第15話 [シオ]生体デバイスによる感覚管理
カショウは僕に、フェイスシールドと時計型のデバイスをわたした。
「これがないとあそこにたどり着けない」
あそこ?……頭脳都市?
「なんですか、これ?」
「ヴァーヴメーター一式だ。脳波や生体情報を測る。“Vhav(ヴァーヴ)”は、英語のvibrationとサンスクリット語か何かを掛け合わせた固有名詞、このアプリの名前だ」
とりあえず言われるままに身に着けてみる。それまで柔らかだった世界に、ハリのようなものがもたらされ、次元が変わる感覚がある。額にかけたフェイスシールドと、手首のデバイスによる圧迫感のせいか。
「スーツやベルトも装着すると完璧だが、とりあえずその2つでも充分測定できる」
「何を測定するんですか?」
「まあやってみろ」
時計型デバイスの電源を入れてみる。黒い画面に、カラフルなメーターが表示される。針は2本あった。それらはしばらく揺れたのち、短いほうは緑を指し、長いほうは赤とオレンジのグラデーションの間を行き来している。明らかに時計のそれではない。
(ヴァーヴメーターイメージ:https://twitter.com/mandelbrobot/status/1270977569819508736)
それを見て、カショウは笑っている。
「そいつはお前の個人情報だ。超センシティブなな。まあ……、悪くない」
あらためてヴァーヴメーターを見てみた。よくわからない。
「まあ針の位置からすると……、お前は俺を信頼している。しかしわけのわからないものを身に着けさせられて動揺している。そんなとこだろう」
ヴァーヴを見つめる僕を見て、カショウはまた笑っている。何がおもしろいのかまったくわからない。
「それはお前の脳波やその他の生体情報を取得して掛け合わせ、読みやすくデータ成型したものだ。スーツを着ればより精度が上がる。フェイスシールドの柄の裏に電極があるだろ?そこで脳波をキャッチする」
黒い柄の裏を見てみる。確かに電極がいくつか並んでいた。
「手首のデバイスとスーツは、脳波以外の生体情報を取得している。脈とか、筋肉の緊張具合とか。要するに、こいつらは生物の心理状態を可視化するツールキットだ」
手首に接する面が光っているのが見えたが、それがセンサーになっているのだろうか。
「ま、昔の人間は自分で健康管理する必要があったからな。今じゃそんなツール、ほとんど需要はないが」
じゃあ何のために?心の中でつぶやいたが、ひとまず黙っていることにした。
「ちなみにスーツはこれだ。不織布と金属繊維でできている。いざというときはこれで頭の先まですっぽり覆って、手首や足首にベルトを装着する。スーツは使い捨てだ」
そう言ってカショウは、透明の袋の中に折りたたまれたスーツと、ツールケースの中のベルトを僕に見せた。
スーツは、不織布というより、つやのある黒い紙に見える。そこに銅のような繊維が混ざっている。ベルトのほうは黒い樹脂製で、裏に金属製のチップが付いていた。
それはともかく、「いざというとき」って?
「フェイスシールドには空気清浄機能がついている。柄の上から取り入れた空気を、光触媒やフィルタで濾して、フェイスシールドの中へ流す。上から下への流れができているので、下から汚れた空気が入ってくることもない」
カショウは柄の左端、僕の後頭部あたりにあるボタンを押した。フェイスシールド内に風が流れ込んできた。音はほとんどない。
「冬はネックウォーマー型のマスクと組み合わせるのもいいが、夏はそっちのほうが涼しくていい」
カショウは唐突に手を叩いて大きな音を立てた。妙に得意げな表情なのが気になる。
「さて本題だ!ヴァーヴの読み方を教えてやろう」
彼は僕の、デバイスが装着された左手首をつかんだ。
「針が2本ある。短いほうが[短左針]、長いほうは[長右針]だ。基本的に短左針と長右針がクロスすることはない。例外を除いて」
確かに、左の針は短く、右の針は長い。例外が気になるけど、僕は黙って頷いた。
「次にメーターの色。これはいろんな読み方があって、たとえば……、[青]は自分の内面に深くフォーカスしている状態。[緑]はバランスが取れ、内も外も意識していない状態。黄色からオレンジの[グラデーション]は──」
ちょっと待って!話についていけない。内面にフォーカス?緑はバランス???
