第9話 [サタ]世界を壊したのは私
それで私、一生懸命ジャンプの法則を実践したの。うーん、一所懸命じゃないわね。リラックスが大事だから、ひたすらダラダラして。ダラダラしても罪悪感を感じないように、自分の心のクセや思考のクセを書き換えるようにがんばったの。がんばっちゃいけないんだけど、ある意味でがんばったの。
そしたら2つの変化が起こったの。一つは引っ越し。急に決まったから、荷物を整理する間もなく、急いで引っ越したの。だから、積み残した荷物、持ってこれなかった家具とか、たくさんあったの。でもとにかく、すべてを蹴散らしてでも、最終列車に飛び乗らなきゃならなかったの。
10年以上築いてきた生活のかたちが、それでいて変わり映えのない毎日が、そこで一気に壊れたの。家具もない。親族もいない。新しい土地で。
でもそんなの全然平気なの。あっこで寝てる、あなたたちがカショウさんと呼ぶあの人さえいたら、他のことはたいしたことない。
でももうひとつの変化のほうは、ちょっと厄介だったわね。それは私たちが引っ越す前から始まってたんだけど、どうせいつもみたいに、「言うほどじゃなかったわね」で終わると思ってたの。
でも私たちが新天地に移住し終えた頃、それは大きな問題になっていた。コロナよ。
学校は一斉休校となり、SNSでデマが拡散し、パニックを起こした人々は、スーパーマーケットでトイレットペーパーやカップ麺を買い占めたの。笑えるわよね。でもそのときはみんな本気でやってたの。
私たちバタバタと何もない状態で引っ越してきて、テレビもなかったから、コロナの情報をあまり知らなかったの。だから、
「まあ!トーキョーのスーパーマーケットは活気があるわね。みんなトーキョードリームをつかみにきた海賊みたいね」なんてのんきなこと言ってたの。違うのよ、コロナなのよ。笑っちゃうわ。
で、ずっとしばらくそんな調子。遅い時間に買い出しに行くと、出来合いやインスタント食品の棚はガラガラ。海賊だか何だか知らないけど、食糧争奪戦よ。
まあそんな感じで、最初はそんな状況もある意味楽しんでたの。学校が一斉に休みになる世の中なんて、なかなか経験できないじゃない?一大イベントに遭遇したくらいに思ってた。それに私、ジャンプの法則をやってたから、リラックスして楽観的にいれば、そのうち収まるだろうと思ってたの。
インドにお師匠さんがいてね。YouTubeでお師匠さんが配信するライブを見ながら、みんなでジャンプの法則を実践したりしてたの。コロナが落ち着いた世界線にジャンプするように。でもぜんぜん収束しないのよ。ことはどんどん大きくなるの。
イタリアが感染爆発を起こし、WHOがパンデミックを認め、国民的スターが亡くなって。その頃に、やっと私、この問題の大きさを実感したの。ジャンプの法則、効かないじゃないって。お師匠さんのことも疑い始めたの。
そしてとうとう、この国も緊急事態宣言を出した。学校の休校も延長され、職場はリモートや休業が推奨され。自由に出歩くことができなくなった。むしろ家にいると褒められた。
大丈夫だと言われていた若い人が重症化したり、肺炎以外の症状もつぎつぎ報告され……。マスクは完全に手に入らなくなった。飲食店は休業に追い込まれ、次第に倒産する会社も増え、学費が払えなくて学校を中退する子が出てきて……。
ネットやラジオのニュースを見て、これはヤバいって。このままコロナが続けば、完全に今までの社会が壊れるって。
だけど私、気づいたの。私の生活は、何も変わってないの。カショウさんは以前からリモートワークだし、私の仕事も、家でできることばかりだし……。手洗いとマスクさえ我慢したら……、もしかして、ここは楽園?だって、家でゴロゴロしてるだけで褒められるんだもん。(もちろん、コロナの犠牲にならないのが大前提だけど。)
今までの社会が壊れる。それは、今までの社会が変わることなの。それに気づいたの。しかも、私があかちゃんのために望んだ社会に近づいてる。家で勉強して、家で仕事して、一日中家族と過ごして、消耗しかないムダなコミュニケーションは最小限で……。
私、ジャンプしたんだ。あかちゃんを迎え入れるための社会に。望んだ社会にって。
ジャンプの法則にはひとつ特徴があるの。たとえばあなたが今A地点にいるとするわね。でもZ地点に移動したいと。それで、Z地点へ移動することをあなたはオーダーする。そしたらジャンプの法則が、自動的にそこに導いてくれるの。オーダーの後は全自動だから、どの道を通ってZ地点に向かうか、あなたにはわからないの。まさに自動運転車ね。目的地を登録したら、あとは放置。今この社会を走っているあの車のシステムと同じ。
私は私のあかちゃんが幸せに暮らせる社会をオーダーした。そこへの道筋で、コロナを通過した。古い世界を新しく再構築する過程に、コロナがあった。
私は子どもの頃から、この社会の輪の外にいた。多感な頃、10代とか20代とか、この世界が破滅することを妄想していた。不合理と、暗黙の了解に満ちたこの世界に、疑問を持ち続けていた。新しい世界をオーダーするずっと前から、私は世界の破滅をオーダーしていたの。私が世界を壊したの。
そして、私の大切な人たちと一緒に、ここを通過することをオーダーしたの。このコロナの世界を。新しい世界へ。
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