第17話 [シオ]ジンライム、ドット、ハイ

「何飲もうかしら?」

サタさんはずっとメニューにかじりついたままだ。


僕は周囲の視線を感じて、どうも落ち着かない。


「僕たち、ここに何しに来たんでしたっけ?」


「何だっけ?」


「何だっていいじゃない。私このオレンジのカクテルにしようかしら?」


「おれはいつもどおり。シオは?」


僕もいつもどおりノンアルコールのつもりだったけど、ふと飲んでみようという気になった。


「はい」

サタさんがメニューを譲ってくれた。適当にジンとライムのカクテルを選んでみた。


「お!いくねぇ」


「いや、なんとなく、透明でクセがなさそうだから……。ライム好きだし……」


「ふむ」

「ふーん」

カショウとサタさんはなぜか不思議そうな顔をしている。


「じゃ、私取ってくるね」


「昔、世界的なIT企業でも取り入れてたんだ」

カショウはあごでヴァーヴ(※)を指しながらそう言った。


(本当は、ヴァーヴは端末に入ってるアプリの名前だけど、僕たちはもう端末自体をヴァーヴと呼ぶことにしていた。)


「このメーターを?」


「いや、ヴァーヴの大元になっている理論だ。瞑想などの精神をコントロールする方法を取り入れて、社員のパフォーマンスを上げる試みをしていた。それをきっかけに研究が進み、脳波に関するデバイスもいろんな企業が開発した」


「じゃあ、これもそのひとつですか?」


「ああ、それはかなり後発だが、そのぶん洗練されてる。他の多くは、技術者と学者が主に開発したが、そいつは仏僧やインドのサドゥー、その他宗教家もチームに加えて開発されたものだ」


サタさんが帰ってきて、それぞれのもとにグラスを置いた。僕たちは会話の片手間に乾杯を交わし、フェイスシールドを少し上げて一口飲んだ。


「宗教家と言うより、オカルティストだな。その当時オカルトなんてまともに相手されてなかった。科学信仰がピークの時代だったからな」


「科学信仰……」


「エビデンス!エビデンス!エビデンス!みんなエビデンスが大好きだった」


「フフフ、あなたその代表格だったじゃない!」


「うるさい!」


いつものカショウとサタさんの寸劇が始まった。

僕はその予定調和が終わるのを、ジンライムを飲みながら待った。


……終わったようだ。


「だけどおれたちはエビデンスの限界を知ることになった。それもコロナ禍だった」


「学者さんもお医者さんもね、それまでコロナのようなこと経験なかったから、エビデンスが不足してたのよ。コロナの間、専門家たちもコロナの状況を見ながら、日々見解をアップデートしてたわ」


「前例がなければ、エビデンスもない。最先端で切り開いていく学者たちはそのことを知ってただろうが、一般人、特にその分野の門外漢ほど、エビデンスはいつも用意されてるものと思っていた」


「あなただって技術者だから、日々新しい技術を切り開いていたわけでしょう?」


「いや、自分の分野なら想像がつくが、コロナのような医学の領域については確固たるものがあると思っていた。誰だってそうだろ?よその分野には、ゆるぎないセオリーがあるように見える。しかし、どの分野も最先端は手探りなもんだ」


「まあそうね。最先端じゃなくても、実際自分で手を動かしてみたら、手探りなことだらけ」


「そういうのは、自分で試行錯誤した経験がなければわからない。セオリーがそのまま役に立つことのほうがまれだ」


なんだか心地よかった。内容というより、ふたりの会話のテンポというか、この場所の空気自体が、とても調和的に感じられた。夜の始まりのそよ風が心地いい。


僕は2杯目のジンライムを取りに行った。足が妙にかるい。視界がクリアだ。それまで気になっていた騒音や視線への感受性が削ぎ落され、必要な感覚にだけフォーカスされている。感覚が冴えている。


それは初めての感覚だった。普段からこうだったらいいのにと思った。


テーブルに戻り、再びジンライムを飲む。カショウが僕の左腕のあたりを見ている気がしたが、僕はジンライムを味わわなければならないので、余計なことに意識を向けている余裕はなかった。


「美味しい?」

サタさんが僕の顔を覗き込む。


「はい、美味しいです!」


「まあ、いい笑顔ね~」


フフフフフ。僕はサタさんに共鳴して笑い出した。


カショウはなにか難しそうな顔をしている。一緒に笑えばいいのに。めんどくさいオヤジだ。


「どうだ?気分は」


「サイコーです!なんかこんな感覚、初めてだなぁ~」


「そうか。初めてか」


「はい!いつもこうだったらなーって」


カショウは立ち上がり、僕のヴァーヴを操作した。


「ジンライム、ドット、ハイ」

ヴァーヴに向かって、彼はそう言った。


「Gin and lime, dot, high」

ヴァーヴは中性的な声で復唱し、画面に[G.H]と表示した。


カショウは再生ボタンを押した。


画面に[8:48]の文字が現れ、一秒ずつ減っていった。

それと同時に、メーターの上で2本の針がゆっくり動いている。


どうやらカショウは、“ジンライム・ハイ”という名前で、今の僕の感覚をヴァーヴに記録させたらしい。


「こいつによると、お前は8分48秒前から酔っていたとのことだ」


短左針は[緑]、長右針は[紫]を指している時間が長かった。


「お酒を飲むとみんなこうなんですか?」


「人や状況によっていろいろだ。オレみたいに酒に慣れてしまうとなかなか[紫]に留まれない。羨ましいね」


ふーん。


「ところで、[紫]は何でしたっけ……」


[青]から[赤]の説明は聞いたけど、[紫]やその先の[シルバー]の説明はまだだった気がする。


「[紫]と[シルバー]は説明が難しい。ただ、[グラデーション]の日常から、[赤]のストレス域を通過しないとたどり着けない領域ということは言える、普通は」


たしかに。色の並びからしたらその通りだ。


「ただ……」


ただ?


「まあ……、何にでも例外的なことはある」


例外。ヴァーヴの説明に関して、カショウはこの言葉をよく使う。


そんなことより、優雅な針の動きに、僕は釘付けになった。


またこの感覚を味わいたいと思った。


「再生ボタンで、この感覚も再生できたらいいのに」


「理論上は可能だ」


「え、できるんですか?すごいヴァーヴ!」


「いや、ヴァーヴじゃなくて、自分で再現するんだ。その補助のためにヴァーヴがある」


「お酒なしでですか?」


「僧銀山の坊さんなみの修行をすればな」


僧銀山?僕は酔った頭を巡らした。たしかミラー都市の外の世界にある山の名前だ。


まあ、カショウは「理論上は」と言ったので、あくまでも理論上での話だろうと思い、僕はジンライムの続きを飲んだ。


─────


※ヴァーヴメーターイメージ:https://twitter.com/mandelbrobot/status/1270977569819508736

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