第20話 [カショウ]旅の前夜
この短期間、シオの変化は目を見張るものがあった。
空虚な目をした、つかみどころのない若者。第一印象はそんな感じだった。
しかしこの数週間、特にヴァーヴと過ごすようになってから、やつの目に光が感じられるようになった。
まあ、さっきの異様にぎらついた目にはドン引きしたが、今のうちに一通り経験しておくのは良いだろう。あれは増長し過ぎたのだ。それもヴァーヴのおかげだろう。そのうち加減がわかってくる。
しかしヴァーヴの開発は革命的であったことをあらためて認識した。ヴァーヴが発売される前、人々はまさに自分の感覚だけを頼りに感覚を測っていたのだ。
それを視覚化、数値化することによって、各段に習得スピードが上がる。
ただ、この手の感覚コントロールの習得が必要な人間はごく稀だ。僧侶か、一流のアスリートか、意識の高い経営者や技術者くらいだった。平穏なこの世界では、さらに出番は少ない。頭脳都市を除いたミラー都市の住民の中に、ヴァーヴの存在を知っているものはほとんどいないだろう。
ただ、あのときのサタとオレは、この道具に助けられた。後にも先にも、それほどまでにこの道具の存在が有意義だったことはないだろう。またこれを使うときが来るとは。
シオが風呂がら出てきた。オレは彼を呼びつけた。
「はい……」
明らかにしゅんとしている。オレが殴ったからだ。無理はない。
ここの人間は暴力に慣れてない。平穏すぎて、若者が増長することさえ稀なので、暴力のきっかけすらない。
殴ったのは怒っていたからではない(まあ、ニヤついた顔に多少イラっとはしたが)。意識の拡大、あるいはエゴの増長は、危険な場合もあるからだ。そこから引き戻すには、多少ショックを与える必要があった。ヴァーヴ的な経験値としても有意義だろう。
しぶしぶやってきたシオに、オレは地図を見せた。
「ここがミラー0041。オレらの街だ。そしてここが頭脳都市だ」
「はい……」
「ざっと500kmだ。ちなみに、お前の街からここまでも同じような距離だ」
「はい。そんなに時間はかかりませんでした」
「しかし今回は、ミラー都市間の移動と違い、目的地が頭脳都市だ。その場合、まず通行手形が下りないだろう。残念ながら公の交通網は使えない」
「でも頭脳都市の最寄りの街までなら、自動走行車で移動できますよね?」
「突然そこで消息を絶つと怪しまれる。走行記録はきっちり残るからな。やめといたほうがいい」
「え?じゃあ徒歩で?」
「お前、何のためにヴァーヴを習得したんだ?」
「え?」
「え?」
純粋な若者をからかうのは面白い。特にここの子たちは純粋だ。まあ500キロ歩くのも、ある意味思い出にはなるかもしれんが。
「えっと……」
シオはタブレットに計算させた。
「500kmなら半月くらいか……。はい……、なんとか、やってみます。ヴァーヴ一式、お借りしていいんですよ……ね?」
「まあ待て。早合点するな」
「え?」
「使えないのは公のルートだ。公以外が存在する」
「……?」
これだから最近の若者は……、というセリフが出かかったが、何不自由ないミラー都市内で育った人間に、公以外が想像できないのは無理もない。
「何事にも、表があれば裏がある」
オレはもうひとつの地図を取り出した。鉄道のハブ拠点を示す地図だ。この世界では、鉄道とはすなわち貨物列車のことだ。列車が人を運ぶことはまずない。人を運ばないがゆえに管理が甘い。つまり潜り込もうと思えばいくらでも潜り込めるのだが、この世界で、オレたち以外にそんな選択を迫られる人間はまずいないだろう。
「すべてとはいかないが、部分的には列車に潜り込んで移動できる。何日かは短縮できるだろう」
「わかりました。この地図もコピーさせてもらえますか?」
「お前、これだけの情報で行くつもりなのか?」
「いえ……、列車の乗り方もわからないし……。あなたにミラー都市の仕組みを教えてもらうために僕はここへ来たので……。他に情報があればお願いします」
「これ以上、教えられることはない」
「あ、はい……」
沈黙が続く。
「わかりました。後は自分で何とかします」
おい、若者よ。もっと食い下がれ。手を変え品を変え別の情報を聞き出すとか、なんかあるだろ?
「今は思い出せないが、現場に行ったら思い出せるかもしれない」
「えっ」
「お前、本当はオレが一緒に行くのを期待してるんだろ?正直に言え」
「あ、はい……」
そうなのだ。いつのまにか、シオの旅にオレが同伴する流れができていた。もしかしたらこいつ、ヴァーヴ(すなわちヴァーヴメーターで測れる生体情報、およびそれにともなう現実化)を扱う素質があるかもしれん。こいつが無意識にコントロールしたせいでその流れができたか?本人は気づいてなさそうだが。
「列車なら明日動くわよ。ミワラが言ってた」
サタはいつのまにかそこにいた。
シオがこれ以上ここにいる理由はない。他に出発を後らせる理由もなかった。
「準備できるか?」
「あ、はい!」
シオは突然のことで戸惑ったようだが、その声のトーンには期待が入り混じっていた。
ほとんどノープランの旅になる。オレだってここを出るのは何十年ぶりだ。一応できる限りのことは準備するが、外へ出てみないとわからないことだらけだ。
出発時刻などを打ち合わせたあと、シオは寝室へ戻った。
サタはこちらへ背を向けてダイニングチェアに座り、飲み物の入ったカップを口へ運んでいる。
「さびしいだろ?オレがいないと」
「わかってたわよ、こうなることは」
「仕方ない。こうなる流れだ」
「あなたが選んだのよ。この“カード”を。行かずにはいられないのよ。そういう人よ。いつでもジャンプするのは自分自身よ」
サタは少し不機嫌な口調でそう言った。
「心配するな!オレに失敗の文字はない!」
重い空気を払拭するためにおどけてみせたが、あまり効果はなさそうだった。
「心配なんかしてないわよ。いつでも私は、私好みのカードにジャンプしてきたからね」
そう言ってこちらに顔を向け、不自然な笑顔を見せた。
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