第19話 [シオ]気づき、あるいは感覚とエゴの拡大
昨日のサタさんの話から推測すると、もしあのときサタさんたちが感覚レベルのコントロールを失敗していたら、別の世界に移行していたということになる。
場合によっては、僕や僕を取り巻く社会は全く違うものだったかもしれない。満員電車に乗り、子どもたちは毎日固定された席に着き、なぜ学ぶのかを理解しないまま黒板の文字を眺めるような、そんな世界だったかもしれない。
サタさんによると、そんなプレコロナそのままの並行世界も現に存在するということになる。ただ、あの頃のカショウやサタさんたちが、ヴァーヴの助けを借り、そこへ不時着するような事態を回避したおかげで、僕はここに生きている。
僕はヴァーヴを見つめた。あのときからずっと、寝るとき以外は付けっぱなしだ。いや、眠りに落ちる直前まで、僕はフェイスシールドと手首のデバイスを付けっぱなしにした。
「そのフェイスシールド、実は柄の部分と分離できるんだ。ヴァーヴだけ使いたい場合はな」
カショウがそう教えてくれたのは3日目の朝だった。
(わざわざフェイスシールドのままシロに出かけたのは何だったのか。)
ともかく僕は、ヴァーヴに夢中になった。ヴァーヴと、自分の感覚や体感を照らし合わせるのに夢中だった。
カショウのアドバイスどおり、日常では[緑]に留まるよう努めた。
ゆっくり呼吸をし、思考を過去や未来、よけいな心配事に散らばらせるのをやめ、今ここに集約させる。その感覚をつかみつつあった。
瞑想中のヴァーヴ、緑や風や川の流れを感じるときのヴァーヴ、愛らしい小動物と遭遇したときのヴァーヴ、サタさんの料理が美味しかったときのヴァーヴ……。あらゆる心地よさのヴァーヴを僕は集め、自分の記憶に留めようとした。
[緑]に留まる。それが正解。
僕はそう思って毎日過ごした。そして実際、多くの時間そこに留まることができるようになり、そのことに喜びを覚えた。
しかし問題は、その後やってきた。
[緑]以外の色にいるとき、僕はとても否定的な気持ちになった。[青]は鎮静や内面なので別にいいのだけど、黄色からオレンジの[グラデーション]にいる自分を、僕は許せなかった。
そして気が付けば、僕はいつも[グラデーション]や、[赤]にいるようになってしまった。
なぜだ!?
なぜ、正解を知っているのに、僕は正解どおりにできないのだろう……。
「すべてを受け入れろ」
密かに焦る僕に感づいたカショウは、僕にそう言った。
「正解と不正解に分断するな。正解が正解であるほど、不正解は闇になる」
僕はその意味について考えた。
世界をポジティブとネガティブに二分し、その半分を拒んでいた。
僕は不正解を拒絶し、怖れていた。
怖れが僕を[緑]から遠ざけていた。
「ネガティブは一時的だ。すべてのネガティブは、必ず反動として利用できる。強くひっぱったゴムと同じだ。強くひっぱればひっぱるほど、高く遠く飛べる」
たとえ[赤]に留まったとしても、その先に[紫]や[シルバー]があるのだ。
僕はその意味を理解した。
その一瞬、僕の針は[シルバー]で重なるのを見た。ほんの一瞬。
それ以降、僕はより安定的に、[緑]に留まることができるようになった。
また、より正確にコントロールするツールも見つけた。
走ること。シャワーを浴びること。好きな音を聴く。カショウの庭掃除の手伝い、大きな河川敷を歩く、川に足を付ける……。
もちろん瞑想やイメージングも効果的だが、そういった直接的なツールよりも、日常の作業の中でヴァーヴを整えるほうが体感を得やすかった。瞑想のコツをつかむまでは、日常的なツールの中から、そのとき一番しっくりくるものを選んで使った。
そのうち、[赤]に留まっても、自分に好ましい状態があることがわかってきた。初めて見る針の動きも頻繁に見られるようになり、自分にとって好ましい針の推移のバリエーションが増えた。
僕はいつでも、ヘッドセット(フェイスシールドの柄の部分)を着けて街を歩いた。
針の動きを確かめるために、わざと妙な動きをして人の目を惹いた。羞恥心を感じた瞬間、僕はヴァーヴを見、ニヤニヤした。
女の子がこっちを見ている。以前も僕を見ていた女の子だ。僕はわざと、彼女を見つめ返した。長い時間見つめ合った。心臓が鳴るのがわかる。
以前の僕なら、その心臓の音を恥じ、否定していただろう。彼女から目をそらしていただろう。だけどヴァーヴと過ごすうちに、僕の何かが変わった。
すべてはヴァーヴを確認するため起こっている。彼女と見つめ合うイベントが発生するのも、すべてはヴァーヴのためなのだ。
僕はすべての感覚を制覇した。いや、この世界のすべてを理解した。すべては僕のコントロール下だ。体の底のほうから、エネルギーが沸き上がる。
この喜びを、体で表現せずにはいられない。
前からカショウが歩いてくる。僕はこの成果を報告すべく、カショウに駆け寄った。
バシッ!
頭に衝撃が走った。カショウが僕を殴ったのだ。
「痛っっ……」
僕は悶えた。
「大丈夫かお前」
大丈夫かって、殴ったのはあなたでしょ?
カショウは僕の腕を引っ張り、家へ連れ戻した。
「オレに殴られる前、ヴァーヴの針はどうなってた?」
「見てませんでした」
家に着くと、サタさんが水を一杯出してくれた。
「いいわね~、若いって。年取るとそういうの感じられなくなるの。万能感?ってやつ?」
「ムダな万能感はムダでしかない」
上着をしまいながら、淡々とした口調でカショウは言った。
「にしても、殴ることないじゃない?ねぇ?」
サタさんが僕に微笑む。
僕の拡大した意識は、すっかりしぼんでしまった。
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