろう?
そのとき玄関のドアが開いた。フウさんとその旦那さん、娘さんたちが入ってきた。
「えー、パパ、急すぎない?何しに行くの?」
「オンダたちがね、パパに手伝ってほしいことがあるんだって。シオちゃんはそのアシスタントよ」
サタさんはそう言った。
「えー、ちょっと楽しそうじゃない!シオちゃんも一緒なら安心ね」
フウさんは僕に笑顔を向けた。
「だけど、通行許可、よくおりたわね」
「まあな」
「じゃあそのとき教えてくれたらよかったのに~」
サタさんはフウさんに、オンダという人が旅の理由だと言った。その嘘も無理はなかった。旅の理由は極秘だから。
さっきミワラさんやオンダさんの名前を出したのも、フウさんに嘘をつくための予行練習だったのかもしれない。
このときふと、僕はあることに気づいた。
カショウはなぜ、僕についてきてくれるのだろう?
僕は彼に、母に会うためとしか伝えてない。そもそも僕は、突然遠い街からやってきた見ず知らずの人間だ。そんな僕をカショウがサポートする理由が薄すぎる。というか、ほとんどない。
更にいうと、自分がここまで突き動かされて来た理由もぼんやりしている。自分で自分の気持ちを把握しきれていない。つまりこの、母に会おうとするモチベーションがどこから来るかわかってない。自分の気持ちだというのに。
「カショウ──」
呼び止める間もなく、カショウは身支度をしに奥へ行ってしまった。
サタさんは孫たちとキャッキャ笑っている。
ミワラさんやオンダさんは、本当にフェイクなのだろうか。
僕はその和やかな笑いにつつまれた食卓で、ひとり置き去りになった。
数十分後、僕たちはドアの外にいた。出発の時が来た。
「パパ、シオちゃん。気をつけてね」
フウさんは腕に抱いた娘さんと一緒に手を降ってくれた。
「ショウちゃん、大好きよ」
サタさんはカショウにそう言った。
少しか細く震えた声で、目は潤んでいた。
そして長いハグとキスをした。
「仲良すぎない?大げさだし。困った夫婦だわ」
呆れるようにフウさんが言った。
「じゃあ行ってくる」
カショウがそう告げるとともに、僕たちは歩きだした。
「何かあったらマメに連絡するのよ!」
背後でサタさんが叫ぶ声がした。
「街の外だ。期待するな!」
カショウが叫び返した。
そうかミラー都市の外では、通信もままならないかもしれないのか。
僕はふり返って手を振った。サタさんは心配そうな顔をすぐに笑顔に差し替えて、大きく手を振ってくれた。
家を出る前に切り出しそびれたカショウへの質問は、すっかり出番を失ってしまった。
道すがら、初めてヴァーヴを着けた日に見たこの街の景色を、もう一度目に焼き付ける。やはり幻想のように美しく、かつ、どのミラー都市にもありふれた光景だった。
あれ?
僕は目を凝らした。
見覚えのない建物があった。何度見ても記憶になかった。
特に奇妙な外観をしているわけではない。しかしまるで向こうから目に飛び込んでくるような、そんな感覚だった。なぜか印象的な建物だった。
「どうした?」
「いえ、あんな建物、あったかなぁって」
カショウは僕の視線の先を確認した。
「いい兆候だ。前へ進んでる証だろう」
気づかないだけで、僕たちはいつもこうやって、ほとんど同じに見える別の平行世界へジャンプしてるのだろう。サタさんが言うように。
さっき、サタさんがカショウのことを「ショウちゃん」と呼んだ。もしかしたらここは、カショウが“ショウちゃん”の平行世界なのか???
僕は恐る恐る呼んでみた。
「カ、カショウ……」
「ん?なんだ?」
やっぱりカショウはカショウのようだ。
そのとき、カショウのヴァーヴが震えた。数秒遅れて、僕のヴァーヴも震えた。
「バージョンアップがあります???」
カショウが素っ頓狂な声を上げた。
クリックすると、詳細情報とダウンロードボタンが表示された。
「あ?ストロングネスの追加?このアプリまだ更新してたの???」
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