僕の混乱をよそに、カショウの説明は続く。
「[グラデーション]は、まあ日常的な状態だ。ちょっと他人の目を意識しながら、何か作業をしていたり。赤は意識が思いっきり外に向いている。外。つまり他者や環境……。んん?お前、ついてきてるか?」
「いや、あの……」
僕の長右針は[赤]を指し、短左針は[青]と[赤]を激しく行き来していた。2人でそれを見つめる。
カショウは「ふむ」と言って顎に手を当てた。
「まあ落ち着け。とりあえず最後までオレの話を聞け」
カショウは深呼吸し、僕に真似するよう促した。僕はそれに従った。
「このメーターの色は他にも読み方がある。たとえば[青]は鎮静、[赤]は怒りや混乱、恐怖。その間の[緑]から[グラデーション]は、まあその間の状態だ」
僕は深呼吸を続けた。
「さっき言った、自分の内側か外側かといった意識の向き。これは主に短左針が受け持つ。長右針は鎮静や怒りなどの精神状態を示す。この2つを掛け合わせるとだいたいのことがわかる、が……」
短左針は相変わらず激しく揺れていた。カショウの説明がなくても、色や針の揺れ方で、その意味は直感的に理解できた。
「とりあえず、僕は混乱しているようですね」
「そうだな」
だけど、短左針がときどき[青]を指すのは何だろう?[赤]のほうは何となく直感的にわかるけど……。
「唐突に話し始めるオレへの怒りと、話についていけない自分への否定。これが共存した状態。そんなところだな。[青]は後者の自己否定を意味するんだろう」
なるほど。[青]は内面。たしかに。
「自己否定だけでも複雑だが、さらに複雑な心理だな」
深呼吸のおかげか、少し針の動きも穏やかになってきて、2本の針は[グラデーション]に納まるようになってきた。
「針の動き方やスピードからも意味を読み取ることができる。前の心理状態との落差やその個人のクセや傾向も加味されるので、多少慣れが必要だが、まあすぐ読めるようになるだろう」
ふむふむ。
「真ん中の文字盤に出てる文字は総合的な評価だ。たいていは[N.R(ノーマルレンジ)]と出ている。正常値。まあ、日常的な心理状態という意味だ」
日常的な混乱。よくある自己否定ということか。
ノーマルレンジがあるということは、それ以外の状態があると?
「後は、2本の針の距離だな。針が離れていれば離れているほど、複雑だったり、非日常的な心理状態であることを示している。その場合、[OVERFLOW]とか[N.N(ノーネーム)]とか表示される」
「それはいい状態なのですか?」
「いい質問だ!」
カショウの得意げな表情に、僕は少しイラっとした。
「[OVERFLOW]も[N.N(ノーネーム)]も、良し悪しのジャッジは含まれない。ただ稀な状態であることを示すだけだ。それがいい状態か悪い状態かを感じられるのは自分だけだ」
しかし[OVERFLOW]とはどんな状態だ?オーバーフロー……。“あふれる”?
僕が思考を終える間もなく、カショウは話し続けた。
「ちなみに自分で名前をつけることもできる。たとえば、生まれて初めての感覚にとらわれたとしよう。えーっと……、初めて恋をして、初めての感覚を覚えたとする。そのときに記録ボタンを押すと、適当な時間を遡って、その間の生体情報や針の推移に命名できるわけだ。[F.L(ファーストラブ)]とかな。そうやってユーザーが定義した感覚はこのメーターの開発者送信され、汎用的な感覚と判断された場合、次のバージョンアップで採用されることもある」
情報が多い。ふたたび僕は混乱し、針が揺れ始めた。この初めて目にする道具について、そろそろ僕はキャパオーバーのようだ。
「わかった。とりあえずこれだけ覚えといてくれ。赤には長く留まらない。赤が長く続くということは、ストレスが解消されない状態が続くということだ。それはあらゆる意味でまずい」
長右針は[赤]にとどまり続け、文字盤には[LET GO!]の赤い文字が点滅していた。その点滅具合から、明らかに警告だとわかった。
「今がその状態のようです」
「[LET GO!]はネガティブなジャッジを含むサインだ。つまりストレスをLet goしろ、手放せという意味だな。こういった警告を含むサインは数えるほどしかない」
そもそも、何のために僕にこれを着けさせるのか。こんな話をするのか。その説明が抜けてるじゃないか。僕はここへ来て、自分が苛立つ正当な理由をやっと見つけた。
僕は怒っていい。僕は自分が怒ることをLet go(許可)した。
すると[LET GO!]の点滅が消え、[N.R]に戻った。
カショウからはその文字盤の変化以外の変化は見えなかっただろう。僕は怒鳴ったわけでも笑ったわけでもなく、自分の内面の状態を変えただけだから。
「何か肝心なことを言い忘れてるような気もするが……。ともかく、お前がお母さんに会うために、この感覚を管理する道具が必要なんだ」
「頭脳都市に入るためですか?」
「頭脳都市に入ってからも必要になるだろう」
「感覚を管理することが?」
「そうだ」
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